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七.再臨主とその国

 神様がいつ個人的に真の勝利したことがありますか。息子であるイエス様まで送っても、個人的な勝利をすることができず、願われたその基準までも失ったのです。本来の願いは個人的な勝利ではありません。国家的な勝利の基準から落ちて、国民的な勝利をしてもむなしいことですが、氏族的な勝利をしてもさらにむなしいし、家庭的な勝利しかできなかったという事実は、あきれてしまうことだというのです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 真なる勝利の基盤がどこにあったのでしょうか。この地上にはなかったのです。それで、神様は個人的な真の勝利を、家庭的な真の勝利を、氏族的な真の勝利を、国家的な真の勝利を再び形成することを願わざるを得ないのです。ですから、再臨しなければならないのです。再臨しなければならないというのです。

 再臨主はどのような方ですか(黒板に書かれる)。再臨主はこのような真の勝利を個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に成すことができる方でなければなりません。サタン世界と比較して見る時、個人的に、家庭的に、民族的に、国家的に常にサタン世界より高くなければなりません。低くてはいけないのです。これが(板書を指示される)サタン側ならば、神側はこれより高くなければならないのです。分かりますか。高くなければならないのです。

 それでは、終わりの日にはどのようになるのでしょうか。終わりの日には、これが直線上で個人もサタンより上回らなければならないし、家庭もサタンより上回らなければならないし、氏族もサタンより上回らなければならないし、民族もサタンより上回らなければならないし、国家もサタンより上回らなければなりません。このように、すべてがサタンよりも高くなければならないのです。分かりますか。真の個人的勝利がなかったのに、真の家庭の勝利的出発ができますか。できないでしょう?(五八―一四五)

 その国を探すことができる代表的な個人はどこにいるのか、という問題を見てみる時、この地上にはどこにもいません。それで、宗教を通してそのような代表的な方を迎えようとする思想が再臨思想です。この再臨思想を中心として新しい個人が現れるのであり、新しい家庭、新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界の形成が起こるのです。ですから、この再臨思想は他の思想とは根本的に次元が違うのです。

 それでは、その代表的な人はどのような人でなければならないのでしょうか。この死亡の世界で腐った死体を取り除き、そこに根を打ち込んで、それを肥やしとして大きくならなければなりません。ここで、良いと思うことを肥やしにできる力をもった、新しい主体的な人格を備えてくる人です。サタン世界で良いということを自身の生命体として復活の権限を決意できる息子ならば息子、民なら民が備えなければならない人格を見てみる時、今まで民を全部肥やしとして吸収できる主体的な力をもたなければなりません。この死亡の世界、腐った死体のようなものをを肥やしとして大きくなることができる個人的な実力をもった人格者でなければなりません。言い換えれば、死亡の世界において支配された人ではないのです。(四九―九三)

 人類を救援するために来られる方が再臨主です。天は基準さえ立てば討ちます。攻勢をかけます。かといってスターリンのように首を切って殺すのではなく、一時に降伏させるのです。まず初めに理念、二番目は民、三番目は主権、四番目は領土でサタンを降伏させなければならないのです。人は誰でもお金と権勢と友と理想が共にあることを願いますが、この四つはまさに、それを代表したものです。(一二―一六九)

 神様を中心として見ると、神様がアダムとエバを創造し、父母として立てたので、これが上がっては崩れ落ち、このような失敗を繰り返しましたが、六千年の歴史を中心として、これが決定される時は、平面的に蕩減となるのです。ですから結局はアダムとエバを復帰しなければならないし、アダムとエバは人類を復帰しなければならないのです。来られる救世主、その方が真の父母ですが、その真の父母は何をしなければならないのかというと、人類を復帰しなければならないのです。人類を再創造しなければならないのです。

 しかし、もし国家基準さえあれば法で処理するのです。法でできない時には切り捨ててしまうのです。引っ掛かることに対しては返り討ちできるのです。ですから、可能だというのです。何のことか分かりますか。(はい)。型板にはめ込んで押すのです。天と地がぐしゃりと……。工場でプレスして、模様を鉄型でつくるように、ポンと一押しです。そして、それ以外の必要ないものは切って捨ててしまえば、それだけポンと残るのです。そのように素早くつくることができるのです。強制的に法でできないことは、全部切り捨ててしまうのです。弁解の余地もなく切り捨てるのです。民主主義時代ではないのです。

 それが悪党のようなこの群れをほっておいて、可能だと思いますか。この六千年間、苦労してもできないことを再臨主ができますか。しかし、再臨主は何をもってくるのですか。法をもってくるのです。審判の公法をもってくるのです。審判権をもってくるのです。そして、できなければ、それをもって切るのです。

 どのような基準が必要ですか。サタンが誇っていた国家基準以上の国が神様を中心として立てられなければ、そのような天の国の憲法を立てることができないのです。(六五―一九五)