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二 講師が取るべき態度

1 本人の体格によって取る態度を変える

 指導者と責任者というものは、それほど簡単なものではないということを、まず皆さんは考えなければなりません。百人なら百人、あるいは千人なら千人、環境が大きければ大きいほど多くの人がいても、その個人個人が全部各自それなりに講師なら講師、すなわち壇上に立った人を評価するようになっているのです。評価するにおいて自分より下手ならみな線を引いてしまうのです。しかし自分より何かしらいいという時は、聴衆は関心をもつようになるのです。ですから、この態度、態度が問題になるのです。

 自分自身が背が高いのか、低いのかによって、取る態度も変えなければならないのです。また、太っているのかほっそりしているのかという問題によって、左右されるのです。もし太った人が高慢にこうやっていてはいけないのです。それに合うようにどのようにするかという問題を研究しなければなりません。太った人、大きい人なら大きい人ほど、その立場から態度を変えて取らなければならないことを、皆さんは知らなければなりません。それから自分が西洋人か東洋人かということも考えなければなりません。黒髪か金髪かという問題を中心として、聴衆に基準を取って、どのような態度を取るべきかということをまず考えて、壇に上がらなければなりません。(六五―二九五)

 

 聴衆は、皆さんの体格や顔を見れば分かるのです。「あの人は女性のような人だ」このように見られたとき、女性のように「ええ……」、これでは駄目なのです。そういう時は口を大きく開けるのです。アー(口を大きく開けられる)口を大きく開けて話さなければなりません。目もこうしてはいけないのです。目もできるだけ大きく開けて、大衆を凝視すればよいのです。話すときは迫力をもって話さなければなりません。そうすれば「おお! 女性のような人だと思ったのに……。いやー!」、こうなるのです。

 ここの西洋人たちはのっぽの人が多いですが、あそこのあの小さな人は誰なのかと思うのです。小さな人が出てきてこんなふうにすれば「これは何だ?」(行動される)こうやって見るのです。そんな時は対策を練らなければなりません。出てきて雀の子のようにヨヨヨヨヨ……。雀の子の鳴き声みたいです、雀の子。(笑い) 大きくしなければなりません。力強く! (手をたたかれる)さあ、それが必要ですか、必要でないですか? (必要です)。

 それからできるならば壇上に立つ時は、眼鏡をかけないでいられれば、かけないほうがよいのです。(なぜですか?)。大衆の前に出れば、汗を流すようになっています。そこでその眼鏡をとってこんなふうにすればいいですか? (行動される)みな気分を損ってしまいます。そのときはこうやって拭いて、一度してからこうやって拭いてやらなければなりません(行動される)。こうやってしては駄目なのです。その環境で話した拍子と聴衆の呼吸を聞いてこのようにもして、(笑い) 同じでなければなりません。性格、態度……。その次に、いつも自分が聴衆を、全体観衆を左右する責任者だということを感じなければなりません。ですから眼鏡をして出ては支障が多いというのです。皆さんがこのように置いて、このようにするとすれば(行動される)眼鏡が外れてしまう程度にやらなければなりません。ですから大衆の前に出る時は、眼鏡をかけるということは支障が多いのです。先生はそれを知っています。(六五―二九八)

 

2 大衆集会における経験をたくさんもつ

 先生は昔、壇上に立てば服がみなぬれたものでした。三時間、四時間、五時間、六時間までしました。十二時間までもしたのです。そのくらいどうやって引っ張っていくのかというのです。そうなれば小便を催しても、トイレに行く時間が惜しくて行けないのです。「アイゴー」(行動される)こうしては、「ふう」と言うのです。(笑い) それは笑い事ではありません。それがどれほどすてきなのかということを、皆さんは考えなければならないのです。

 ですから、どのくらい聴衆を導いていくのかという問題は、話す人にかかっているのです。皆さん、パントマイムもあるではないですか? パントマイム、ある時は深刻な場面に来て、表情をもってそれをキャッチするようにすることが必要なのです。そうすれば聴衆が深刻になって、自分に完全に捕まえられる境地もあるというのです。ですから指導者の態度がどれほど比重が大きいかということを、皆さんはまず知らなければなりません。名医とはどういう人なのかといえば、多くの患者を診た人なのです。ですから皆さんが大衆集会で大衆を指導するのに対して、経験をたくさんもたなければなりません。ですから態度がどれほど貴重かということが、今、分かったでしょう。(六五―二九九)

