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第六章 霊的役事と摂理的主要行事

第一節 統一教会と霊的役事

一 統一教会と霊界

1 世界基督教統一神霊協会とは

 私たちの教会の名称を見れば、「世界基督教統一神霊協会」です。世界基督教統一神霊協会。「世界基督教統一」とは世界の基督教を統一するということで、その次に「神霊協会」に「神霊」が入っていますが、神霊は人間世界ではありません。霊的な世界です。世界の基督教を統一したその基盤の上に、神霊なる役事が展開するというのです。神霊なる役事をして世界を一つにしようというのです。ですから、もし神霊を除いてしまったならどうなりますか。既成教会と同じです。世界基督教統一神霊協会から神霊を除いたなら、世界基督教統一協会になるでしょう? 神霊を除けば何にもなりません。

 このように見るとき、今日の人類歴史にも、必ず歴史を動かしてきた精神があるのです。精神というものは心の中にありますが、その精神は体の支配を受けません。体を超えて、環境を超えて世界を支配しようとするのです。そうではないですか。皆さん自身が「素晴らしい人になろう」と思うとき、その「素晴らしい人」とは、自分一人を中心にして、体を動かして思うがままにできる環境での、素晴らしい人を指すのではありません。自分の思うとおりにするのですが、その思うとおりにすることが家庭を超え、環境を超え、国家を超え、世界を超えて、さらに進んで霊的な世界があるならば、霊的世界まで影響を与えることができる人になりたいというのです。(一六八―二四一)

 世界基督教統一何ですか。(神霊協会)。神霊協会。何で統一するのですって? (神霊で)。神霊で統一するのに、親子関係の神霊で統一するのです。その神霊は何ですか? その幻のようなありさまは何なのですか? 愛を中心とした、霊的世界と人間世界の調和を成すことのできる、神霊だというのです。分かりますか。

 神霊は、盲人の目を見えるようにすることが問題ではないのです。ふさがった耳を聞こえるようにすることが問題ではないのです。最近キリスト教が、「全知全能の神様にはできないことはない」と言いながら、「足なえが立ち上がります」と言うけれども、そんなことは何でもないのです。神様はそれを必要としません。愛の神霊というものを知らなければなりません。

 聖書にもあるように、礼拝を受ける時は神霊と真理で受けなさいといいますが、それは何の真理ですか。何か、物理学の、ピタゴラスの原理ではないのです。ニュートンの原理ではないのです。そんな真理ではないのです。愛の真理です。その愛の真理の最高は何ですか。父と息子・娘、このように見なければなりません。神様が必要とするものは、お金や権力や知識ではなく、愛が必要なのです。

 なぜ愛が必要なのでしょうか。神様が喜ぼうとすれば相対がなくては駄目ですから、人間を造りました。人間を喜びの相対として造りましたから、人間の愛においての価値は、被造物ではあるけれども、神様と同等の権能をもつことができるのです。このことを知らなければなりません。今日のキリスト教の信者たちは「創造主より被造物は劣っている」と言っていますが、馬鹿なことを言うなというのです。では神様がなぜ万物を造りましたか。それを確実に知らなければなりません。

 神霊協会は何ですって? (愛)。何の愛? (父子関係の愛)。父子関係の愛を中心にして調和されるのです。この調和が、地上でほんの少し行われても、その波紋は宇宙的です。電気であれば、放送局がどんなに小さくても、送る電波は宇宙的です。弱いものですが、宇宙的に波及するのです。それと同様に愛の調和圏は、範囲は小さくても宇宙と連結され得る内容を備えているということを、皆さんは知らなければなりません。(一一三―一〇三)

 私たちの教会の名前は世界基督教統一神霊協会です。先生が今までこの仕事をしてくるのに、息が詰まったりはしませんでした。全部霊界のプログラムを進行しているのです。私は、天がどうして、お父様がどうでといった話をしないのです。それは全部真理で消化させて体系づけて話すようになるのです。いい加減に話をしないのです。私が、霊界に通じたおばさん、おばあさんたちの言葉を聞いて、適当にこのみ旨をやっているとでも思っているのですか? とんでもないです。彼らは知らないのです。彼らは霊界から証されるから現在のことが分かるのであって、どのように進展していくのかは分からないのです。(六八―二七六)

