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統一教会が願う国は、どのような国ですか。今、統一教会は大韓民国を通して世界に出ています。しかし、統一教会は今のように共産主義の唯物史観と民主主義の唯心史観が戦う、そのような世界を願っているのではありません。この世界を超越して神様の心情と愛が支配できる国に向かって進んでいくのです。(三二―二六四)
皆さんの国はどこにありますか。神様の国のことです。ピラトが法廷でイエス様に「お前の国はどこだ」と聞いた時も、神様の国だと言ったでしょう? では、皆さんの国はどこですか。イエス様の時代にはKingdom of God(天国)でしたが、我々の時代にはKingdom of God on earth(地上天国)です。(拍手)その内容は何かといえば、考えるだけの天国ではないというのです。実際の天国のことを言うので、そういう言葉を使うのです。(九〇―三〇二)
統一教会は、まだ国をもっていません。皆さんもそうです。世界各国に広がっている統一教会の食口たちもすべて、孤児と同じ立場に立っているのです。別々の一つの氏族圏を成していないので、その国家自体が反対すればどうすることもできないのです。(四〇―一二六)
我々に国がありますか。(いいえ)。教会はあるのです。これからは国のための教会でなければなりません。また、国ができれば、その国は国のための国ではなく、世界のための国でなければなりません。アメリカが神様の国になっていたなら、世界のためのアメリカになるべきであり、アメリカのためのアメリカになれば滅びるのです。そうならなければ、神様はいないということになるのです。それを知らなければなりません。(六六―一七五)
神様が確実にいることさえ分かるようになれば、神様のみ旨に従わざるを得ません。神様のみ旨とは何ですか。この世界人類を神様が愛する民としてつくり、この地球を神様が愛する国土としてつくり、この国土と民を合わせて一つの主権国家をつくろうとされたのが、理想世界です。何のことか分かりますか、
その理想世界の主権を誰が来て治めるのでしょうか。来られる主と神様が合同で永遠不変な一つの理想的な主権国家をつくるでしょう。そのような立場に入ったなら、皆さんが直接主管圏内に入るので、その時になれば神様を知らないという時代ではなく、誰でも霊界を通して神様を感じることができるようになるでしょう。
今までは、神様がいても神様の能力を一度も発揮できなかったのです。神様がいてもサタン世界からいつも押されて犠牲を払い、追われることばかりで、神様はサタン世界を支配し、サタン世界を審判する神様になれなかったというのです。なぜですか。国がなかったからです。サタン世界の国よりも優れた国がなかったので、神様が働くことができなかったのです。
イエス様を送ったのは、サタン世界の国家よりも優位に立てる一つの世界的な国家基準で、サタン世界の天使長国よりもさらに高い一つの主権国家をもたせるためでした。そうしてこそ、主人となったアダムが支配できるし、本来の威信を立てられるようになるのであり、神様が主管しても体面を立てられるのです。サタン世界の国よりも劣った国、あるいは氏族、家庭の位置に入ってはぶりを利かせるならば、そのような神様は体面と威信を立てることができないというのです。
ですから、メシヤを送った目的がどこにあったのか、つまり、神様を中心とした主権国家を形成するためにイエス様が来たことを、今日の宗教人たちは知らないでいます。キリスト教徒たちはこれを知らないでいます。ユダヤ教とイスラエルが一つになった基盤の上にイエス様を中心として一つの絶対的な国家を形成して、ローマ帝国を吸収していたなら、世界は既に神様が主管できる地球になったことでしょう。
それができなかったので、再現しながら今まで探してきたのです。探し求めて得たキリスト教文化圏は霊的な世界国家形だけであって、霊肉を中心とした国家ではないのです。キリスト教を国教とした国は多いのですが、その国々は神様が立てた国ではありません。ですから、地上に神様が処理できる地上国家の基盤を備えられないで、国をもてないキリスト教文明圏の上に、新しい国家形態の基盤をこの地上に立てて、イエス様が失敗しなかったその基準を復帰するまでは、理想の天国は現れることができません。これが我々統一教会がすべき使命です。
それで統一教会は神様が探して来られた個人を探し、神様が探して来られた家庭を形成し、氏族を形成し、民族を形成します。このサタン世界には数多くの国家がありますが、その国家の中でサタンが誇れる国は一つしかないので、その一つの国よりも上に立つことができ、神様が主管できる国をつくらなければならないのです。皆さんはこれを知らなければなりません。(五六―一九二)
目標に向かって行く統一教会の道なので忙しいのです。何千年間も引きずってきた人生行路、歴史的行路をたった何十年かの路程で蕩減しなければならないのです。この運命がどれほど複雑でしょうか。それは血と涙を流す道程を歩まなければ行くことができないのです。真なる本然の天の理想世界を探し求める道なので、聖書では、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」と言ってきました。どうして、そのような言葉を残したのでしょうか。我が家の食口が怨讐だというのです。
この道を行くのに誰が味方になってくれるのですか。お母さんは反対するし、息子、娘は反対するし、国も反対するし、政府も反対します。
ですから、逆理的な路程を行くのが天の道を行く正道だということを我々は知っているのです。ですから神側から見ると、この世界を求めて、一つの国をつくってくれることを願うのです。これが神様の人間に対する願いです。分かりますか。(はい)。
それでは、人間に対する神様の願いは誰が解決するのでしょうか。どこが解決しなければならないのでしょうか。それは国ではなく、宗教です。ところが、キリスト教はそのようなことができないので、キリスト教の新しい分派として神様が祝福をして立てた統一教会がこの仕事をしなければならないのです。ですから、統一教会は世界的な人格の価値としての個人を糾合し、世界人としての家庭を糾合し、世界万人が平等な神様の国家理念のもとに、一つの国家を形成しようというのです。神様の善の主権を立てて、神様が統治できる世界の中心的なモデル国家をつくろうというのが救援摂理の目的だということを知らなければなりません。(五八―二〇五)
我々統一教会はどのような教会ですか。その国のために決意を新しくして、現れた教会です。分かりますか。それは、皆さんに力があると言って誇るなというのではありません。体の力をもって誇る統一教会の群れは滅びます。いい頭をしていると自慢するのではなく、愛をもったと言って誇りなさい。国を誰よりも愛し、歴史過程のどのような忠臣よりもこの国をより愛し、どのような聖賢よりも世界万民をより愛しなさいというのです。その誰よりも愛しなさい。
個人の立場に立って、誰よりも愛するのです。この愛せよという基準が世界的でなければなりません。歴史のどのような聖人たちも及ばない最高の位置で愛さなければならないという内容をもってきました。これが統一思想の出発基点です。(五〇―一三九)