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聖日敬拝の時間は厳粛で貴重です。安息日は、神様の前に栄光を帰す日なのです。(二一―一七八)
早朝敬拝の時間だけでも、天と直線上に立ちましょう。その時間は、本当に深刻な時間です。その時間に、一秒だけ遅れても悔い改めなさい。その時間には、聖物としてあめ一粒ずつでも準備しておいて、子供たちにわけてあげなさい。ちょうど聖餐式にするように……。(二七―八六)
日曜日に敬拝をささげる行事は、全家庭が一つの道へ行くためのものです。(一九―二六七)
早朝敬拝、精誠、礼拝時間を厳守できないで、自分の息子、娘が良くなることを願っても駄目なのです。いつも先生を中心として四位基台をなさなければならないのです。そして、ここから後孫を立てようと思えば、父母がちゃんとしなければなりません。(二一―八六)
毎日のように地区ならば地区長、地域なら地域長を中心として、本部に向かって敬拝式をしなければなりません。(三一―二七五)
先生は、朝の敬拝時間に少しだけ遅れても、その日、一日中顔を上げて歩けません。先生はそんな生活をしています。時計を見てたった一分でも遅れれば、気分を損ないます。その一日中、その一週間ずっと心が落ち着きません。そうして、次の週は早く起きて十倍百倍精誠をささげて、前の週の失敗を蕩減するのです。このように条件を立てるならば、心が平安です。私はこのように生きています。(三一―二五四)
見なさい。皆さん、朝五時に起きて敬拝をしたでしょう。(はい)。それはやりいいですか嫌いですか? 率直に答えなさい。するのが好きですか? (はい)。みんなうそです。(本当です)。仕方なくしているのです。(いいえ)。私も五時に起きるのは嫌なのに? (笑い) 私も嫌いです。率直な告白です。私も嫌いです。皆さんはそうではありませんか? (はい)。(笑い) レバレンド・ムーンも皆さんも同じです。同じなのです。(笑い)
ところで、なぜレバレンド・ムーンも嫌いなこともそのまましなければならないのでしょうか? 神様のためにそうなのです。その神様がいなければどれほどいいかというのですね。(笑い)(九一―三八)