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1 本郷の地、定州
統一教会の教会員の故郷はどこかと言えば、本郷の地だと言いました。そう、その本郷の地はどこですか。(定州です)。本郷の地は韓国です。韓国なのです。世界に広がっている統一教会員に「本郷の地はどこか」と聞くと、韓国だと言うのです。韓国のどこかと言えば、定州と言えずに、目をパチパチしていますね。(笑い)皆さんはここの近くにいますから定州と言っていますが、彼らは定州という言葉を知りません。
ここ韓国に住む者たちに本郷の地はどこかと聞けば、全羅道の連中、慶尚道の連中、どこでしたか。私が何と言いましたか。(チョンヂュ)。チョンヂュはどこにありますか。(北韓の地です)。全羅南道にチョンヂュ(井州)がありますか、それとも全羅北道にありますか。(全羅北道です)。全羅北道のチョンヂュは、北韓のチョンヂュと同じ文字ですか。(違います)。それは井戸の「井」という文字(舛/チョン)の井州で、北韓にあるチョンヂュはどういう文字かと言えば、定めるという文字の定州です。名前としては井戸の井が良いですか、定めるの定州が良いですか。定めるという字の定州が良いのですか。(定めるの「定」の字です)。
本来、その意味から見ると、定めるの「定」の字の定州は、定められた所です。誰が定めたのですか。(神様ですか)。誰かは知りませんが、我々の先祖が定めたのです。我々の先祖が定めた時、多分、啓示のようなものを受けて決めたのでしょう。(一九八七・一一・一)
先生が生まれ、暮らした定州郡徳彦面上思里という所は以南の部落として知れわたっていました。以南の部落として、それほど有名だったのです。定州の地に行って「以南部落はどこですか」と尋ねれば、「上思だ」と答えるのです。私は共産主義が嫌いですが、私の故郷の人々も共産主義を最も嫌っていました。それで以南部落として知れわたったのです。
ですから、その部落に行ったなら得することはありません。それで、仕方なく三十八線を越えたのです。以南部落の代表的な所が南韓の地だったので、南韓で解放の準備をせずにはいられず、三十八度線を越えてきたのです。
故郷の父母、私の母は私を本当に愛していました。すべての母親が我が子を愛しますが、特に母は私を愛しました。そのことをじっくり話すと涙が出る場面が多いのです。それほど私を愛しましたが、その故郷にいらっしゃる母に会いもせず、なぜ、以南に下りてきたのでしょうか。それが問題です。
父母を連れて来ればいいのに、なぜ一人で以南に来たのでしょうか。父母はいつも私に属する者たちです。私に属する人々です。違いますか。父母は他の人に属した人ではないのです。私が苦しい時も良い時も、あるいは苦痛を感じる時も、どのような時も、その母を訪ねて会うことができます。
しかし、南韓の地は違います。南韓という所はいつでも会える所ではありません。それは他人です。一族とは違うのです。ですから、この国を救うためには、南韓を救うためには家族を連れてきてはいけないのです。そういう意味で南韓の地にきて、何をしようとしたのでしょうか。(一九八七・一一・一)
南韓を一つにつくり、北韓の地で操り人形のように共産党に従う者を追放してしまい、大韓民国を自由な所にしなければなりません。先生が生まれた所は、摂理から言えば皆さんの本郷です。聖なる所であり、本郷なのです。希望をもって、そこを探して神様の前に感謝できるその日をもたなければ、国を救うことはできないのです。そうなっているのです。
三千里の韓半島を得ようとするなら、必ず北韓の地に行って天の前に感謝できるその日を迎えなければいけません。そうでなければ、三千里半島を復帰できません。言い換えれば、大韓民国においてのカインとアベル、すなわち、北朝イスラエルと南朝ユダに分かれた国家の恨みを探して一つに結んで、勝利的イスラエルの旗を統一した圏内で神様の前に捧げなければ、世界復帰は不可能だというのです。(三〇―二八)
