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二 牧会者たちにあったこと

1 ある牧会者の引っ越しの経歴

 以前、ある地域長から、地域長生活をしながら十七回も引っ越しをしたという話を聞きました。十七回も引っ越しをしたので、「もう引っ越しだ」と言うと、「まただな」と言うのです。そんな具合なので、服には穴が開くだけ開いて、顔を上げて出られないほどみっともない様子になったというのです。それは良くできたのですか、できなかったのですか? それでも死ぬなというのです。倒れても死ぬなというのです。死んではおしまいです。倒れても恨むなというのです。「神様、ぐっすり眠らせてください」と言って倒れなければなりません。そうかといって、死ねという話ではありません。

 ヤコブがこのように難しい立場に対している時、天の使者たちが上ったり下りたりしたのであって、気勢が堂々とし希望があふれる場にいる時に、天の使者たちが上ったり下りたりしたと思いますか? 死ぬような場に至った時……。行く所がなく、石の枕を敷いて眠る身がどれほど惨めだったかというのです。皆さんみたいなら、祝福も何も、私がなぜそうしたのかと思うでしょう。そして統一教会の霊神(注:霊験あらたかな神)になろうとするでしょう。(笑い) (三〇―三四五)

2 牧会者たちの腹の減る生活

 今日、地方にいる地域長が、御飯を抜く場合もあるということを私は知っています。祈祷の中で、誰が飢えているということを見ています。しかしそれについて何も言いません。時が近づいてくるにつれて、統一教会の思想を正しくもった人が誰かということを見たいのです。ですから皆さんは新しい決意をしなければなりません。ボーッとしてはいけないというのです。

 統一教会の思想は、天から引き継いだ栄光ある伝統的な思想です。昔から、み旨を成そうと数多い先祖たちが死を恐れず、受難の道を前にしながら天を中心にして引き継いだ、そのみ旨です。それは歴史時代を中心にして見ても、歴史が過ぎたとしても、その本質には変わりはないのです。変わってはならないのです。(四三―五六)

 今、地方教会が難しいことを知っています。ある教会の引導者は飢えているということも、私はよく知っています。飢えよ、というのです。国を生かすためには、善なる群れが地獄の生活をしなければなりません。そうしてこそ、悪党のような群れを悔い改めさせることができるのです。そういうことがなくてはなりません。これが先生の主義です。ですから今もそういう生活をしているのです。

 統一教会はお金がありません。お金がなければ日本から持ってくることもできるし、世界各国から持ってくることもできるではないかというかもしれません。その言葉は合ってはいます。しかしそうなれば韓国が負債を負う立場になります。今からは、お金がなくても、お金がないという話をやめなさいというのです。

「両班は、凍って死んでも、もみがらを焼く火にはあたらない」と言います。私がお金がなくて、負債を負ってでも人を助けてあげるのに、誰が負債を負ったと思いますか? お金はないが、やりたいとおりにやるというのです。では皆さんはこれに賛同しますか、しませんか? (します)。女性たちはどうですか? (します)。するなら、どの程度しますか? 大韓民国だけを愛するのですか、世界を愛するのですか? (世界です)。世界のための道を行こうとすれば、元手がなければなりません。元手もなくて、自分の手で一家をなしますか? そういう時は、皆さんが先頭に立っていかなければなりません。私が皆さんを売るとすれば、売られていきますか、売られていきませんか? 売られていく自信がありますか、ありませんか? (あります)。では、私が売ってしまうと言えば、売られていかなければならないのです。これがすなわち公的な道です。(三五―一四八)

3 学生たちの弁当で食事を間に合わせた事情

 見なさい。韓国で開拓地へ出て伝道したその時は、お金を一日稼いで一日生きるのが難しかったのです。一日稼いで一食食べて生きるのが難しかったのです。若い人たちが出て歩いていて、道を行くのにこうしてつまずくことがいくらでもあるのです。そういうことをしながら、開拓時代に伝道師たちが責任者になってある村に開拓に出たのですが、食べる物はなく、仕事はできるが仕事をすれば「ここに仕事をしに来た」と言って村の中で迫害がさらに加わるので、仕方なく十里の道以上行って仕事をした人たちがたくさんいたということを知らなければなりません。

 ですからついてくる食口たちが全部……。責任者が本部からお金を持ってくるのではなく、そういう事情をもって開拓伝道するのです。そうしながらも、自分の事情が死ぬなら死ぬのであって、絶対話をしませんからね。そうやったのだから、できるのかというのです。こうして六カ月が過ぎ、一年が過ぎて、分かってからはすがりついて痛哭するのです。

