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二 本来は自然に分かるようになっていた

人類が堕落しなかったなら、神様がいるかどうかということを問う必要もありませんでした。それは本心で分かるのです。つまり、人類が堕落せず善の父母としてこの宇宙に現れ、家庭を成し、その家庭が繁殖してこの人類世界をつくったなら、今日の人類は神様がいるとかいないとかで論じ合う必要はなかったのです。血統がつながっているので、体で分かるのです。一本の木と同じで、そこには説明が必要ありません。説明を通して神様が分かるようにつくったとしたら、神様は創造を誤ったのです。

本来、人間には説明が必要ありません。説明の過程を通り越したところから出発すべき人間が、堕落により、神様と隔離された立場から出発して個人・家庭・氏族・民族・国家・世界と進んできたために、神様がいるかどうかを論ずるこのような世界になったのです。

人類が堕落せずに、善なる父母を通して生まれていたなら、神様がいるかいないかという議論は必要なかったはずです。生まれながらにして、自然に分かるのです。子どもは胎中でお乳の飲み方を学んで生まれるのですか? 生まれると同時に、目の前に母親の乳房があれば吸うようになっています。自動的に分かるようになっているのです。それと同じく、人類は堕落しなかったならば神様との関係を自動的に知って、自動的に解決して、自動的に行くべき方向を知ったことでしょう。ところが、堕落によってすべて分からなくなってしまったのです。だから神様がいるかどうか、疑う世界になったのです。(二〇\三〇六)