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三.郷土学校を通した南北統一運動

1 郷土学校設立の意義

 統一の気運が、東西南北、四方で成熟しつつあります。もし、韓民族が統一の道に立ち上がらないというのなら、日本やアメリカの人を連れてきて統一運動を展開していくつもりです。全国の市、郡の単位まで、世界的に有名な碩学たちを連れてきて配置して、国民たちを啓蒙していきます。そのようになったら、どれほど恥ずかしいことでしょうか。我々民族の宿願である統一を外国人がしてあげようといえば、韓民族としては恥ずかしいことにならざるを得ません。

 先生は全国の大学教授たちを中心として、全国に郷土学校を建てて経営してきています。家庭環境のためだとか、その他の事情によって、中高等学校に進学できなかった青少年たちに勉強させてあげる所が郷土学校です。学ぶ機会を失って挫折している青少年に勉強の機会を与え、未来の韓国を担っていく主役として育てているのです。現在、我々が運営している郷土学校は、全国に約百余箇所開設されていますが、共産党が南韓に攻め込んできた時に、彼らは貧しくて学べなかった農漁村の青年を中心として組織をつくりました。郷土学校で貧困などの理由で学べなかった青少年が学べるようにしてあげることによって、南北統一時代において、共産党が組織しようとする対象をなくしてしまう効果をもたらすでしょう。また、統一時代を迎えれば、郷土学校を中心として全国を組織化し、共産党と対抗できる一石三鳥の事業なのです。(一九八八・一・一)

 故郷を愛し国を愛する道は、郷土学校を通して二世を中心とし、国民を教育するよりも良い方法が他にあるでしょうか。これは大道に通じる最高の愛でもあります。郷土から心情の土台を築かなければなりません。そうして初めて、先祖がその心情の土台を通して、復帰され得るのです。

 先祖たちがソウルに来て、どこを訪ねるでしょうか。皆さんの先祖が訪ねてきて、何を条件として復活できるでしょうか。懐かしく、行ってみたい所は故郷なのです。祖先たちも同様です。見知らぬソウルの地で誰を訪ね、何を通して情を感じ、愛を分かち合うことができるでしょうか。勉強して出世したことは自分だけのものであって、父母のものではないのです。それゆえ、霊界を復帰して、霊界の協助を得て後世が持続し得る伝統的基盤を立てなければなりません。そうするためには、郷土学校を建てて発展させなければなりません。このすべてが天運の時を迎えるためのものです。(一九八八・四・七)

 み旨のためにみな、郷土を救わなければならないでしょう。けれども、どこの誰が自分の郷土を救ってくれるでしょうか。我々は、郷土学校を中心にして教授たちをまとめて郷土を救おうとするのです。そして、その基盤は大変な基盤になるでしょう。(一九八八・一・二一)

2 郷土学校は愛国の出発点

 少し前に韓国で郷土学校を始めましたね? 皆さん、大学の教授として郷土をどれほど考えましたか。郷土にどのように共に生きていくかを考えてみなければなりません。自分の両親と共に住みたくないし、郷土と共に住みたくない人は国を愛することはできません。そのような人の国を愛するという言葉は偽りです。国と共に生きてから世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてから神様と生きるようになっています。ですから、その地域社会を愛して初めて国を愛することも可能です。(一九八六・一〇・一一)

 南北統一のために、教授たちを配置しました。今や大韓民国を統一運動の方に動員する一番早い道は何でしょうか。教育界を動かさなければなりません。大学界を動かそうとすれば、まず教授を動かさなければなりません。その次に、地方に行けば、中・高等学校を動かさなければなりません。その次に、小学校を動かさなければなりません。

 共産党が学校を中心として南韓の赤化のために、左翼思想の教材を中心にして浸透させて入ってくるのを、今まで防げなかったのです。文教部(文部省)が責任を果たせなかったのです。ですから、何としても大学の総長を動かさなければならず、中高等学校の校長を動かさなければならず、小学校の校長を動かさなければなりません。彼らを動かすことができる自然環境に、制裁を受けず自由に動かすことができる権限をもっている人が教授たちなのです。

 全国の市、郡に開設された郷土学校を、先生は統一運動のために配置しました。郷土を愛しなさいということです。教授たちは郷土で生まれましたが、学校に通い、博士になって出世はしても、学校を出たり入ったりして風ばかり起こしたのであって、郷土を愛したことがなかったのです。先生たちが国を愛するのは郷土から始めなければならないのです。ですから、郷土学校を通してかわいそうな人々を教育しなさいというのです。自分の血と肉が向学心に燃えるなら、郷土に帰ってきて徹夜しながら、村のかわいそうな人々を抱いて涙を流しなさいというのです。郷土の人々を教育しなさいというのです。

