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2 レビ族の祭司長の行く道

 将来、統一教会がどのように進むのかといえば、教会があくまで主流です。教会は、レビ一族に該当するというのです。レビ族には、持ち分がないのです。そうでしょう? 聖書を見ればそうです。レビ族は、支派は支派ですが、持ち分がないのです。その持ち分とは何でしょうか? 教会が持ち分です。

 それでは、支派の中で中心支派とは、どんな支派でしょうか? 十二支派の中で、分け前を受ける支派が中心でしょうか、分け前を受けないレビ族が中心でしょうか? どれですか? (レビ族が中心です)。レビ族が中心です。それに間違いないでしょう? (はい)。ですから、月給をもらう者は、傍系です。月給を受けずに、教会を守りながら活動する人が、原理的な立場に立った主流だというのです。これが、レビ族の行く道です。

 祭司長の取り分というものは、祭壇に供えた祭物以外には、食べるものがないのです。分かりますか? 取り分は、それしかないのです。それで、聖殿を中心として、至聖所に入って自分の生命を尽くす、祭物をささげることのできる祭司長になってこそ、取り分を受けるようになっているのです。

 ですから、統一教会の主流の路程は、教会で忠誠を尽くす人々がなすのだということを知らなければなりません。そして、それ以外の人は全部、教会に十一条をささげよというのです。ささげているでしょうか? (はい)。レビ族が設ける教会の祭壇の前に、すべての十一支派は、十一条をささげなければなりません。これから、十一条をささげなければ、統一教会の教会員ではないというのです。本来は十の三条をささげなければなりません。一つは自分の国のために、一つは世界のため、一つは神様のために、教会のために……。教会のために、国のために、世界のために、十の三条をささげなければならないというのです。

 ですから、共産党は、このことから、現物税は三○パーセント以上だということを知らなければならないというのです。分かりますか? (はい)。大韓民国でも、税金が三○パーセント以上に上がるでしょう? 三○パーセントが何ですか。八○パーセント、九○パーセント……。

 統一教会は、そのようにして、全部投入するのです。「そのような立場に従おうとしてそうなのだ」、そのように考えるのです。「ああ、生活が大変だから、教会長、教域長をやめよう」と言って、月給をたくさんくれる所を訪ねていく、そのような指導者がいたり、そのような責任者がいるならば、それは偽者です。教会と神様のみ旨を知らない者たちだということを知らなければなりません。いくら自分が不足だとしても、現在の職場を捨てて、「ああ、教会に連れていってください。月給がなくても行きます」、このような思想のない人は、統一教会の人ではないということを知らなければなりません。分かりますか、何の話か? (はい)。(八四・一六二)

 地域長、地区長とは何かといえば、祭司長です。祭司長は、どの一族から出たのかといえば、レビ一族から出ました。それでは、レビ族は、イスラエル民族がカナンの地に復帰された時、どのようになりましたか? レビ族が分け前を受けましたか、受けませんでしたか? 皆さん答えてみなさい。カナンの地に復帰したあと、十二支派に分かれた時、分け前にあずかりましたか、あずかりませんでしたか? それも分かりませんか? (あずかりませんでした)。レビ支派は、分け前にあずかることができませんでした。レビ族は、祭司長一族であるので……。祭司長一族は、カインたちが食べさせ、生活させなければならないのです。分かりますか?

 贖罪を受けるためにささげる祭物は、贖罪を受ける人々がささげるのです。祭物は、カインたちを贖罪してあげるためのものなので、カイン側で、アベルに祭物をささげ、食べさせ、生活させなければならないのです。分かりますか?

 アベルは誰が食べさせて生活させなければならないのですか? 父母が食べさせ生活させなければなりませんか、カインが食べさせ生活させなければなりませんか? (カインです)。カインがアベルを食べさせ生活させる代わりに、アベルは生命をささげるのです。物質的なものを基準とするカインと、人を基準とするアベルが、ここで一つとなるのです。それによって、復帰の基盤がなされるのです。イスラエル民族を代表する祭司長たちは、アベルの立場であるので、カインを復帰するための苦労の代価を支払い、カインを持ち物としてもつのでなく、人であるカインをもつようになるのです。分かりますか? (はい)。したがって祭司長の所有する持ち物とは何ですか? (カインです)。カインなのです。物質を分けてもらうのではなく、何を分けてもらったのですか? 人を分けてもらったのです。ですから、レビ一族は、イスラエル民族の中のどんな一族よりも貴重な一族だというのです。皆さん、カインになる人が大事ですか、物質が大事ですか? (カインになる人です)。カイン側の人が大事だというのです。これを皆さんは知らなければならないのです。ですから、カイン側の人々は、アベルを食べさせ、生活させなければならないのです。

 統一教会を例にして見たときに、統一教会全体の前に、アベルは誰ですか? (先生です)。統一教会全体の前に、アベルは先生であるので、皆さんは先生を食べさせ、生活させなければなりません。そして、先生はアベルとして犠牲となって、カインたちを生かしてあげなければなりません。それが先生の使命です。分かりましたか? 統一教会の教会員たちが、先生を食べさせ生活させてあげなくてはならないのです。そうでしょう? 先生が月給をあげれば、原理原則に反しますか、一致しますか? (反します)。ですから、月給をあげては駄目なのです。

 ところで、婦人たちは「どこどこは月給をもらっているのに……」と言います。しかし、それが大事なことではありません。どこの誰よりも教域者がもっと重要なのです。分かりましたか? 地区長、地域長たちが、さらに大切であるので、第一骨髄分子として、責任をもつ、そのような人々には、月給を与えないのが原則なのです。月給をあげることにおいて、私が月給をあげたくてあげるのは良いけれども、地区長、地域長が要求して月給をあげるのは、駄目だということです。原則がそうなのです。

 ここにいる地区長夫人、あるいは、地域長夫人たちは、「私たちは、こんなに苦しい生活をしているのに、先生はあのように良い暮らしをしているのですから、私たちを愛する先生であるならば私たちに少し分けてくれなければならないのに」と言うかもしれませんが、それは先生の使命ではないというのです。分かりますか? 皆さんは、これをはっきり知らなければなりません。本部に対し、求めるなというのです。(四四・一四六)