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我々は神様の国を仰ぎ慕います。それは、なぜですか。そこは愛がある所だからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠な愛が存続することができる所です。また、自らを高めることができる所であり、自分の価値が一〇〇パーセント認定される所だというのです。すなわち、永遠に幸福な所なのです。ですから、人間は天の国を慕い、あこがれるのです。(二五―二八四)
我々が行かなければならない道は、本当に行きたい道であり、我々が探し立てるべき国は永遠に暮らしたい国です。我々がもたなければならない財物は天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものであると保証できるものでなければなりません。また、我々が泣く時に天地が共に泣くことができ、我々が喜ぶ時、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければならないのです。これが今日、堕落した人間たちが現世で探し求めなければならない最高の欲望であり、望みです。(一三―三一)
人は誰でも自分の国で暮らさなければなりません。それは人間に与えられた絶対的な条件です。一人も例外なく、国とその義のために望みに満ちた義の生活をしなければなりません。頭で考えて理想郷を描き、生活で意義や法度を立てながら、その国とその義のために生きよというのです。
皆さんにはそのような国がありますか。ないならその国を探し立てなければならないのではありませんか。その国はどのような国ですか。理想の国、統一の国です。万民が行くことができる国なのです。この国を成すには例外はあり得ません。それで、個人を統一することができ、家庭、氏族、民族、国家、世界を統一することができるのです。(一八―二一三)
神様は摂理のみ旨を、必ずこの地上に成さなければならないのです。それでは、み旨が成された結果とはどのようなものですか。それは、この世界の万民を救い、彼らを神様がすべて主管することです。そうなることを願うのが、摂理のみ旨でなければなりません。(七三―三一九)
もしも、地上の国家を復帰する仕事を自らの生涯で全うできない場合には、皆さんは霊界に行っても天の国に属する者としての価値をもつことはできません。地上で神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それは、本来の創造基準なのです。(四〇―一三一)
私は今、この世にうらやましいと思うものがありません。この世的に見ても、うらやましいと思うものがないのです。この世的なものは考えてもいません。大金、広い土地、家、そのようなものには関心がないのです。「たった一部屋であったとしても、何であったとしても、死ぬにしても自分の国で死ななければならない。神様が保護することができる、その国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きて、死ぬことができなければ、その生涯は悲惨なものではないのか。だから、死ぬ前の一日でも、その国を探しに行かなければならない」。これが先生の一生の願いです。その一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で行っているのです。皆さんは休んだとしても、私は行っているのです。皆さんができなければ、外国人を動かしてでもしなければならないし、大韓民国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければなりません。(五一―三四〇)
我々の信仰の目標は何かといえば、神様の国の民となることです。その国の民にならなければ、その子女として自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛される道は現れてきません。国のない者はいつも攻撃を受けるようになり、かわいそうな立場に立つようになります。どうしようもなく受ける場合がいくらでもあるのです。ですから、神様が足場とする国がどこにあるのか、これが問題です。(五五―七九)
我々がこの国、この民族のために血と汗を流すことは結局、永遠の神様の国を成すため、千秋万代の後孫たちが末永く称賛することができる福地を成すためです。(一四―一九三)
その国は神様を中心として、直系の子女たちが天命を受けて、神様を代身する命令をもって王権を治める、そのような国に違いありません。そこには民主主義や共産主義などあるはずがないというのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るのです。そのようなことを考える時、私自身が、そのような国の民になれなかったという事実が恨めしくないのか、というのです。私自身がそのような国で暮らせなかったことを嘆かなければなりません。そのような普遍の主権をもっていないことを我々は嘆かなければなりません。
そのような主権と国民と国土を得るために、人類は主権国家を立ててきました。その中で数多くの人が死に、数多くの民が犠牲となり、数多くの国が滅亡し、数多くの主権が交代し、現れてきたという事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった数多くの人々、神側にいる人々、あるいはそのようなみ旨を立てるために犠牲になったすべての悲しい魂は、いつか、そのような国を、そのような世界を成してくれることを願うのではないでしょうか。(七二―二九二)