天国には、父母を迎えなければ行くことができません。キリスト教が完全に一つになれば父母を迎えるのです。そして、エルサレムの聖地に行こうとしたすべてのキリスト教徒たちが先生の故郷を訪ねてくるのです。先生が生まれた北韓の地が聖地だということを知らなければなりません。「北韓の地に行こう」と言う世界の喚声が東西南北に響き渡る時、金日成は後退します。行かなければ、中共やアメリカ、日本を通じて圧力をかけるのです。中共政府がどんなに嫌だと言っても、私を受け入れない限りは二十、三十年進んだ科学技術を失うのです。その基盤をすべてつくっておきました。私は科学技術の基準を世界的に平準化して、万民を平等化しようとしました。
イスラエルと中東の戦いは、世界平和教授協議会を通して和解させています。大使たちができないことを、ばかにされながらも成就させてきました。
2 先生の故郷に対する思い出と愛
故郷とは帰りたい所です。先生は死んでも外地で死ぬのではなく、故郷に帰って死にたいのです。それでは、なぜ故郷は帰りたい所なのでしょうか。そこは裕福に食べて暮らせる所だからではなく、忘れられない情緒的な内容が残っている所だからです。そこにいてこそ、自分が幼い時に父母から愛されたことを思い出すことができるし、そのような愛を中心として結ばれた自然環境に再び浸って、入っていくことができるからです。このように、故郷はすべての因縁が初めて結ばれた所なので、貴いのです。
先生は故郷で忘れられないことがあります。皆さんも、さつまいもを食べてみたでしょうが、このさつまいもはもともと日本から入ってきたものです。先生が七、八歳のころの出来事です。ある日、母方の家に行くと、(母方の)おばあさんが外孫が来たと言って、さつまいもをわざわざ茹でてくれましたが、それが本当においしかったのです。おいしい食べ物を食べる時、「二人で食べていて、一人が死んでも分からないほどおいしい」と、よく言いますが、とにかく、それほどおいしかったのです。今でもおばあさんが茹でてくれた、その一籠のさつまいもの味を忘れることができません。初めて食べる時は、ただ食べるのに忙しくて皮もむかずに食べました。
今でも先生はどこかに行って珍しい物を食べる時は、昔、おばあさんの家でさつまいもを食べたことを思い出したりします。このように人には初めて覚えた、その初めての物が貴いというのです。人は誰でも自分の父母を中心として、その懐に抱かれて感じた、さまざまな出来事が目の前に生き生きとよみがえるのです。それは、経験的な知識を中心としたその記憶が思い出されるのではなく、情緒的な関係を中心として起こったことを忘れることができないので、その記憶がよみがえるのです。
人々は自分の故郷に帰れば、昔の情緒的なことを回想します。ですから、どこへ行っても故郷のすべてのことが懐かしくなるのです。そして、故郷に帰れば、すべてのことを思い出して喚起できるのです。そこには主体的な情緒的背景があるので、環境を情緒的に収拾できる因縁があるのです。また、そこには私を中心として家庭全体、部落全体が関係を結んでいるので、故郷を忘れることができないのです。成功して故郷に帰ることを、「故郷に錦を飾る」と言うではありませんか。実際、故郷に錦を飾ると言って帰っても、そこには何もないのです。成功して家に帰ってみても、父母や兄姉は皆この世を去っているでしょう。それでも故郷に錦を飾って、自分がもっている喜びのすべてを故郷の地に植え付けたいと思うのです。
ここにいる先生もそうだというのです。外地であらゆることが数多くありましたが、それを全部糾合して、祖国に訪ねていけばどうですか。金浦空港に来れば、既に祖国の地なのに、ソウルを過ぎてあの田舎の平安北道の定州の地、そこに訪ねて行きたいのです。そこは田舎で、海の近くですが、なぜ行きたいのでしょうか。出発もそこでしたから、そこに行って会わなければならないのです。何を中心としてでしょうか。情緒的基準を中心として帰りたいというのです。(一九八六・二・一六)