 それゆえ、郷土学校を中心にして、郷土学校圏内出身のすべての教授は、後援会に入らなければなりません。郷土学校の運営に参加しないなら、烙印を押して、今後、学校と社会から追放運動をしようと思います。郷土を考えることができないで、国を考えることができますか。孔子も「修身斉家治国平天下(注:自分の身を修め、家庭をととのえ、国家を治め、そうして最後に天下を平らかにすること)」と言いました。国を治めるためには、家を治めなければなりません。同様に国を愛するためには、故郷を愛さなければなりません。同じ理屈です。(一九八八・一・二)

3 郷土学校の運営計画

 いいですか。教授と学生が一つになれば、父母も完全に一つになります。完全に一つになります。さて、このように大学を中心にして一つになれば、その次には学校を中心にして、大学から高等学校、中学校、小学校まで、先生まで一世と二世が完全に一つになるのです。完全に連結するのです。そのような意味から、先生は郷土学校を始めたのです。分かりましたか。大学から民間全体を連結できる因縁をつくるために、郷土学校を始めたのです。

 郷土学校は超道的です。慶尚道だとか全羅道とかがないのです。咸鏡道、平安道がないのです。大韓民国の未来の指導者のために、新しい時代の指導者を養成するために、郷土学校を建てたのです。この郷土学校をつくって、今、約百箇所で出発したのです。八つの道の十大都市、十大地域を中心として中・高等学校を私が一つずつ引き取ろうと思います。そのようにしておいて、一つの道に一つの模範的な学校をつくり、そこの校長から教職員すべてが奉仕活動をできる思想をもって、その地方にいる勉強できなかった人々を教えるようにするのです。

 そうしながら、その道内にあるすべての中・高等学校を一括的に連結して、全国の百箇所に該当する基準を中心にして道内の中・高等学校に、夜間だとか、昼間だとか、夕方とか、午後だとかに、校長あるいは先生を動かして、中・高等学校内に郷土学校を連結させようと思います。そのようにして何をしようとするのでしょうか。一般学生と同じ学科を勉強しようというのです。

 正規の中・高等学校の学生は、六十点以上なら卒業して、みな大学に正式に入学できる資格が与えられ、国家試験を受験できる資格が与えられますが、我々のこの郷土学校で夜間に勉強したり、午後に勉強した学生は、同じ教師によって同じ教材で勉強して、八十点以上になったならば文教部で認定しなさいというのです。正式学科の通過を認定しなさいというのです。認定しないならデモでもするのです。何としてでもつくりあげなさいというのです。それは私が説得します。同じ学校、同じ教材を見て点数は正規の学生よりもいいのに、どうして郷土学校の学生は制約を受けなければならないのでしょうか。同じ勉強をしたのに、世の中にそのような道理があるでしょうか。このようにして乗り越えていくのです。このようにしておけば、どのようなことが起こるのかというと、愛国思想が新しく芽を出すのです。そのようにすれば、郷土学校の学生と正規学生との競争が起こるのです。

 郷土学校の学生はみな百点を採ろうと考えるでしょう。また、正規の学生は負けてはならないと考えるでしょう。そのような競争が起こると何が生まれるのかというと、愛国思想が生まれます。郷土学校の学生はなぜ、あのように一生懸命に勉強するようになるのかと考えるのです。先生たちの精神姿勢が違うというのです。犠牲、奉仕、愛国思想に燃えて教えるのです。正規学生を教える先生は、ご飯のために教えます。違うというのです。やめようというのです。革命の炎を提示してあげるのです。

 その次には、郷土学校のボランティア教師がみな、正規学校の教師試験を受けて彼らを追い出す運動をしようというのです。そのようにしてひっくり返してしまわなければなりません。そうしなくては、愛国心を植えてあげることはできません。全羅道の人は全羅道一色であり、慶尚道の人は慶尚道一色であり、忠清道の人は忠清道一色です。政治風土がいったい何ですか。大韓民国がずたずたになっても関係なくて、何が慶尚道、全羅道の争いですか。この闘いが職場で起こり、軍隊で起こり、教会で起こるのですが、それはあり得ないというのです。神様の愛はそうではありません。愛を中心にした、民族愛を中心にした超民族的な愛国運動の基盤をつくっておかなければならない責任があります。

 ここで、これをつくっておけば、すべて立ち上がります。若い青年たちから自分の母親、父親を中心にして、北韓の体制と同様の行政体制と、あらゆる体制に該当する体制を備えて、南韓を中心にして二重体制をつくって選挙に備えなければなりません。このような運動をしなければなりません。そのようにしなくては神様のみ旨をこの地上に広げることはできません。何のことか分かりますか。(はい)。(一六五―二一九)

