P.558

三 講義と伝道

1 み言には創造の能力がある

 我々「統一教会の原理の内容」といえば、身震いするほど話してみなさいというのです。身震いするほど、一度やってみようというと、それはどんなにおもしろく、どんなに興味深いか分かりません。み言は創造の能力をもっているという事実を、確実に分からなければなりません。私がどこに行こうとも、天が共にいることを知っているので、その心情が直接大衆に影響を与えることができるのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 そうしてこそ、この国が動くでしょう? 先生が一人で全部、歩くことができるかというのです。いろいろな人を通して、橋を架けるのです。ですから、皆さんは共同的運命圏内に、共同的責任圏内に立っているのです。皆さんは、み旨が早く成されればいいですか、それともゆっくり成されるのがいいですか? (早くです)。そうだとしたら、どうしたら早く成されますか? 八時間寝て仕事をするよりも、十五時間仕事をするとしたら、それだけ早くなり、二十四時間働くとしたらもっと早くなるというのです。一時間話をする人が、二時間話すようになれば、それだけ効果があるというのです。(一〇七―二五二)

 皆さんの救援の手が差し伸べられるところに、祝福があるということを知らなければなりません。皆さんの言葉が鳴り響くところに復活の役事が起こり、再創造の役事が行われるということを知らなければならないというのです。そうすることができる愛の爆発口が、所々に必要だということを皆さんは知らなければなりません。その代役者が統一教会しかないというのです。(一六六―八三)

 皆さんも原理のみ言を知ってみると、口を開いてみたくなるのです。家のことは話したくないけれども、原理のみ言を語らないと、御飯がおいしくないのです。御飯を食べたくないというのです。それを知っていますか? ですから、アメリカの女性たちに原理だけを教えると、地獄に行くしかなかった唇が天国に行くことができるというのです。

 だからと言って男性の唇は天国に行くのですか? それは地獄に行くというのです。家の風習を知りながらも実践しないから地獄に行くのです。なぜ口をつぐんでいますか? それでは、原理講義をすることが好きな者は手を挙げてみなさい。正直に。正直言って、私は全部知っています。すべて知っていますが、聞いてみるのです。本当に原理講義がしたくてする人と、仕方なくする人、嫌いだけれどする人、種類がたくさんあります。本当にしたくてする人はどれだけいますか? それでは何人ですか? 手を挙げてみなさい。さあ! 皆さんが本当に原理のみ言を話したくて話すようになれば、相対がますます増えるようになります。原理のみ言をよく話すようになると、原理的観点から創造力のために食口がよく増えるようになっているのに、なぜ、しがない者のように、万年行かなければならない人なのですか?

 不平を言うことができますか? 先生が間違っていると言えますか? 仕方なく話すならば絶対に創造がなされません。夜でも昼でも探していって話をしたいし、会いたくて探していって話さなければなりません。しょっちゅうそうすれば、創造がなされるのです。原理講義をするのをじっと聞いてみると、初めは言葉が少しずつ少しずつ出ていますが、約十五分ぐらい過ぎると、「わあ、わあ!」とこうなるのです。おもしろくなって、自分が酔っ払ってです。そういうふうにしましたか? 少しずつ、声を大きくして「わあ! わあ」としてみましたか? そういう講義をしてみたかというのです。(一六七―三三〇)

2 食口の増加は原理講義の回数に比例する

 今まで原理講義をしてみた人は手を挙げなさい! 講義をしなさいというのです。講義をしてみなくてはいけないというのです。原理講義をどれだけしたかによって、食口が比例的に増加するのです。

 韓国では私が劉協会長を立てて三年八カ月の間、一日平均十八時間、続けて講義をさせたのです。ですから人が来なければ、壁を見ながらでもしなさいというのです。一人でも来たなら汗を流しながらしなさいというのです。分かりますか、何のことか。(はい)。ただほうっておいてはいけないのです。きょうはこれが、特別指示です。(九五―二四四)

 それでは皆さんの中で、毎日のように講義をする人は手を挙げなさい。毎日のように講義を続けている人、手を挙げてみなさい。この者たち! 何人になるの? 手を挙げてみなさい。立ってみなさい。これはどうなっているのですか? この者たち! 先生がそのようにしなさいと言いましたか? 先生が講義をするなと言ったのかというのです。口が裂け、舌が裂けるほど講義をしなさいというのです。毎日のように……。これで伝道ができますか。お前たち、国を滅ぼすために責任者になったのですか? この者たち! 統一教会を滅ぼそうとして責任者になったのですか? こんなふうで伝道できますか? 伝道できると思いますか?

