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一.宗教が追求してきた一つの世界
本来、人間始祖であるアダムとエバが堕落しなかったなら、どうなったでしょうか。アダム家庭のアダムは族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また、国家の代表になって、アダム王になるのです。ですから、この世界はアダム主義一つに統一されてくるのです。つまらない主義などは畳んで片づけなければなりません。つまらない主義が出てきて世界を狂乱させているので、全部抜き取らなくてはなりません。
主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活方式もアダム生活方式、制度もアダム制度、とにかくすべてがアダム国家の理念制度になるはずでした。このような主義が神主義です。神様の心によって神様と一体とならなければならないので、神主義というのです。(二〇―一二三)
家庭を中心として見る時、堕落しないアダムとエバの家庭はアダムとエバ、二人だけの家庭ですか、宇宙を代表しますか。(宇宙です)。その次に神様において、その国は誰の国ですか。神様の国ですか、アダムとエバの国ですか。アダムの国ですか、エバの国ですか。神様と共通の目的をもったアダムとエバの国ですか。神様を中心としたアダムとエバの国です。それから、国が拡大したのが世界ですが、その世界もやはり神様を中心とした世界です。それを知らなければなりません。
サタン世界はどうなっていますか。さまざまな国があります。一つの国にはなっていません。これを片づけてしまって、堕落しない人間が、神様と共に行かなければならないので、サタンが反対し、ありとあらゆることをしますが、このような世界をあとにして成していなければ、理想世界が来ないというのです。ですから、結論は何かと言えば、神様のような人になればサタン世界はなくなるというのです。どのような人も、ついて回ってじっくりと見ると、その心に神様がいて、一人の世界的な完成人がいて、世界的な家庭があって、世界的な国があって、世界的な主義があれば終わるのです。そうできる人になればすべて大丈夫なのです。(二六一―一六三)
今まで、キリスト教が探してきたものは何ですか。キリスト教がそれほど待ちこがれたものは何でしょうか。それは神様に侍ることであり、神様が送られた新郎を迎えることであり、その新郎を迎える新婦を準備することです。また、その子女たちを探すことであり、彼らと共に楽しく過ごすことのできる氏族を備えることであり、その氏族と共に世界を復帰できる民族を編成して、彼らと共に一つの世界国家を編成することです。
数多くの宗教がより多く伝道をしようとする目的もそこにあります。道(教え)を中心として世界人を規定しようというのです。それで世界のすべての宗教は伝道を通して、選民をつくり、その次は世界を一つの故郷に、世界の人を親戚に、一つの民をつくろうというのです。そこで我々韓民族は宗家です。宗教を信じる子孫だというのです。また、宗子たちです。そう言っても西洋人、すなわち、白人、黒人たちとも一つにならなければなりません。何をもって一つになるのかというと、愛によって一つになるのです。その愛は神様の血肉に通じる愛でなければなりません。(一八―一一〇)
神様が最も好まれるのは愛の文化です。神様はお金や権力、知識などが必要ですか。良い家に住むためには煉瓦が必要だし、ドアも必要だし、たくさんの材料が必要ですが、その中でも一番重要なのはその家を完成させる総合的な美を備えることです。人間に対して神様が願われる最も大きな願いは大金持ちになることや、学者になることではありません。聖書のみ言どおりになることです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・37)と言われましたが、それが一つ目の戒めです。二つ目は「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と言われました。驚くべきみ言です。
コリント人への第一の手紙第十三章の愛の章にも「信仰と愛と希望」、この三つはいつもあるが、この中で最も大いなるものは愛である、と言ったではありませんか。しかし、人間はそれを知らなかったのです。「あなたの心をつくし、精神をつくし、思いをつくして……」とは、どういう意味ですか。命を投げ出して愛しなさい、ということです。皆さん、誰をそれほどまでに完全に愛してみましたか。妻の立場で夫を完全に愛し、弟子は完全に師匠を愛し、民たるもの完全に国を愛してみたのでしょうか。誰も完全なる愛を経験していないので、モデルをつくらなければなりません。工場で金型をつくって品物を大量生産するのと同じで、その金型のような真なる人間のモデルをつくらなければなりません。それでこそ、そのモデルを見習って真なる人間たちが世界に広がっていくのです。