 今までに百箇所で郷土学校を始めました。郷土学校を中心にして教授をすべて動員して、後援会を結成して、ここに加担させるのです。ここには毎日出席するのではありません。面を中心にして、我々の組織がすべてあるので、その組織された要員の名前を挙げて、我々の教会の人と「勝共連合」と、それから、名のある教授たちを来させて、すべて連結して教育をしようというのです。

 教授は本さえもてば速やかに従っていくというのです。「勝共連合」の支部長よりもそのような能力があります。統一教会の教会長、教域長よりも早く、今までの自分の専門的な学術基盤を中心にして、どのような文献でももっていってあげれば、それを一週間ならば一週間以内に講義することができるのです。本ならば専門的なのです。すべて骨子を抜き出して、その内容を中心にして自分が教育できる能力があるのです。

 それゆえ、本をもって教育しなければなりません。本をもって教育しなければならないのです。このようにして一週間なら一週間教育すれば、ここに考えがあって献身したい人は、本を見て研究するのです。試験を受けるのです。いつでも試験を受けて、そこから優秀な人を引き抜いて高い次元の教育をして、里単位の里長まで、統長まで、ここで再教育した人を配置しなければなりません。(一六五―二〇九)

4 これから郷土学校は大学に発展しなければならない

 今は郷土学校ですが、それがこれから大学になります。私がお金を稼いで何をするでしょうか。百箇所に郷土学校をつくったのはその考えからです。皆さん、後援会をつくって、理事会をつくっておきながら、改革がなぜできないでしょうか。二つの郡に一つずつなのにです。二つの郡に一つずつにすれば、教授を全部で二万五千人と見積もって、二百箇所なら何人ですか。百数十人ですか。二百二十箇所と見積もれば百人の教授がいるのです。彼らがしっかりと一つになって、組織を握れというのです。

 その次に、貧民街に共産党の地下スパイがたくさんいますが、このように、子供たちに大学の勉強をさせて基盤をつくっておけば、共産党がどこに残るというのでしょうか。(一九八七・七・二一)

 目標は北韓だけではありません。アジアに行こうというのです。満州に行き、中国まで連結してアジアに行こうというのです。そうしようとすれば、その青少年たちに中国語も教えてあげなければならないし、日本語ももちろん教えてあげるのです。ですから、郷土学校が必要なのです。分かりましたか。郷土学校の先生たちを中心にして、そのような訓練基地をつくろうと思います。郷土学校が今後、重要な役割を果たさなければなりません。郷土学校を今後、大学の二年、四年制まで拡大させて、大学基地とならなければならないと見るのです。(一六七―一二)

 郷土学校は、中・高等学校だけではありません。今や、義務教育は中学校はすべて成されていますが、高等学校だけつくりますか。専門大学、ひいては、単科大学もつくるのです。

 今後、遠からず、高等学校が義務教育になるでしょう。そのようになれば、郷土学校の出発が単科大学になるのです。目標はこのように決めたのです。ですから、教授を編成して郷土世界で教育活動させ、大学をつくらせるのです。(一九八六・九・二九)

5 郷土学校を通した南北統一運動

 地方の郷土学校の後援会に教授たちが配置されることによって、地方で小学校、中・高等学校の校長を中心にして、統一運動が本格化できるようになりました。地方には校長先生の弟子たちがたくさんいるはずです。教授はすべて友達でしょう。地方の有力者がみな友達なので、統一運動に寄与するところが大きいのです。また、郷土学校の背景を中心として、三百人の教授が後援してくれるといえば、二つの郡の三百部落がいっぺんに一つになるのです。教授をお迎えしている部落は、教授を自慢し、尊敬するようになるでしょう。「うちの部落で、一番尊敬する教授が我々に教えてくれている」と喜ぶはずです。今後、どのような選挙をするか考えてみなさい。これはどれほど大きな票田ですか。ですから、郷土学校にお互いに加担しようというようになるのです。

 そのようにして将来、南北統一のための国民教育をどのようにするのでしょうか。大学ではできません。郷土学校の後援会を中心にしてするしかありません。三百人という教授陣には、大学の総長がいなくても、学部長がいなくても、経済学博士がいなくても、彼ら教授が集まって、その地方の官公民のすべての者を一つにまとめることができなければなりません。その地方出身の国会議員が国会であらゆることを発言し、何の話をしたのかということを、赤色線の割合がどのくらいで、民主線の割合がどのくらいなのか、すべて統計で出して地方の人々に知らせることもできるのです。そのようになれば、国会議員の活動が国民のためのものになるのです。左傾した発言をする国会議員を呼んで、「いつから思想が変わったのか?」と問い詰めることもできるのです。我々の三百人の教授が拒絶すれば、国会議員が免責特権があったとしても、次期選挙に当選するのが難しくなるのです。我々の活動は与党でも野党でもない、超党的なものなのです。(一九八八・一・二)