 さあ、私たちの団体は宗教団体だというのは間違いありません。宗教団体だというのです。それでは、宗教団体ですけれど、何の宗教ですか。統一のための宗教団体だというのです。それで統一教会なのです。

 では、統一というその言葉は、どこを中心にする言葉かということを確実に知らなければなりません。いったいどこを中心にしていう言葉ですか。もちろん世界を中心にしていう言葉だと考えるかもしれませんが、「世界」といえば、私たちは二つの世界をいうのです。一つは霊的世界、もう一つは実体世界、このように見ます。ところで、一般的に「世界」といえば地上世界、今住んでいるこの世界をいいます。ですから、この二つの世界のための統一だと考えやすいのです。大体このように考えることができるのです。

 さあ、このように見るとき、宗教という言葉はどこを中心にするのですか。この世を中心にするのではなく、霊的世界を背景にしているのです。これは過ぎた歴史を通して見るとき、間違いない事実です。そうなのです。

 では私たちが世界基督教統一神霊協会を見るとき、この統一という言葉が出てくるのですが、世界のキリスト教をどのように統一するのかというのです。今日のカトリック教徒など既成教派が多いのですが、ここに縛りつけられているのではないのです。それを知らなければなりません。統一は、この世を中心とする教会も歓迎だということを知らなければなりません。しかしこれらの教会は今まで争ってきたので、どんなものが出てこようと一つになろうとはしないのです。

 さあ、それならばどのように統一するのですか。今まで数多くの教会指導者たちが、あるいは、ローマ法王庁を中心にして統合運動をしてきましたが、それは可能ですか。既に不可能な結果が現れたし、今でもそのような結論が出ているのです。ところで、これを統一できる内容のある道があるならば、どのような道なのかというのです。ある宗教的な強力な指導者が現れて、「統合しろ」と言ったところで統合できますか。ある政治的背景を中心にして、統合しなければ即刻処断するという、恐ろしい背景をもった人が現れても不可能なのです。可能なのではなく不可能だというのが結論です。

 では、すべての宗派が一つにならざるを得ない真理があからさまになればどうでしょうか。半分ほどはそれを支持するとしても、これはサタンの怪物かもしれないといって、また反対するのです。そのように難しいのです。では、死んだイエス様がそのまま生き返って、ローマ法王庁を中心に教化したとしても、昔死んだ若いイエス様がこの世の人として現れて「私がイエスだ」と言うとき、誰が信じますか。信じないのです。(笑い) 本物のイエス様が再び生き返ったとしても信じないのです。イエス様を信じる人が何パーセントになるのでしょうか。皆さんはどうですか? ムーニーはどうですか? だまされやすく信じやすいムーニーのことです。(笑い) 洗脳されたというではないですか。洗脳されたのです。どうですか? 皆さんの中で何人信じますか? それを信じられそうですか? (いいえ)。(笑い)

 さあ、このようなことを見るときに、レバレンド・ムーンは、どれほど素晴らしいでしょうか。白人社会で勝手気ままに生きた若い連中を集めて一つの世界をつくるのだと、このように集まって団結ができるようにすることだけでも、どんなにか偉大なことであるかを知らなければならないのです。

 ではレバレンド・ムーンは、この世的な力、この世的な知識をもってこのようにしたのですか、霊界を通してしたのですか? このように見るとき、この世的基準が介在して影響を与えることよりも、霊界の基準が介在して影響を及ぼしたことがもっと大きいのです。

 皆さん、自分を中心にして今日このように集まり、動くということ自体が、もちろん原理のみ言もあり、先生が指導した影響があったからだと認めても、それだけでは駄目なのです。ここには、見えないけれども、皆さんを転化するように影響を及ぼす、何十倍以上もの強い霊的な力が介在されているのです。そのような事実を否定できないのです。それは事実ですか? 違いますか? (事実です)。皆さんには実感できる事実です。皆さんを根拠としたとしても否定できなく、誰が何と言っても否定できない実感のある事実だということを知らなければなりません。それは事実ですか? (はい)。

 では、サタンが一番好きなことは何でしょうか? サタンが望むものは何かというのです。それが問題なのです。サタンが言うには「統一教会の原理のみ言を講義してもよい。原理を全部暗記して雄弁に語る素晴らしい講師でもよい。認めます。それは仕方がない。明らかな事実であり、現れた結果だから仕方がない。しかし霊的作用だけはしてはいけない」というのです。そうですか? そうではないですか? (そうです)。