三十八度線を越えて行けば、先生の故郷があります。故郷に行けば見るものが本当にたくさんあります。三十八度線を回り回って、ゆっくりと歩きながら一歩ずつ行く場所ごとに、見物したいものがたくさんあります。何歩か登っていって、ごろごろと降りてきたりして、もう一度ゆっくりと見て回りながら故郷に行きたいのです。(一九八八・一・二)
先生の北韓の故郷には朝鮮五葉松が植えてあって、松の実を取って食べながら過ごしました。ですから他の木に比べて、その松の木が大変好きです。故郷の五葉松の思い出を通して五葉松が好きになり、五葉松を見ると故郷での追憶がよみがえり、懐かしさが込み上げてきます。
先生は現在、北側の故郷に行きたくても行くことができません。それに比べれば、皆さんは訪ねていく故郷があって、どれほど良いでしょうか。皆さんが故郷を訪ねていき、故郷復帰を成すことは統一時代を開くことであり、先生の故郷を取り戻すことでもあることを知らなければなりません。(一九八八・六・一)
先生の故郷の家には樹齢二十年ぐらいの大きな栗の木がありました。私が申年だからそうなのかも知れませんが、木登りをしによく通いました。登って枝がしなると下の枝に腰掛けて、棒で栗の実を落とすのがとてもおもしろかったのです。その時の記憶が今でも思い出されますが、多分、田舎で育たなかった人にはそのようなことは分からないでしょう。
また、家の前にはアカシアの木が何本かありましたが、カチガラス(カササギ)が一年中、声を出して鳴きます。一般的にカチは吉鳥だと言うではありませんか。先生は時折、カチの巣まで、あっという間に登ったりしました。カチの巣の形をじっくり見ると、先生は今年は風がどちらの方向にたくさん吹くかを知ることができたのです。カチは風がたくさん吹く方向を知って巣を作るからです。そのカチが巣を作るのを見ていると本当に不思議です。誰が教えてくれたのか分かりませんが、傑作を作りました。その腕前は大したものだったのです。
そして、カチが巣を作り終えると、間もなく卵を産みます。その卵を見ると薄青い線のまだらで、本当にきれいです。その大きさは鶏卵の約四分の一程度になります。カチは自分が卵を産むまでは、人が巣の場所に近づくと作ろうとしません。また卵を産んでからは大騒ぎです。もし、自分の巣の周囲に誰かが近づくと、その時は村中のカチガラスが飛んできて、デモをするのです。
先生はそのような趣味があって、特別な観察をたくさんしました。ですから鳥たちの生態については詳しいのです。カチが卵をたくさん産む時は十個以上も産みます。先生がそのカチの巣の所まで登ったり下りたりしながら、慣れてくるとおもしろいことが起こりました。私がいくら行ったりきたりしても被害を加えないので、それが分かった時から、私がぬっと登っていくと彼らは先に、「またきたな」と思って「クェックェッ」と鳴きながらあいさつをするのです。ですから私も「クェックェッ」とあいさつをしました。それからは、その巣の中を一度のぞいてから降りてきたりしました。ある時は雨が降って登らなかったりしますね。そのような時は、私が外に出ると、どこから出てきて私を見たのか、「クェックェッ」と鳴きながら通り過ぎていきます。きょうはどうして登ってこないのかと言うようでした。鳥たちも人が好きだということです。このようにしてみたことのない人には分からないでしょうが、うそではないのです。
また、先生は鳥たちに対して意地悪ないたずらをしてみました。鳥の雛が孵ると私は巣を作って、わざとその雛を取り込み、母鳥につつかれてしまったことがありました。それを見ると、鳥たちが自分の雛を愛する心は大したものです。人間が自分の子供を愛するにおいて、たくさん学ぶことがあると思いました。
