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 三 講義時間の三倍祈祷した安昌成講師

 皆さんはみ言を伝える時、涙を流さなければなりません。安昌成講師が話したはずです。二時間講義しようとすれば、その講義時間の三倍祈祷しなさいと言いました。

 講義をするそこには、再創造の力が投入されなければなりません。再創造の力だけではなく、愛の力も投入されなければなりません。なぜですか? 創造の出発は愛の対象者のためである以上、愛を成就させるのです。それで自分のすべての知識と天稟的要素はもちろんですが、心情の要素まで愛を中心として投入しなければなりません。それが創造の正常的な原則でした。

 神様自身もそのようにしました。すべてのものを備えているその方も必要なものが愛なのです。愛は永遠不変なのです。永遠に同居し得る配偶者を立てようとするのに、自らがぶらぶらしていたのでは駄目なのです。自分の生命を投入しなければならないのです。

 自分の心と思いを尽くし精神を尽くし、主なるあなたの神様を愛しなさいと語られた、そのような心をもってしなければなりません。神様も同じです。自分の愛の相対を得るため心を尽くし思いを尽くし、精神を尽くすのです。神様が対象的愛である皆さんのために、すべてのものを投入したというのです。分かりますか? (はい)。

 神様もそのようにしたというのです。そのようにしたので、そのようにしろと指示することができるのではありませんか? それ以上にしたので、そう教えることができるのです。できなかったなら二人とも偽物になるのです。真実な立場で、主体性を備えた立場で自分が中心的立場に立ったため、そしてそのような実績基盤の上に立ったためにそのような指示をしても、周辺のすべての存在物たちが反抗せずに順応することができるのです。それが天地の法度です。一つの生命を再創造することが……。復帰歴史は再創造の歴史でしょう? (はい)。言葉は簡単です。再創造を誰がするのですか? 自分たちができますか? 神様の位置でするのです。(一七二―一九四)