 巡回師たち、どこに行きましたか? 巡回師たち! 立ってみなさい。この者たち! このようにするために巡回師にしたのですか? 先生が命令したにもかかわらず……。毎日のように、一週間に一人伝道して、毎日のように講義しなさいと言ったなら、口を広げて講義をしなければならないでしょう。それが巡回師の使命です。何しに行くのですか? 御飯を食べに行くのですか、遊びに行くのですか?

 先生は一カ月に一人ずつ伝道しなければいけないと、何年も前から話をしているのです。それは統一教会のメンバーが命懸けで行かなければならない道であると教えてあげているのにもかかわらず……。お前たちは出歩きながらそれをコーチし、指導して講義しなければならないのです。ビデオテープを分けてあげ、本を分けてあげなさいということだけではないのです。全部、監視しなければならないというのです。何をしに出かけるのですか? 何をしに出かけるというのですか? 腹に御飯を詰め込めなくても、そういう思想をもっていなければならないというのです。

 昔、ニューヨークに神山がいた時は、何でもなかったというのです。講義を聞く人がどれだけ多いかということに比例して、食口が増えるというのです。講義をしないから、食口が増えるどころではないでしょう。この者たち!(九六―一三二)

 それでは、皆さんに講義をしなさいと言ってきましたが、今まで続けて講義をしてきましたか? 何日間しましたか? 一度、反省してみよというのです。ですから私が既にミセス・ダーストに「私がこうすれば間違いなく霊界が協助し、人が寄ってくる。努力しなさい」こう言ったのです。ミセス・ダーストは今、サンフランシスコ教会に、いる場所もなくて、悲惨な所にいるというので、このようにしなさいと。「必ずあなたはアメリカで一番多くの人が行く伝道師になるでしょう。ですからアメリカのために涙を流さなければならない。涙のあとが乾いてしまわないように、涙を流して祈祷をしなさい」と言うのです。そうすれば間違いなく、保護するというのです。霊界が協助するのです。それはどういうことか分かりますか?

 そのような雰囲気をどうやってつくるかというのです。今回、サンフランシスコで活動していた者たちをここに連れてきたのは、サンフランシスコと同じ雰囲気をどうやって二十四時間、本部に適応させるかということを考えたからです。可能です。そうなると思いますか? これは説明だけではありません。先生がしてみた経験です。私が、今まで周りを歩き回りながら毎日のように声をあげて、指示して講義してお尻をけとばしながら命令したのに、していないというのですか? 私が韓国に三、四人連れて、こうやって活動するようにしたのです。劉協会長が一日中講義をしているのに、足を踏んばって講義しているのに四人が出かけていって、命懸けで走らないでいられますか? 出かけていって活動してきて連れてくるというのです。一人も連れてこられなければ、明け方から出かけていって、ただ涙だけを流して事情を訴えて連れてくるのです。電話をして友達を連れてきて、親戚の八親等の人を連れてくるのです。時間さえあれば、みんなを連れてくるのです。そのようになりますか? なりませんか? (なると思います)。正直に言ってそのようになりますか? なりませんか? (なります)。間違いなくそうなるというのです。絶対的です。絶対的。

 私が韓国の責任者たちにこのようにしなさいと言ってもそうしなかったのに、最近になってそれ以外にないといって、そうしようと騒々しいのです。日本の責任者たちも自分の勝手にしていたのに、最近になって、それ以外にないというのです。アメリカの連中も好き勝手にしていましたが、それ以外にないということを悟る時が来るというのです。だからといって、礼拝の時間に参加しないでするのは、あり得ないのです。

 州の責任者たち、目だけをパチパチさせながら、顔つきが若い連中が、天井だけを見ながら年を取って死んでいくのですか? 原理を知ってから何年になったのですか? 統一教会に来てから何年になったのですか? アメリカはその間滅び去って、自由世界は共産世界の餌食になってしまったのではないですか。

 さて先生のみ言が何のことだか分かりましたか? 十八時間、十八時間ではなく十五時間は講義をしなさい。そういうことです。続けてやりなさい。一カ月でなく三年八カ月の間、病める者に講義をさせるようにしたのです。皆さんは、そういうふうにするだけで三カ月と八日にもならずに、食口たちが増えていくようになります。三年八カ月ではなく、三カ月と八日ぐらいだけでも、食口たちが増えていくというのです。たくさんついてくるというのです。食口が増えていくというのです。(一〇七―二四六)

 結局、食口増加率は原理講義の数に比例するのです。他のことではありません。今まで世界的に全部科学的なデータを取ってみて、そうだというのです。盲目的に伝道するなというのです。統一教会は、方法がすべて組み立てられているのです。二日修練会、三日修練会、七日修練会、二十一日修練会、四十日修練会、その次に百二十日修練会があるというのです。四十日修練会まではしなければなりません。食口にしようとすれば、そのようにしなければならないというのです。(一七二―四七)

