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皆さんは国がない民と変わりません。それでは過去に国がありましたか。歴史上に我々の国と言える形態の国があったのでしょうか。そのような国の形態ももてなかったのです。では、その国を探すために苦労した人がいなかったからでしょうか。違います。その国は過去の歴史上の人が考えていたような位置では見つけることができないので、そうなるのです。その時代の中で内外両面を備えた基準を中心として、その国を見つけることができないので、その国を迎えられないのです。
我々が探さなければならない祖国というのは、今日、この地上にあるような歴史と伝統をもった国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。我々は次元が違う国を受け継ごうとするなら、そうできる思想的な主体性をもった国民でなければなりません。しかし、その主体的な人格は絶対的な創造主か、そうでなければ創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者が願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致できる国になることを望まなければなりません。そのような国民性をもった国家形態を備えなければならないのです。(四九―九三)
一つの国が形成されるためには、主権がなければならないし、民がいなければならないし、国土がなければなりません。天の国もやはり同様です。主権を代身としたのが父母であり、民を代身としたのが子女であり、国土を代身としたのがこの国なのです。その中の、どれか一つでも抜けることはできないのです。これは鉄則です。(三五―二七九)
一番大切なことは何ですか。世界と国のためにすることです。そうしていれば、滅びることはありません。滅びない所が限界点です。国のための基準で実際的な行動をして死んでいった人々は、死んでもその国の民となるのです。その国がなくなるまで残るのです。
国が形成されるには国土がなければならないし、民がいなければならないし、主権がなければなりません。主権とは何ですか。根本的な神様と因縁を結んだものです。国を治める人々は民が深く眠りについたのちに、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして、主権者は民と一つとならなければなりません。民と一つになって、自分にあるすべてのことは自分のためのものではなく、国と民のものであると考えなければなりません。そうなると、その国は繁栄するのです。(三〇―八八)
ある国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。民がいなければならないのです。国土がなければならないのです。そういう観点から地上に天国を実現するという問題を見てみるときに、天国の主人とは誰ですか。主権者は誰なのでしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして民は万民です。それでは国土はどこですか。国土は地球です。(九六―一五)
地上天国は誰に似ましたか。私に似ました。一つの国を見ると、何がありますか。主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は誰に似ていますか。(私に似ました)。私という個人が集まって国ができるのです。したがって、私に心があると同様に、国に主権がなければならないし、人格体なので国民がいなければならないのであり、人間に万物があるように国土がなければならないのです。このような原則から国土は人によって支配され、国民は主権の前に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そうなっているのです。
人を見てみると、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるので、全世界を見ると、天地人という決定的な結論になるのです。分かりますか。天とは何ですか。人間の心と同じなので、主権と同じです。人は人格体でしょう? 地は万物です。結局、国は誰に似たのかというと、全部私に似ました。
どれほど大きな社会、いくら大きな国家だとしても、人に似なければいけないのです。それは、神様があなたの形状と似たものを好まれるからです。それでは、人が一番好きなものは何ですか。自己の形状に似たものです。では、理想的な国家は何に似なければならないでしょうか。(人です)。人に似なければならないのです。似ていますか、似ていませんか。(似ています)。天地人に似ているというのです。(二七―一八五)
統一教会の用語で祖国というのは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国をいうのです。世界的という言葉は堕落した世界圏で使われている言葉ですから、気分が悪いのです。このような祖国を探して進む主義を統一教会では天宙主義というのです。
その祖国は大韓民国ではありません。祖国とは、大韓民国でもなく、アメリカでもなく、共産国家でもなく、神様が願われる祖国なのです。ですから、我々は新しいその祖国の文化を成さなければならず、その祖国の歴史を成さなければなりません。
我々は新しい理想的な祖国を立てるために、基準を正しく定めなければなりません。我々の生活を変えなければなりません。その世界は、今のこの世界とは違うというのです。言葉も違うのです。原理主管圏とか、相対基準だとか、相対基台だとか、復帰基台摂理だとかいう重要な言葉をこの世の人たちは知っていますか。知りません。だから違うと言うのです。(三六―一八五)
統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を下ろさなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が建てた国はなくならなければならないのです。大韓民国の一つの民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は、捨てられなければなりません。世界のための宗教こそ、今後に残る宗教になるのです。(三六―一八五)