 

3 個人の特技は関心を引くことのできる武器

 それから人は、見た目が良くなければなりません。このように立つ時にはまず、その人を見て気分が良くなければなりません。皆さんが聴衆がもっていない特技をもっているならば、いつもそれを武器として使い、門を開かせなければなりません。自分が歌がうまければ、詩のようなものを詠んでいきながら曲調を合わせてどうでどうでどうでどうで―(リズムを生かして)とすれば歌になるのです。そうすれば聴衆たちは「ああ、あの人は詩的素質もありながら音楽の素質もあるのだな。やあ! 歌もうまい」と思うのです。各々そのような特技があるのです。その特技のようなもので関心を買うことのできる面も、皆さんは考えなければならないのです。(笑い) (六五―三〇〇)

4 態度では服が問題だ

 その次には、服が問題になります。この態度では、服も問題になるのです。その人がどのような素質をもっているのかというとき、服をちらっと見て似合うのか、似合わないのかということを見るというのです。今、先生が似合うように着てきたというのではないのです。さあ、首の細い人がこのくらい(行動される)のネクタイを結んだとしましょう。それではいけないのです。ですから、それを見て全部、似合うように結ばなければならないのです。

 普通、皆さんがこれを結ぶとき(行動なさりながら)大概これがこうしてはいけないというのです。こうするならば、「あれは、何だ? (笑い) 話は上手にすることができるかもしれないけれども、何、自分の体に対しては分からないのだなあ」と直ちに評価するのです。できるならばこれをこのようにするには(行動なさる)大概これをするようになるならば、これが見えますからこれをきちんとより分けて、この程度であるならばよいというのです。また、あまりこうし過ぎて、このようになるならばよいのです。(行動なさる。笑い)これにチョッキを着るときは大丈夫なのです。したがって必ず聴衆の前にこれを出さなければならないので、いつもこのことを考えなければならないのです。

 皆さん、見なさい。先生の、ここにピンがあるのですが、一日中、この模様なのです。このように(行動なさる)なっているのです。(笑い) それは、いけないのです。これをさっと抱いて突いておくならば……。ですからこの態度には、服が問題だということを分からなければならないのです。服を着るとき、これがこの程度くらい出てくるのが良いのです。ですから、そのすべてのものが似合わなければならないのです。

 頭も同じなのです。頭髪を整えるにも、皆さん、顔がこのように細い人なのに頭髪を長くするのはいけないのです。自分の姿を見て全部、調和がなされなければならないのです。ですから、態度と服がどれだけ重要なのかということを知らなければなりません。また、色に対する一致が上手になされるようにし、そのようなことに関心をもたなければならないのです。

 先生は、この色に相当、鋭敏なのです。デパートにネクタイが数千本あるとしても、行って直ちに選び出すのです。このネクタイは、今、先生の服に合いませんけれども、譽進が贈ってくれたので今、結んでいるのです。(笑い)(六五―三〇〇)

 

5 聴衆によって態度を異にする

 聴衆が労働者か、学者か、学生かによって最初に現す態度を変えなければなりません。学生の時は強い発言から始めるのがよいのです。しかし学者たちの時には、最初はそろそろと言って、あるところまで上ってからは強く主張するのがよいのです。それから、芸術的な人が集ったのか、あるいはいろいろな運動をする人たちが集ったのかという問題までも知って、自分の態度をどのようにしなければならないのかということを、わきまえて出ていかなければなりません。ですからこの態度がどれほど重要なのかを、皆さんは知らなければなりません。(六五―二九六)

6 ジェスチャーも練習する

 皆さんがジェスチャーをするのもそうです。「全世界的にしながら……」、ジェスチャーはこれでは駄目なのです。そんな時には、このようにしては駄目だというのです。何かを指摘する時も、目を既に開けて出なければなりません。手がこのように出ては駄目だというのです。そのすべての表情やジェスチャーも、練習が必要です、練習が。皆さん、踊りのようなものもそうです。悲しい場面になれば悲しい表情をし、喜ばしい場面になればうれしい表情をしなければならないのです。それで感情を誘発させて自分の目的の内に入れてしまえばいいのです。

これは一つの戦争なのです。(五四―一七七)