 皆さんは地方に行って啓蒙する時、[rk]の字を黒板に書きながら講義をしたとしても、前に座っている少数の人々に対して講義をすると思わず、すべての天宙に対して講義をしなければなりません。汗を流しても天宙復帰の心情で「復活の汗」を流さなければなりません。そうすれば、歴史的な因縁をもっている後孫として、善霊を感動させ、善霊の良心と因縁をもち、実を結ぶようになります。(一一―二七二)

3 生命の問題は生命で解決しなければならない

 今は統一教会の責任者たちを見れば、すべて青白い者たちが、大学を出たって? この世を見てみると、もっている知識をすべてもっているのでしょうか? もつことができないということを知っているというのです。そうであるにもかかわらず、なぜそういう責任者として立てたのでしょうか? ここに問題があるというのです。ある人たちは何か、大学を出て責任者になればいいのに……。とんでもありません。そうしたからといって完全な責任者を見ることはできないというのです。大学を出たからといって、大学を出ていない人よりも良くできないことがいくらでもあるというのです。大学が問題ではないというのです。大学が問題ではないのです。問題はどこにあるのですか? 生命は生命として解決することが、問題解決の要件です。このようになるというのです。生命を知識として解決することはできないということを、皆さんは知らなければなりません。

 ペテロのような人間は無知識な者だったけれども、彼が出ていって講演をした時には、三千名、五千名を悔い改めさせたというのです。それは何かというと、生命の主人である神様の相対的権限をもって、代わりに使用した時は、彼を通して復活の役事が行われるというのです。それを知らなければなりません。生命は生命でだけ復活するのです。知識とはどういうものですか? 知識は補充し、選別するような時は必要だけれども、生命の直接的な問題においては必要ないというのです。

 皆さんは原理を知っていますが、知識的な原理として知っていてはいけないというのです。今日において統一教会の責任者たちを見てみると、生命的原理を知っている者たちではありません。知識的な原理として知っている人は多いけれども、生命的な原理として理解し、知っているだけでなく、そのように生きている人はいないというのです。知ってみると、この霊的な生命として生きなければならないというのです。今は生きているのですか? 生きていないというのです。問題はここにあるのです。

 そのような原則的な基盤に、皆さんが同一の場に立つことができないというのが病弊です。知識がないからといって病弊なのではないのです。知らないからといって病弊ではないというのです。これは何のことか分かりますか? (はい)。大学を出たからといって全部済んだのではないのです。博士でも駄目だというのです。

 ですから我々統一教会は「心情」を言って出てきたのです。心情です! 心情の基調はどこにあるのですか? 言葉の中にあるのではありません。生きるところにあるのです。分かりますか? そうではありませんか? 情緒的な問題というのは話の中にあるのですか? 言葉よりも、生きなければなりません。その次は生きる結果が良くなければなりません。そうでしょう? そういうふうになるのです。生きなければなりません。皆さんは原理的生活をしているのですか? 問題はそれです。(七〇―一四五)

 講義をする前に、皆さんが祈祷して出る時は、必ず涙を流して出ていかなければなりません。訪ねてきた人がここに寄ったのに、恩恵を受けさせなければ地獄に行くのです。天国には行けません。涙を流しながら本当に話せば、間違っているものがあっても、許してもらえるのであって、そのような心情がなくしては引っかかります。地獄に行く人間が讒訴するというのです。

 レバレンド・ムーンはアメリカに来て、この原理のみ言を教え、神様のみ言を話すのですが、レバレンド・ムーンが間違うようであれば、霊界の先祖たちがどんなに阻止するでしょうか? そのようになれば、統一教会も全部落ちていってしまうのです。それで皆さんはそのようにせずに、伝道がよくできると思いますか? 息子や娘が良くなると思いますか。皆さんはこれから全部蕩減を受けなければなりません。見てみなさいというのです。真をもって結実をもてなければ、それは審判の条件になるということを知らなければなりません。何のことか分かりますか?

 霊的指導者は深刻だというのです。彼にはサタンが出たり入ったりし、神様が出たり入ったりするのです。ですから今までの講師は先生が認定しません。博士であろうと何であろうと認定しないというのです。再教育しなければなりません。分かりますか? (はい)。(一六七―三三三)

 講義をする時、皆さんは内と外が全部、汗でぬれるほど講義をしてみなさいというのです。その次は、涙を流しなさいというのです。自分がこの講壇で倒れるのだ、生きた祭物となる、このような覚悟をしなければなりません。このようにしたなら全体が回っていくのです。そうではありませんか、主動的に動機的原因を成していくというのです。私がどんなにこうして何かやっても駄目なのです。これはどこかのラジオ放送とは違うのです。それは言葉の伝達、知識の伝達にはなりますが、生命の伝達にはなりません。復活の伝達にはならないのです。(六六―二一六)