 霊的作用がないならば、どんなに真理が良くても、昔のように信じようとすれば信じ、勝手にできるのです。生涯を通して自分の生命を歩み、前進するのが難しいというのです。一気に習慣化されてしまうのです。若い時は信じるかもしれませんが、年老いては沈んでしまうと、このように見るのです。ですから老いぼれて死ねばおしまいで、死んで地獄に行けばおしまいなのです。

 では、サタンがこのように見ているのですが、神様はどのようにされますか? 神様はどのようにされるのですか? ここに霊的版図をもって一生を通じて老いて死ぬとしても、力が加重されるような霊的な福音をどのように普及させるかということを、悪神に反対される善神としては考えざるを得ないということは、理論的だというのです。(一三一―二〇八)

 世界を統一しようとするならば、どうやってやらなければならないのでしょうか? 解放をどこでするのでしょうか? 霊界と肉界が解放されなければなりません。霊界の解放と肉界の解放が……。霊界の解放は神様には必要ないのです。神様のようにサタン圏を全部統一できる能力がある人が出てくれば、霊界と肉界に分けられているものが一つになるのです。解放されるのです。サタンを主管することのできる人だけが現れれば、霊界も解放され、肉界も解放されるようになります。(一六一―二四三)

2 統一は霊界からまず成される

 皆さんは先生が今まで語ってきたみ言を聞いて「そうだ」と考えますが、霊界で既にそれを知り、決定的ページをめくったあとを、地上がついていっているということを知らなければなりません。元来、堕落しなかったならば地上が先で、霊界があとになるのが原則なのですが、逆になったのです。(一三一―四〇)

 ですから霊界を一つにしなければ地上で一つになれないのです。地上で一つになれなければ霊界でも一つになれないのです。運命共同体だというのです。見てみなさい。西洋人たちが東洋人と結婚し、東洋人たちが西洋人と結婚するということはとても良いことなのです。

 それは何かというと、霊界が西半球と東半球とを回るのです。皆さんの心が皆さんの心ではないのです。天運がそのように回るので、皆さんもそのように回るのです。それでレバレンド・ムーンが仲介所の役割をするのです。私がこのダイナマイトの導火線に火をつけておくのです。さあ、ドイツで作った火薬、イギリスで作った火薬が、怨讐だからといって爆発しないなどということがありますか? 火をつければ「バーン」と、みんな爆発するのです。愛も導火線に火をつけてやれば、みな爆発するようになっているのです。もっと強くなれるのです。そのようなことが起こるのです。

 霊界で見るとき、先祖たちが「はあ」とどれほど喜ぶでしょうか。すべての人種が「はあ」とどれほどうれしがるか考えてみなさい。(笑い) 霊界でも、今まで白人は白人同士でいるというのです。黒人は黒人同士でいるのです。霊界も全部分けられているのです。黄色人種は黄色人種同士が相対峙してこのようで……。今回、地上ですべてこうであるから、お互いがぶよぶよになって一つになるのです。統一が成されるのです。さあ、ですから一つの世界になるのです。「天において成されるとおり地においても成されますように」と言ったのと同じく霊界でそのようになるので、地でもそうなるのです。それを知らなければなりません。さあ、先生は偉大なことをしましたか? どうですか? (偉大なことをなさいました)。(拍手) (九九―一八八)

 霊界を統一できなければ地上統一ができないのです。ほんの小さな、ここに立っている人が霊界を統一できる能力をもっているのです。もっているだけでなく統一したというのです。イエス様、孔子、釈迦、全部私に協助しなければなりません。ですから、よく信じて通じる人は……。きのうも仏教を信じる人が、先生のところに来て三拝敬拝をして、こう言ったのです。「私の両親が、文先生のために二十四時間祈祷しろと私に命令するので、どうしてそれをしないでいられましょうか?」こう言うのです。お釈迦様も協助しなければなりません。協助しないならば、私が天法を適用して公法に引っかけるのです。そのような能力がある人なのです。分かりましたか?