 そして、弁当を持ってきて食べさせる運動が起こったのです。ですから、その御飯を食べなければならない指導者の心がどれほど悲惨ですか? また、御飯をあげていく学生が学校へ行って御飯を抜くことを、どれほど思うでしょうか? こういう中で、互いにそれを克服しながら、「我々は死んだとしてもみ旨を成さん」と言って、心情的連帯感に浸っていたのです。

 そうやって学校へ行く場合は……。きのうまで、統一教会に入る前までは誰よりも良い弁当を持って通っていた人々が、統一教会へ入ってからは毎日弁当を持たないで来て、昼食の時には一人で校庭にこっそり隠れているのを友達に発見されたりしたというのです。なぜそうするかというと、自分の父母に知られたなら大変なことになるからです。一回、二回でなく、続けてそういうことをしなければならないので、信じられないという友達がお母さんの所へ行って、「あなたの息子、娘たちはちゃんと昼食を持って通っていたのに、このごろ統一教会へ入ってからは昼食も持たせてあげないなんて、なぜそんなことをするのか? 統一教会の人々はそれこそ人間ではないのか? 息子は息子としての扱いをし、娘は娘としての扱いをすべきなのになぜそうなのか?」と言って抗議するということが起こるのです。ですからその親が息子、娘たちに、「お前、学校で弁当を食べないそうだがどうなっているのか?」と尋ねるようになるのです。尋ねれば事実を話さざるを得ないのです。

 父母たちがこの事実を知って、「こいつら! 統一教会の教会員たちは全部息子、娘の弁当を奪って食べ、搾取して食べ、血と肉をしゃぶる吸血鬼だ」と言って反対をしたのです。そういうことが全国的にたくさんありました。ですから統一教会員が来るといえば、息子、娘たちの血を吸う人が来るといって、町内で群れをつくり、その人をみんなで打ったりありとあらゆることをしたのです。さらに全国のキリスト教徒たちは、神様の羊を奪っていく狼の群れが入ってくるといって、全部組になってありとあらゆることをしたのです、ありとあらゆることを。そういう環境で彼らを指導していた統一教会の先生の心はどうだったでしょうか?

 さあ、ですから、「彼らが十年後にどうなることか?」ということを、統一教会の指導者なら考えないでしょうか? こうして私の力でお金を稼いだのです。私が工場を立てれば二十四時間工場へ行って仕事もし、私のアイデアも提供し、全部私の手で……。そうしながら将来の基盤を準備しなければならなかったので、私が経済問題に対して基盤を整えたのです。(九四―二三一)

4 初期開拓当時の難しかった生活

 私たちが韓国で開拓する時は、仕事をしようにもする所がなかったのです。そうして飢えるのが日常のことだったのです。麦の粉や米の粉を買って、コップに水を汲んでそれを一杯ずつ飲み、四十日伝道をしたことを知らなければなりません。それも思いのまま、あるだけ飲みますか? 違います。四十日断食する訓練だと思ってやったのです。そういう開拓をして……。

 ですから労働でもしなければならないのに、ある地方の責任者として行った人が、その部落周辺に行って労働をし、そうすると威信が立たないのでその地方では労働できないのです。ですから労働をしようと思うなら、明け方には起きて五時間歩かなければならないのです。そうやって仕事をし、夜には帰ってこなければなりません。二十時間内でそういうことをしなければならないのです。行くのに五時間、帰ってくるのに五時間かかる所へ行って労働しなければならないのです。そうすると一日の賃金が五百ウォンです。五百ウォン受け取って……。それは韓国で二食分にしかなりません。二食分です。分かりますか? 一日仕事をしたのがそうなのです。それは毎日労働してもやっていけないということです。ですから皆さんは、先輩たちが背後でどんな苦労をしたか話をしても分かりません。分からないのです。いくら話をしたところで理解できないのです。

 さあ、例を挙げて話せば、み旨の仕事はしなければならないし、出て講演はしなければならないのですが、腹が減っていてできますか? ですから仕方なく、金持ちの家の前を通り過ぎると犬が水を飲んでいるので……。ここのように、犬が何かの肉を食べるのではないのです。とぎ水のようなものを飲むのに、その犬の耳を捕まえて、「お前には金持ちの主人がいるから、私がこれを奪って飲んでもお前は死なないではないか」、こう言って追い払い、その水をがぶ飲みしたのです。そうしながら仕事をしたことを知らなければなりません。皆さんはそういうことを知っていますか? 知りません。そういうことを、私はよく知っているのです。そういうことを目撃して……。目で見られず、胸が破裂しそうで話もできない、そういう情景をたくさん見て味わった人であることを知らなければなりません。

