P.1162

第八章 我々の祖国と一つの世界

第一節 その国を探して来られた神様の摂理

一.その国を探し求めなければならない理由

 今日、この地上に暮らしている数多くの人間たちは、神様が予告されたその国とその義を立てることができずにいます。それで、その国とその義を探すのが、今日の我々人類の願いであり、また、数千年の歴史過程で、人間にとっても、神様にとっても願いであったということを、皆さんは知らなければなりません。

 それでは、このような望まれたその国、望まれた義がどうして我々の最後の目標として残るようになったのでしょうか。それは人間が堕落したからです。人間の堕落によって、その国とその義の中心たる神様と人間が関係を結ぶことができない状態になりました。すなわち、その国とその義の中心である天の父に関することをほとんど知らない人間になってしまったのです。そのため、神様はそのように無知な民と人類の目を覚まし、彼らの父がどのような方なのかを教えるために、これまでの歴史路程において苦労してこられたのです。ですから、その国とその義を探し立てることが、今でも我々の望みであり、目標として残されているのです。(三―一一五)

 この世界には現在、数多くの国が存在しています。数百以上の民族を中心として百以上の国家が世界に散らばっています。しかし、その国家の中で神様から本当に愛されている国が果たしてあるのかと考えてみる時、そのような国は全くないのです。

 今、地球上にあるすべての国は神様の願われる国ではなく、神様が願わない、神様のみ旨に反対する国だけです。神様が願われる国は一つもありません。そのような国家群になっているのは堕落の結果なのです。これは神様が本来、願われた姿ではありません。ですから、このような堕落世界を否定し、新しい神様の国を再び創造しなければならないのです。それが六千年間、神様が摂理してこられた目的です。(四〇―一一五)

 世界は悪党たちの世界になりました。そのため神様は、ある一つの群れを迎えて特定の国を探し立てられるのです。

 この世界にサタンの国がいくら多くとも、その多くの国を中心として見た時、サタンが愛し誇れる国は十カ国ではなく、一つの国です。そうでしょう? 今、サタンが世界で一番愛する所はどこですか。共産主義国家です。共産圏です。ですから、最後に神様の国を受け継ぐことができ、サタン世界の前に恥じることなく誇れる一つの国、そのような国民性をもった国を神様の指導でつくることができなければ、それは無能な神様です。サタンよりも無能な神様だというのです。(四八―一二四)

 今日、この堕落の世界は悲しみの中にあります。喜びがありません。悲しみの歴史、失望の歴史、罪の歴史です。全体を見ると、このような行路の連続でした。ここでは国が問題です。国が協助しなければ、み旨は成就されません。ですから、真の宗教を中心とした国が存在しなければならないというのです。(二五―一七七)

 皆さんが願うその国とは、どのような国ですか。その国は今日、皆さんが住んでいるこのような国ではありません。このような国は結局、別れを告げなければならない国です。皆さんがこのような国と縁があるなら、罪悪の因縁があるのです。皆さんは、その国の存在理由と神様のみ旨とつながる善なる因縁を結べない堕落した人間の後孫として生まれたことを自らがよく知っています。(三八―二一八)

 現世において、我々がしなければならないことは国を探し求めることです。我々には神様の国がありません。国がない者が本籍をもつことができますか。本籍地がありません。日本人は、日本という国があるので、そこに本籍地をもっていますが、神様の摂理から見る時、神様の国がなく、神様の国としての主権国家がないため、神様の国民として登録ができないのです。宗教的な登録だけです。(五五―七九)

 国がなければ国籍がないのです。国がなければ入籍できる基盤がないのです。我々は民族編成のために新しい入籍をしなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって愛国、愛族の善なる真の父母の血統を受け継いだ勝利的な息子、娘として、自己の氏族、あるいは家族を率いて生涯を終えてこそ、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。(五八―一四五)

 国があって初めて千秋万代に我々の後孫に貴く受け継いでいける伝統が残るのであり、我々の血と汗を流したすべての努力も残るのです。また、天の苦労を祝う記念塔がこの地の上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地の上に残ることができるのであって、国がなければ、全く空虚なものになるのです。

 今日、世界のキリスト教において残された、十字架やすべての文物も天が求める国がなくなる時には、すべてを川に流さなければならないし、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れていくことを知らなければなりません。ですから、国が問題だということを、皆さんは知らなければならないのです。(五五―三三九)

 皆さんの家庭は「我々の家庭は、真の御父母様の愛を受けることができる家庭である。間違いなく、我々は御父母様の愛を受けることができる家庭であり、国がこの上なく愛することができる家庭であり、天の国で保障を受けることができる家庭である。したがって、私が御父母様の前に孝行者となり、国の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を常にもって進まなければなりません。

 真の父母の愛を受け、神様の愛を受けなければならないのです。ところが、神様の愛は国がなければ受けられないのです。本来、アダムは一人でも国の始まりです。分かりますか。(はい)。サタン世界のサタンの国よりも優れた国があってこそ、神様の愛を受けるのです。我々は神様の愛を受けるとしても、直接受ける者になっていないのです。真の父母の愛は受けられても、神様の愛を受けるためには、国を備えなければなりません。それはなぜでしょうか。サタンと、サタンの国が残っているからです。ですから、それ以上に高くならなければならないでしょう? そうではないでしょうか。何のことか分かりますか。(はい)。そのような道を皆さんは行かなければならないということを、はっきりと知らなければならないのです。(九〇―一一六)