 孔子であれ、回教の道主であれ、これからはすべて溶けてしまうのです。共産世界までも今現在、霊的分野にあっては全部侵蝕されてきているということを知らなければなりません。何のことか分かりましたか? 皆さんが明き盲になっているから分からないのであって、少したてばガチャガチャ……。いつこうさせるのか分からないのです。(八二―三〇九)

3 先生は霊的世界の最高の専門家

 霊的世界の専門家が文なにがしではないですか? (はい)。それはノーベル賞を受ける人ではなく、ノーベル賞を受ける人を審査する委員長なのです。彼らがどんなに霊通しても、その内容がどんなふうになるのかを知らないのです。それは統一教会の文先生に習わなくてはなりません。そうでしょう? ですから世界の霊通した人たちはすべて私の子分たちです。

 それで全世界の霊界が……。アメリカを見てみなさい。今、心霊科学でいうには、地上人一人に三千三百二十名という数の霊人たちが動員されて、くっついていて協助しようとしているのだそうです。その霊界の霊人たちが何千億になるでしょうか? それを四十億倍すると何千億になりますか? そのような膨大な霊界の霊人たちが、統一教会の文なにがしの子分になるというわけです。気分がいいですか、悪いですか? (いいです)。こうなのです。分かりましたか? (はい)。

 ですから仏教を信じている現在の信徒会の会長だという人が、毎日のように先生の所へ来て、「お釈迦様が先生に侍りなさいというのです」と言っては先生に敬拝をするのです。彼らも私の世話になれば解放されるのです。

 イエス様はどうでしょうか? イエス様も念願を成就しようとするならば、私が橋を架けてあげなければならないのです。こんなことを言うと、既成教会の信者たちはそれこそ足がこわばって固くなるでしょう。固くなるのです。(笑い) 私がうそをつけば天罰を受けるのです。それをよく知っている人です。私は事実を話しているのです。イエス様も私が上げてあげなければ駄目なのです。こういう事実があるのです。分かりますか? 孔子とかお釈迦様とかマホメットとかみんなごちゃごちゃにして、韓国の聖君賢者もみな、私たち統一教会で出世するために神命をささげようとしているのです。既に門を開けてあるので順次……。

 このようになれば、これからは町内ごとに霊通が起こります。神様に対して教え、教育しなくても、誰でも「神はいない」と言えば「いなーい」という言葉がなくなり「いるー!」というふうになるのです。それが何のことか分かりますか? 「神様はいない。神様はいない。神様はいない……」と言うと、口がピタッとくっついてしまうのです。そうなり得る時が来るのです。それこそ超非常時局だというか、何といえますか? そのような時が来ているのです。

 見てみなさい。今から二百年前に「ああ、大きな鉄の塊が人間を五百人くらい乗せて空を飛んでいく」と言ったなら誰がそれを信じますか? 信じますか、信じませんか? それを信じろというのは気違いざたか、魂が抜けた人なのです。気のふれた人。今は? 今はどうですか? 信じないですか? (信じます)。今から百年前に「ああ、こいつの鉄の塊が水の中で泳ぐ魚のようにどこにでも行ける」と言ったならそれを誰が信じますか? 信じますか、信じませんか? (信じません)。見なさい。今の人工衛星の話を三十年前に「いやあ、船のような空飛ぶ船に乗って地球から星の国に飛んでいく」と言ったならそれを信じますか? 信じますか、信じられませんか? (信じられません)。信じられないのです。

 では、文先生が今話していることを信じますか、信じられませんか? (信じられません)。それが三十年前に信じられなかったことと同様に、三十年後にこのようなことができないと誰が自信をもって話せますか? 誰が自信をもって話せますか? ここにいる教授たち? (笑い) 馬鹿なことをしているというのです。彼らよりも私の頭が、アンテナが高く、観察する目も大きく……。世界的に有名になることができる素性があり、素質があるために有名になったのです。

 さあ、ですから一言ですべての意味を知って信じてみなさい。信じてみなさい。信じにくいならば信じるということにしてみましょう。(笑い) そうですか、そうではないですか? 信じて損することには何がありますか? これはこうなのに「こうではない」と言ったり、逆立ちして歩けるというのに「歩けない」と言ったり……。(八三―一一六)

