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三.神様の祖国光復の道

 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるとすれば、その人はどのような主張をしなければならないと思いますか。この世の人たちの好きな方向に行け、という主張は絶対にできません。かえって、その反対の道に行けという主張をしなければなりません。それに該当する代表的な標語が、「愛の心をもって怨讐を愛せよ!」という言葉です。「怨讐を愛せよ!」この言葉は間違った歴史を返すことができるので、台風に押されていく船の帆と同じなのです。

 しかし、復帰摂理歴史を通して、「怨讐を愛せよ!」という言葉を実践してきた人はいません。もし、怨讐を愛することができる人がいたなら、その人たちは一つの組織的な形態を備えて、世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるのです。そのような運動を神様が提示しなければならないのです。そして、神様によって提示されたその運動の繁栄体が、歴史に現れた宗教の運動であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今まで、神様が最も愛した人は誰でしょうか。イエス様なのです。イエス様は戦いを続けているこの世に新しい方向を提示してくれました。ローマやイスラエルと同じように、圧迫国家と被圧迫国家の間にはお互いに怨讐視する高い塀がありますが、イエス様の哲学はそれを崩すのです。イエス様は「あなた方ローマは力で私を制服しようとしているが、私は反対に愛をもって、あなた方を征服する」と思ったのです。それで、十字架にかかりながらも、怨讐のために幸せを祈ってあげたのです。

 そのような思想がローマの兵士たちに対して、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」という驚くべき宣言として現れたことを知らなければなりません。イエス様がそのようにされることで、怨讐視する世界のすべての国が、お互いにそれを越えることができ、それが、二つの国家間の国境を越えることのできる一つの原型、または典型になっているのです。

 イエス様は個人的な怨讐がすべてではないということを知ったのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐が四方から縛りつけられているということを知りました。この言葉は、私の道に従って行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているという意味です。そして、家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っていて、氏族的に行けば氏族的な怨讐が待っていて、熾烈な戦いが予想されますが、その時ごとに怨讐を愛するというのがみ言です。このような精神をもっていれば、いつかは勝利することができるのです。

 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国の光復はどこから実現されるでしょうか。怨讐を愛する思想をもった個人から出発するのです。ですから、神様がいらっしゃる限り、愛によって国境を壊し、すべての環境と文化的な壁を乗り越えて、怨讐までも懐に抱く運動を提示したキリスト教が世界的な宗教だと言わざるを得ないのです。豆を植えれば豆になり、小豆を植えれば小豆になり、赤い花の種からは赤い花が咲きます。同様に怨讐を打つ種を植えれば、怨讐を打つ悪魔の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を植えれば、怨讐を愛する善の木が育つというのです。これは自然の理知なのです。(一〇七―一八)

 神様の祖国はどこから、どのような道を訪ねてきたのでしょうか。それは怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家、世界を愛する伝統を残す道として訪ねてきたのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れないということを皆さんは知らなければなりません。

 見てください。アメリカが反対したのです。国務省が反対したのです。国会が反対したので、レバレンド・ムーンが国会で勝利したという賞状をもらったし、国務省に勝利したという賞状をもらい、アメリカで勝利したという賞状をもらうことができる時がくるのです。それで反対する国務省の中でも友達ができ、国会の中にも友達ができているのです。勝利は私に戻ってくるようになっています。

 私はそのような友達が一人もいないとしても、すべての反対を克服し、勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、相対的に、こちらから怨讐を愛する内容がさらに大きくなるはずなので、反対が大きいといって気を落とすことはありません。

 自然の理知は一箇所が低気圧ならば、他の一箇所は高気圧なのです。一箇所が高気圧になれば、一箇所は低気圧になるのです。アメリカ国務省が高い所から反対する時、私が低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカ国務省は私に屈服してしまうでしょう。

 私が悪口を言われながらも争わず、彼らを愛していたら、彼らは私の友達となり、友達の家庭ができ、友達の氏族ができ、友達の国ができたのです。(一〇七―二二)

 怨讐を愛する精神をもった人たちで構成された国ができれば、その国が神様が願う理想の境地になることができるし、人類が入ることができる理想郷になることができることを知らなければなりません。(一〇七―二二)

 私、レバレンド・ムーンはとても見栄えの悪い男です。事実そうでしょう? 皆さんは、そうではないと言いますが、この世の人は私を不格好な人間だと思っています。しかし、神様は私のことが一番好きなのです。この世の人が私を不格好な人間扱いしたとしても、神様が認めているので、この世に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。

 怨讐を愛する心をもっていれば、できないことがありません。なぜですか。美男子は誰かと言うなら、神様が送った男、その人が美男子です。おしゃれと言えば、その人がおしゃれなのです。大胆で勇猛ならば、その人が大胆で勇猛な男だと思うので、私はそれを栄光に思って、この世に対して自信満々に攻撃するのです。

 私が一人でこのように陶酔し活動すれば、何が成されるか分かりますか。こうすることで、神様が喜ぶことができる若い青年男女が生まれ、神様が喜ばれる五色人種の家庭ができ、神様が喜ぶことができる民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。

 「怨讐を愛せよ」と言ったので、一番醜い人も愛さなければならないのです。一番の美男子と最も醜い女性を結んであげても、怨讐を愛する以上に愛さなければならないのです。そのような人は、この世の怨讐を愛するために最高の王子の旗をもって前進する候補者です。事実そのような人がいるなら、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は民族も国境も乗り越えられるのです。

 愛する心さえもって生活すれば、すべての障壁が崩れ、復帰摂理歴史が短縮されて、天国が近づいてくるということを知らなければなりません。

 先生の哲学は簡単です。先生は経験のないことがありません。農民にもなってみて、労働者にもなってみました。試せることはすべてやりました。漁師になり、マグロも釣りました。私は一人だと思っていましたが、そのようにして六十年の人生を生きて、回ってきてみると、イギリス人もついてくるし、アメリカ人もついてくるし、世界の数多くの人たちがついてきます。醜いと言ってけ飛ばしても、また、ついてきます。ですから統一教会はどんなに@研究しても、その内容を知ることができません。(一〇七―二四)