このように、鳥の世界も愛の情緒をもって動くのです。それでは、すべての情緒的な起源はどこからきたのでしょうか。(一九八六・二・一六)
先生が幼いころ育った村は田舎だったので、季節が変わるたびに渡り鳥たちが訪ねてきて、季節ごとに違った花がいっぱいに咲く環境でした。その中で成長したのです。先生が幼かったころは韓国のどこに行っても季節がはっきりしていて、季節が変わるたびに美しい自然に出合うことができました。今日のソウルは一日歩いても自然と出合うことができず、すべてが人為的な自然景観だけの索漠な都会になって、悲しさを感じたりもします。このような都会の環境の中で育った人間は情緒が不足し、自然の神秘と美しさを感じる機会がなく、乱暴になったり、個人主義の性格になりやすいことを知らなければなりません。自然との出合いの中でたくさんのことを学び悟るようになるのです。
先生は自然の中でたくさんのことを学び取ることができました。その中でも真実の愛がどのようなものであり、幸福とはどのようなものなのかについても、それなりに悟りました。学教教育よりも、もっと根本的なことを学ぶことができるのが自然界でした。
季節が変わり、美しい鳥が飛んでくるのを発見すると、その鳥を追いかけては、どのように巣を作り、どのような姿で暮らしているのかを観察しました。ある時は鳥の巣を探すのに一週間かかったり、鳥が卵を産んで雛が孵るのを見るために十日以上もかかったりしました。親鳥に似てかわいく、きれいな雛を見ながら、神様の神秘と愛の深さを確認したりもしました。(一九八六・一・三)
先生が生まれた故郷の地、昔、私が育ったあの野原、私が遊んだあの村で、それを実際の教材として教育したいのです。分かりますか。(はい)。その山河で駆け回って遊んだ、あの時、あのころを、皆さんが死ぬ前に、直接先生を通して説明を聞く時、先生の歴史を確実に知る皆さんになることを知らなければなりません。皆さんは、先生がどのようにして育ったのか、分からないでしょう?(はい)。(五〇―一七七)
3 我々が行かなければならない定州
先生の故郷に行ってみたいですか。(はい)。ソウルから行くなら私の家まで五十七里です。ここからどこまで行くのと同じでしょうか。(金泉〈慶尚北道にある〉です)。金泉、金泉ならここから車に乗って走れば、二時間半で行けます。二時間半です。先生が生きているうちに先生の故郷に訪ねて行くことができなかったなら、先生は霊界に行って面目がないのです。私の父母に対して面目がないのです。これから先生は故郷の地に行き、父母の所に帰って、父母のために祈祷もしてあげます。皆さんもそうしなければならないのです。分かりますか。(はい)。それは摂理観なのです。(一六四―二四三)
皆さんは北韓に行かなければなりませんか、行かなくてもいいですか。(行かなければなりません)。赤たち(共産主義者)が大韓民国に来て地下運動をしているのに、皆さんはどうするのですか。(我々も北へ行ってやります)。皆さんは常にそれを考えなければなりません。先生もそのような理由で北に行ってきました。
先生の故郷が北の定州ですから、皆さんも、定州に行ってみたいでしょう? (はい)。なぜ行きたいのですか。そこに行けば、先生は話したいことがたくさんあります。私の幼かったころの逸話が数多くあります。ですから皆さんも一度行ってみたいのです。そこに行ってみなければ、霊界に行って恥ずかしくなるでしょう。これから統一思想をもった人々が、イスラム教のメッカのように、キリスト教のエルサレムのように考えるようになるでしょう。
皆さんがこの国に暮らしながら、生前に先生の故郷に行くこともできずに霊界に行ったなら、顔を上げられると思いますか。霊界に行って、先生の故郷にも行かずにいったい何をしていたのかと、後ろ指を差されるのです。(三四―六七)