皆さん、理想世界とか、一つの統一世界というものは、未完成の状態では成されないのです。無知から成すことはできないのです。ですから、完全なる方、完全に知っていらっしゃる一人の方を送って、その国の人たちと接触させようとされたのです。これがメシヤを送ると言われた、神様の約束でした。神様を中心とした主権国家の形成はイエス様を中心として始まらなければならないし、それはイエス様とその国の民が完全に一つになってこそ可能だったです。すなわち、メシヤを迎えて未完成の個人が完成するため手続きと、家庭が完成するための手続き、民族、国家が完成するための手続きを、全部イエス様のみこころを受けて一体化してなさなければならないのです。
ところで、このような歴史を通してメシヤを迎えるイスラエル民族は、イスラエル民族自体のためにメシヤが送られたというよりも、メシヤとイスラエル民族が一つになって世界を救うようにされたのが神様のみ旨だったことを、知らなかったのです。(五四―四一)
統一思想の目標は統一世界、神様を中心とした一つの国を成すためにあります。「私の誓い」と同様に、その国の一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心として一つの血統に連結されています。その国ではすべてが心情圏を成して、理想的な後継者になるという誓いを成すことができます。聖書でいう「怨讐を愛せよ」という内容をすべて成すことができます。(一九八三・四・三)
今までの宗教は家を出なさいと言っていましたが、世界的な最後の統一教会は国を出なさいと言うのです。白人は白人を離れなさい。黒人は黒人を離れなさい。黄色人種は黄色人種を離れなさい。これはレバレンド・ムーン時代に初めて起こったことです。ですから、レバレンド・ムーンが主張することは、最後の主張であることを皆さんは知らなければなりません。
ここにいる日本の食口たちも、先生が「日本から出てきなさい!」と言ったので出てきたのです。私がアフリカへ行って、「あなた方は、アメリカを出てアフリカに来なさい!」と言えば、異議なく全員が来なければならないのです。「ああ、私は嫌だ。この場所がいい!」と言えば、昔のロトの時と全く同じです。ソドムとゴモラの城に住んでいたのと、全く同じなのです。
皆さんはどのような群れですか。一つのみ旨は、教権制度を通して世界を一つの国にするためだというのです。「私の誓い」がそうなっているではありませんか。一つの主権を愛し、一つの民を愛し、一つの国を愛するというのです。すべてがそうなっているのです。一つの父母、一つの伝統、一つの血統を誓うのです。皆さんはどこに属した人たちですか。天の国の人たちです。皆さんは既に、楽園の人です。アメリカ人ではありません。この地上に住んでいない天の国の人だというのです。ここ地上には乱暴者がいっぱいです。
我々はどこへ行くのですか。天の国なのですが、家庭的な天の国から氏族的天の国、世界的天の国、宇宙的な天の国に行くというのです。そうなる時まで行かなければなりません。地上では世界を私の国と思い、万民を私の兄弟と思う、世界を中心としてこのような伝統を受け継いだ人は、間違いなく天の国に一番近い場所に行くのです。これは理論的です。
皆さんが天国に行く時、「父母や子供たちを連れていく」と考えてはいけません。国を連れていくと言わなければなりません。そこには皆さんの父母、皆さんの民族が含まれているのです。国を捨てて、私を中心に「ああ、我が息子、娘……」ではないのです。国を連れて入らなければなりません。国の中に自分の息子、娘が全部含まれているのです。先生に言わせれば、「先生は世界を連れて天国に入らなければならない」と、食事をするときも、何をするにもこのように考えて暮らしてきたのです。そのように暮らしてきたので、この天上世界の中心に行くのです。まさに、これが神様の考えであり、真の父母の考えであり、真の子女の考えではないでしょうか。(一六一―二二五)
神様の創造した世界は国境があり得ません。白黒の人種問題も問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないでしょう。こういう観点から見る時、我々が暮らす世界に国境がありますか。黒白の人種問題だけではなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にすべて分裂が生じました。善なる人と悪なる人が闘っているのです。
このような現情勢を見てみる時、涙される主は国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭を統一しなければならないし、善悪が闘うこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。(五三―七二)
天国とはどのようなところですか。地上天国とは、どのようなところでしょうか。我々統一教会の食口のような人々が全世界で暮らすのです。それが地上天国です。この地上のすべての人々が統一教会の食口のように暮らせば、それが地上天国です。その世界とは何ですか。教会が永遠に神様と共にある世界であり、共産党がいない世界です。誰一人、神様がいないと言う者はなく、神様に対し疑いの心がありません。神様を我が父とし、すべてが一つとなった世界なのです。それから、サタンの誘惑もなく、サタンがいないのです。神様が主管する世界、それが地上天国なのです。神様が我々と共に暮らすのです。(七九―三〇四)