 そういうことを味わわされるたびに、先生が経済力をもたなければならないと、どれほど……。私が短期間で経済力をもたないといけないと……。その基盤を整えるために、私が工場にどれほど情熱を注いだか知れません。誰もついてくることができないほど、熱心に働いた人間なのです。

 皆さんは国家基準まで上るために苦労しますが、責任を負った私には今後に対する責任があるので、基盤を整えておいたのちの、皆さんに対する経済的な準備をしなければならないと思って、昼夜を分かたず努力したのです。(八九―二七八)

5 ある青年牧会者の講義

 私たちの教会には逸話がたくさんあります。前に、ある地域長が反共講師として、ある地方へ行った時のことです。そこには村の有志たちがみな集まって、警察署長から郡守に至るまで、公務員たちは全部集まりました。ところが反共思想講座の責任をもった先生が来るといったのに、その先生は来ないで、髪ぼうぼうの独身の男がてくてく歩いてきたというのです。初めは講師のお使いだと思い、「お前さん、どこから来た? 講師の先生はいついらっしゃるのか?」と尋ねたというのです。ですからその講師はまごまごするほかありませんでした。「きょう、講師として統一教会の誰それが来るといったのに、どうなったのか」と尋ねるので、「自分がそうだ」と言ったというのです。そうすると、髪ぼうぼうの独身の男が講師であることを知らなかった彼らは、集まってひそひそ話したというのです。自分の息子の年ごろの幼い青年が講師だというのだから、気恥ずかしいことこの上なかったのです。

 しかし、自分たちが公文で招請したので、壇に上げるしかありませんでした。そこで約二時間半、講演をしました。そうしたところ、彼らの目がひっくり返るのでした。(笑い) 反共講師である私たち地域長たちは、全部二十代の青年だったでしょう? こういう人たちが、郡守や警察署長の友達になったので、統一教会に入って最近このくらいなら出世したわけでしょう? 先生の言葉を聞いて行って、滅びたことがありますか? (一九―二一八)

6 開拓に出た統一教会のおばさんたち

 今日の統一教会の皆さんは、生きてきた生活の方向が異なります。根本的に違います。「ために生きる」生活をしてきました。地方に出て開拓し、人ができないことを今までしてきました。一番初めはあざ笑いました。最初はあざ笑ったのです。何でもない者がやって来て、一カ月、二カ月、約一年やったところ、教会を造り、部落の若者たちを全部連れていくのです。五十名、六十名の村の未婚男女を集めるのです。そういうことに対して、最初は「変なやつがやって来て村を滅ぼす」と悪口を言われても、それで終わりませんでした。

 学生たちを集めるものとばかり思ったのにそうではなく、その次におばさんからおじさんまで、村で賢い人々が全部入って、数が少しずついっぱいになったというのです。そうなった時、考えが変わるのです。感嘆しながら自分のことを考えるのです。「過去幼い時、私はこうだったのに。やあ! 今見ると立派だ」と言うのです。「立派な人を何カ月前までは私が追い出そうとしたんだなあ」と思いながら、そこで自ら反省し、自責するようになるのです。その反省する量が大きく、自責する深さが深いほど、それが尊敬度に変わるのです。尊敬度に変わり、順応できるたびに変わるのです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 小学校しか出ていないおばさんたちが田舎へ行って、教会を建て、一年、二年、三年、四年、一人でそこにすがって苦労しました。部落で今まで人ができないことをしたという事実は、その部落全体がいくら反対しても忘れようにも忘れられないのです。結局は自分たちより優れていることを知るようになります。

 自分たちは妻と一緒に住み、家族と共に住みながら不平を言っていたのに、あの人たちは一人でやって来て寂しく暮らしながら、部落が反対し、全体が反対するにもかかわらず、それを消化していきながら一年、二年、三年を過ごしてきたという事実は、世間にないというのです。そこから感激が起こるのです。こうなれば、年取ったおじいさん、おばあさんから、おばさん、おじさん、村の青少年に至るまで、全部尊敬するようになります。そういう感動的な要件を残したのです。(一七二―九一)