 過去に聖人聖者が大勢いましたが、このような世界的舞台に、「反対をされても一人孤独に闘うぞ」と言う男は私一人しかいません。(拍手) ですから霊界は「頑張れ、頑張れ、頑張れレバレンド・ムーン!」と言っているのです。見なさい。ヤンキー・スタジアムが大きいですか、霊界が大きいですか? (霊界)。霊界にどれほど多くの人口があるか考えてみましたか? 今、霊通する人々の言うことを聞いてみると、一人当たり三千三百二十余名の霊人たちがくっついて歩いている計算になるというのです。(笑い) そのような味方がいるということを考えたとき、この世に負けますか、勝ちますか? 考えてみなさい。

 その霊人たちが原子爆弾を恐ろしがるでしょうか、大砲を怖がるでしょうか? (怖がりません)。(笑い) それと同じように皆さんも銃弾を恐れないで、原子爆弾を恐れないで、国を恐れないならば、絶対に負けないのです。(笑い) 間違いなく勝利するのです。超越しなければなりません。皆さんは反対するけれど「行け」と命じ、私はひらりと飛び越えてあとからぴったりついていって、すべて行ったあとで門を閉めて、私が主人としての役割をするというのです。(笑い) 全部通り過ぎたなら門を閉めてしまうというのです。さあ、そのような考えをしながら、今闘っているのだということを知らなければなりません。

 霊界に行っている霊人たちが、レバレンド・ムーンがそういう考えをしているのを見るとき、くだらないと考えますか、痛快だと考えますか? それこそ口を開いて、目を見開いて、うれしくて「はあ」と、そうしなければならないのです。そのようなことを神様が御覧になるとき、「いい見せ物ができた。はあ……」。(笑い) そうなるしかないではないですか? ですから神様から、霊界から、天使から、その次には地上にいる考える人、世界を愛する人は、「ああ! レバレンド・ムーンはよくやる、よくやる、よくやる」と言うのです。今や、もう少しすれば、ガチャガチャとそれこそ国が飛びついてきて世界が動いてくるというのです。(八六―一九三)

4 統一教会の信徒のあとには数多くの霊人たちがついて歩く

 霊界には霊人たちがどれほど多くいるでしょうか? 霊人たちはどれほどになるでしょうか? うん? (七百億ぐらいになるのだそうです)。七百億? (はい)。その霊界が全部味方なのです。分かりましたか、何のことだか? (はい)。(一六七―三七)

 それゆえに皆さんが今仕事をしているそのことを、皆さんがするのではないのです。ここにいる皆さんの後ろには、数多くの霊人たちが連結されています。もちろん皆さんの先祖たちが連結されていますが、特別に信じている宗教があればその宗教の宗主を中心にして、皆さんが動くところに完全に集中されるようになっています。ですから信じて打てば、壊れて出ていくというのです。ですから自分一人だと思うなというのです。数万、数百万の霊人たちが動員されているのです。

 ですから四千万が問題ではないのです。霊界の何千億にもなる霊人たちが、全部地上で左右を中心にして畝を作ろうとするのです。ですから畝を作ろうとすれば……。固い畑を耕そうとするならば、耕す姿がしっかりしていなければなりません。その次には牛が丈夫でなければならず、その次には耕す人が力強く押してあげなければなりません。牛がいくら丈夫で、いくら姿がしっかりしていても、耕す人が力強く押してあげなければならないのです。

 ところで牛と犁は全部準備されているというのです。今、霊界が牛のように引っ張ってくれているのです。犁は私たちのみ言を中心にして入れなければならないのです。ではこれを誰が押してあげるのですか? これは皆さん、責任者が押してあげなくてはなりません。それでこそ深く耕すことができるのです。これは皆さんの信仰いかんにかかっているのです。それを知らなければなりません。(一六四―一六九)

 神様と霊界がそのような私の目的を知っています。彼らが皆さんを見守っているのです。それなのにどうして中断できますか? どうして足を投げ出して眠って休めますか? 神様はこのすべての状況を見ていらっしゃるということを確実に知らなくてはなりません。心は知っていますが、肉身はそうできません。反対に行くのです。すべての環境が皆さんを誘惑します。皆さんはそのような環境を見ることができるのです。今や私たちの時が来ました。け立てて出ていかなければなりません。続けて前進しなければなりません。

 皆さんはすべての所を占領できます。神様はいつも皆さんの横で、皆さんを保護なさっているのです。そのような環境の中でも私たちを保護なさいます。皆さんはそれを考えなければなりません。神様はどれほどそのような時を待ってきましたか? そのような時が私たちに来たのです。皆さん、前に出ていかなければなりません。勝利するその日まで前に出続けなければなりません。終着地まで。分かりましたか? (はい)。