統一は完遂しなければなりません。皆さんは先生が生まれた故郷の地を踏んで見ることができなければ、死んでから恨みが多いということを知らなければなりません。北の定州の地、先生が生まれて育った所に行って、先生が幼いころ飲んだ水を飲んでみて、先生が飛び回って遊んだ丘に登って歩き回ってみて、皆さんの息子、娘たちがその場所で聖なる賛美の声も高らかに神様の前に祝杯を捧げる時、先生が生まれたことを祝うことができず、先生に侍ることもできなかったことを解怨成就し、蕩減できることを知らなければなりません。
皆さんが死ぬ前に先生が生まれた所に行くことができなければ、統一教会の食口として恨が残ることを考えなければなりません。ですから、これを皆さんの特別な義務として決心し、先頭に立って統一のその日まで勇気をもって前進し、勝利を誓いながら戦ってくれることを再三お願いします。もう一度「統一の歌」を歌いましょう。(四三―一七七)
祖国と言えば、どのような所が祖国ですか。南韓が祖国ですか。統一教会の教会員は、「我々の祖国」と言えば先生が生まれた故郷ではありませんか。北韓の地がこのようになったので、統一教会の群れはどのような犠牲を払ってもこれを奪還しなければなりません。(一六五―三二四)
先生が故郷に帰らなければなりません。皆さんは何ですか。皆さんは先生が生んだ息子、娘と同じです。ヤコブが故郷に帰り、エサウを訪ねていく時には子供たちが皆ついて行ったでしょう? (はい)。そのように一緒について帰るのです。(一六四―二八五)
皆さんは先生の故郷が自分の故郷であることを事実として信じ、全羅道の人も、慶尚道の人も人も自分の故郷に再び行くことができなかったとしても、先生の故郷に行かなければならないと決心をしているということは革命的なことです。「アーメン」。歴史的ですよ、歴史的です。ゆえに、これは人類歴史上一度しかないことです。先生と一緒に先生の故郷に行くことができ、人類の本郷の地に行くことができる位置に立てるというのは、一時代しかありません。(一九八七・一一・一)
三十六家庭が行かなければならない所はどこですか。故郷の地、天国に行かなければなりません。三十六家庭は天国から、神様の愛から、故郷の地の父母の血肉を通して生まれてくるべきです。その愛が出発して世の中にいくら流れていっても、それは戻るのです。
皆さん、アラスカへ行けば鮭がいます。鮭を知っているでしょう? 五種類います。ピンク色に光るのもいれば、赤く光るのもいて、さまざまな種類の鮭がいます。この魚の卵を真水で稚魚に孵し、掌ほどのものを何カ月間か置いて放せば、それが海に出て行きます。四千匹、五千匹が五大洋を経てくるのです。そのように旅をするのです。そして、四年が過ぎれば帰ってきて卵を産むころになります。成熟した雌と雄となって卵を産むころになると、どこへ行って真の愛の対象を見つけますか。自分が生まれた所を訪ねていき、会おうという条約になっています。そのような法度になっているのです。それを誰が決めたのですか。その鮭たちが決めたのでしょうか。これは神秘的な問題です。(一九八七・一〇・三一)
先生の故郷に行く時は、どのようにして行きますか。一人で行きますか。夫を連れて行きますか。(一緒に行きます)。子供たちはどうしますか。(子供たちも一緒に行かなくては)。行って、どこで、どうやって食べていくのですか。一度に押し寄せたらどうするのですか。(買って食べましょう)。私がその村では、もう家も建てられないようにしようとしているのです。商売人を集めて、ありとあらゆることをするのです。
では、文長老、出てきて歌でも一曲歌いなさい。私は気がしゃきっとしません。一日中話をしていると、そうなるのです。文長老、私の故郷について質問したいことがあれば言ってみなさい。(拍手)(地形を一度黒板に描いて説明をしてください)。私は絵が下手なのでだめです。上手だったら、既に全部描いておいたことでしょう。(では、「永邊歌」を歌います)。歌ってください。(文長老、「永邊歌」を歌う)(一六四―二四四)