 まず、ソウル大学、延世大学、高麗大学を一つにまとめて、十三の大学を中心にして、全国の大学が同門会を開くのです。ここで、全国の同門会の教授たちはみな超学校的になるのです。三百人の教授たちがみな、郷土学校の後援会になっているので、その圏内はソウル大学の教授をはじめとして、全国の百個の大学の教授がすべているのです。それゆえ、大学別に系列的な同門会をつくっておくのです。釜山大学ならば、釜山大学の教授と連結された同門会を編成するのです。すべて、全国の百個の大学を中心にして、地方支会といえる系列的な同門を一つにまとめて、教育しようというのです。

 郷土圏に在籍中の学生よりも、卒業者たちは、六、七倍から十数倍になるでしょう。それは、大学以上を卒業した人が七百人以上になるということです。一つの村に大学生が五人いたとすると、卒業生は五七、三十五(五×七=三十五)で三十五人が卒業生だというのです。大学の在学生の先輩だというのです。それゆえ、同門を一つにまとめて、「お前たちは後輩に責任をもて」と言うのです。後輩と会って理論闘争をしなさいというのです。

 共産党の連中が農村啓蒙を中心にして、意識化(左翼化)活動をしているではありませんか。ですから、彼らがみな農村の面・里に下ってくれば、同門会を召集して、何々大学が彼らの相手をしなさい、と任せるのです。「連れてきて私に報告しなさい」と言うのです。一つの村に大卒の出身者が五名なので、彼らを先頭に立てて、その地方の現地で共産党を撃破させるのです。何のことか分かりますか。そのような組織編成をするようになると、これ以上の組織はありません。最も早く、いつでも活動することができ、動くことができる我々の基盤はこの基盤です。

 郷土学校を中心にした「南北統一運動国民連合」の組織は、指導者も入っており、行政部署も入っており、そこに地方の有力者がすべて入っている、最高の理想的な組織なのです。この組織を中心にして、「金日成をたたきのめそう」と言えば、小学生から中・高校生まで参加するようになっています。この学生たちを中心にして統一運動基金の募金運動をするのです。小学校の先生を責任者に立てて班をつくって、「あなたは一カ月にいくら献金しますか」と、国民を対象に募金運動をするのです。国民連合が大学教授に、統一基金準備のための募金運動に責任をもってもらうのです。(一九八八・一・二)

 郷土学校というのは、郷土同士で団結させて、教授たちを通して郷土を復興させることをいうのです。そこには知識的な復興だけでなく、あらゆるものの開発運動が起こります。そのようにすれば、ごみになっていく若者がいなくなり、健全に導かれていくようになります。(一九八六・九・二九)

 ああ、郷土学校ですか。私が郷土学校を急ぐのはすべてこれをするためなのです。全国に二万五千名近い教授が散らばっていますが、すべて郷土にいるのです。その教授たちの名前が郷土学校ですべて挙がっているというのです。今後、このように郷土学校を中心にして基盤になっていれば、その基盤を中心にして教授たちがこれを全部動かすことができる活動、仲介的な役割を果たしてあげることができるというのです。名簿が全部つくられているからです。また、何ですか。「教学統連」でみな理事になっていて、後援会の組織ができているからです。そのようにして、みな地方を結束させるのです。結束する際には、教授を立てるのが最も早いのです。

 「勝共連合」よりも、現在、我々の郷土学校を中心にして教授たちが関係したその基盤を中心にして、この「国民連合」の代表たちを地方の郡組織から結束させ、できれば面まで結束させてもいいのです。面は三千三百面です。三千三百でしょう? その面にこのようにしておけば完全に組織されます。「勝共連合」と教会としっかりと組織しておけば、完全に掌握できるのです。(一六四―一七九)

 教育された人が入ってきて郷里を収拾するようになれば、南北統一時代を迎えて、北韓と戦って勝利できる基盤を準備することができるのです。ですから、郷土学校を全国に開設させたのです。このような事実を、皆さんは誰も知らなかったでしょう。最初に始める時は理解できなかったでしょうが、もはや、皆さんも共感するようになったでしょう。蕩減復帰歴史は、初めから教えてあげながら始めるのではありません。天運に従っていってみると、神様も協助してくださるようになって、そのような時期を迎えるようになるのです。

 ここにいる皆さんも、故郷に帰って郷土学校を運営したならば、神様が皆さんを協助し、また、摂理的な時を迎えることができるはずです。李博士も故郷に帰って、二世の教育と郷里の人たちにみ旨を伝えることに残った生涯を捧げたなら、それはどれほど素晴らしいことでしょうか。若かった時は、伝授をするといって他郷を歩き回られましたから、今からでも故郷に帰って、何かやりがいのあることをしなければならないのではないでしょうか。(一九八八・四・七)