 これが私たちの使命です。私たち人間の責任です。個人的、家庭的、国家的、世界的なすべての圏内でそのような責任を負わなければなりません。その基盤の上で神様の愛が実現され得るのです。また、霊界が皆さんをどこででも絶え間なく助けてくれるのです。よく分かりましたか? (はい)。これを確実に知らなければなりません。皆さんが問題です。(一六二―九四)

 これは本物の統一教会の信徒でなければ、信じない人には分からないのです。地上ではさっとたやすく生きられますが、霊界では足を置かなければなりません。私の前に誰か助けてくれる人がいなければなりません。個人的に助けてくれ、家庭的に助けてくれ……。このような愛の代表が、世界的に代表できる連中が統一教会の連中ですから、この統一教会の連中のあとには、数多くの霊人たちがついて歩くのだということを知らなければなりません。皆さんの後ろをついて歩いているのです。皆さんの先祖の中で善なる先祖が順番に、より善なる先祖が先に立って……。その先祖の後孫の中で、統一教会に入った後孫の相が自分に似ていれば、それのみを取っても好きになるのです。

「いやあ、私に似ている!」。善なる先祖であれば、それだけ自分に似ていればどれほどうれしいでしょうか。もし行っては、統一教会に連結されれば霊界と肉界が大変な騒ぎなのです。あっちのほうでは支持しろと言ってついて来て、頼りに協助しようと大変で、地上のほうでは、できないと言って大変で、このような現象が起こるのです。(九二―二一二)

 今日の私たち統一教会は少数の集まりであり、反対されて心細いと思いますが、皆さんが知らない間に全世界的に垣根を壊して洪水のように押し入ってきています。大きな洪水が起これば、ほんの少しすき間のあいている犬用の出入口があれば、そこを通って洪水がふうっと出ていくのです。同様に、私たちもそうなるのです。私たちがそこに案内できるわき道を少しだけ開けておいたのですが、大きな洪水のようなものがこれを通じてあふれ流れています。

 さあ、考えてみてください。神様が今まで地上復帰を心配していらっしゃり、地上に生きてから霊界に行った善なる霊人たちと、神様のために死んだすべての犠牲者たちが、全部地上復活の完成を望んでいるのですが、神様がお出ましになる時、霊界のそのすべての霊人たちを連れて下ってこられますか、連れて下ってこられませんか?(連れて下ってこられます)。その霊人たちを連れて下ってきながら、世界の人々がお互いに愛することのできる綱がなわれる条件を立てなければなりません。今日、統一教会が出てきて世界の兄弟たちをすべて愛することができる条件を、ここにかけておいたためにどっさり下ってくるのです。(九〇―一九八)

 結局は霊界という霊界は、すべて文鮮明先生を出世させるために……。心霊科学の世界では今どんな評価をしているのかというと、地上の一人の前に三千三百名に該当する霊人たちがいるというのです。これからその霊人たちが下ってきて協助するのです。それは何を指すのかというと、三千三百名の四十億倍ならばいくつですか? 何千億になりますか? そのような霊人たちが霊界に集まっているのですが、優れた人であろうと、さえない人であろうと、統一教会の文先生一人を出世させようと総動員しているのです。何のことか分かりますか?

 見てみなさい。高い霊界と通じる人に先生の姓名三文字をさっと持っていってやり、「この方に対して祈祷してみてください」と言ってみなさい。祈祷してから「ああ」と言って敬拝するのです。「先生!」と、そう言うようになっています。何のことだか理解できますか? (はい)。それこそ明き盲であり、神経が麻痺した人は理解できませんが、私は専門家だから明らかに知っているのです。(八二―三〇八)

5 私と霊的体験

 皆さんの体と心が一つになるにあたって、本格的な教育をしていかなければなりません。心の声を聞きなさいというのです。その声は苦労すれば苦労するほど、近く聞こえるのです。それで共鳴体になったということを感じなければなりません。そうして、皆さんの手を見るようになれば、手が光を発するのを見ることができるのです。そのような立体的な神秘的な体験が起こるのです。分かりますか? 間違いなくそうなのです。

 ですから不平を言うなというのです。イエス様は十字架を背負いながらも不平を言いませんでした。それと同じです。それは今日皆さんの生活にも当てはまる鉄則なのです。そのような心が強ければ強いほど、そういう行動が強ければ強いほど皆さんの体、心が共鳴体になるのです。それが最大限になればどうなるのかといえば、私が夜、誰かを抱いてあげて一緒に寝るとき、その寝ている人をじっと見てみると、それが誰かというと、私だというのです。霊人体が私を抱いて寝るということを発見するというのです。自分の霊人体であることを知るというのです。分かりますか、何のことか。(はい)。

 人間はそうなっているのです。そのような体験をしなければならないのです。それを体験するためには必ず犠牲の過程を経なければなりません。先生が監獄生活をしながら一番印象的だったことが何かというと、難しい苦労をしたことです。そのようなことがあればあるほど、霊的な心との共鳴圏が鋭敏になるのです。普通の人ならば耐えられないほどの重労働をしても、体は労働をするけれども、心は労働をしないのです。こういうことをするようになれば霊的な体験が実に早くなるのです。そして、そのような体験をするようになれば、体の疲れはすべて逃げていってしまうのです。必ず体験しなければならないのです。分かりましたか? この体験をしないならば、霊界へ行って共鳴がうまくいきません。そういう体験をもつように努力しなければなりません。それで、霊的に体験して、夢うつつに先生に会うことが少しずつ多くなってきているのです。

 そうなればなるほど霊眼が広くなるのです。そうであれば、座ってこう見れば先生が何をしているのかすべて分かるのです。ですから、皆さんは家にいても、皆さんが父母様に侍り一緒にいることができる圏内に入るのです。それを見るのです。本当に来て生活するのを。そうすれば霊界は自動的に開くようになるのです。そうなっているのです。それは現実的問題です。これは妄想でなく現実的問題です。このようにしてこそ、皆さんが活動するようになれば、霊界がすべて協助するのです。自由自在に協助して、することは横的に拡大されるのです。(一〇二―四八)

 宗教は「捨てろ! すべて取って片づけてしまえ!」と言うのです。分かりますか? (はい)。そのように否定をしながら一つだけ望むこととは何ですか? 全部否定して私までなくしてしまえというのではなく、「私は復活しなければならない」という思想です。復活しなければならないという思想。分かりましたか、何のことだか。(はい)。それで私の確信を、宇宙よりも大きい確信をもたなければならないのです。私は善の立場で神様の身代わり、この宇宙の代わりになります。どんな立場でも私は変わりません。分かりましたか、何のことか。(はい)。

 では、その次にはどんな現象が起こるのかというと、霊的に攻撃が来るのです。霊的な攻撃が来るのです。霊的試練と肉的試練があるのです。皆さん、それを知っていますか? 皆さんが統一教会を信じながら、霊的にあるいは肉的にそのような試練を受けてみましたか? (はい)。男性が男性として勝利したということを、何をもって認められるかというのです。どうすれば男性として勝利した男性になれるのか? 男性が男性同士で闘って勝つということですか? (違います)。それは女性が試練をするのです。この女性の試練を無慈悲に切ってしまえばいいのです。どれほど美人が現れて私を魅惑しようとしても、びくともしないようでなければなりません。(九五―八八)

 霊的世界を体験するということは、すなわち四次元の世界に通じるということです。また、そのような時には何千年も前に生きた預言者、先烈たちも今日の私と因縁を結んで対話もできるし、相談もできるのです。すなわち、今日の実際の生活的時間圏の中で私が経験でき、また皮膚で感じることができるのです。(四―二二五)

 私たちは神様の心情を話します。神様の心情がどこにあるのかというとき、祈祷の中で音声を聞いてみれば「先生の言うことをよく聞け。先生を悲しませてはいけない。先生を喜ばせてあげなさい」と言うのです。それしかないのです。そう教えてくれるのです。そして、先生に会いたくて夜も寝ずにいると霊界が開くのです。一番早いのがそれなのです。霊界が開かれるのです。先生がアメリカで何をするのか、座っていて見えるのです。そのようなことが起こるのです。これは漠然としていた信仰の主体的対象を、現実的な実体的主体として、横的舞台で体恤できる圏を形成したというのです。このような事実は、宗教世界に偉大な革命を提示することであるということを、皆さんは知らなければなりません。ですから、体恤がなくては駄目だというのです。(七六―一五二)