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第三節 教学統連と郷土学校

一.教学統連(全国大学教授学生南北統一運動連合)

1 教学統連の創立と意義

 「教学統連」とは何なのかというと、「全国大学教授学生南北統一運動連合」です。長いでしょう? 全部で十六文字です。ごちゃごちゃしていても、それが全部入らなければならないのです。抜いてはいけません。ですからそれを簡単にすれば、教授と学生の「統一連合」と言い、大学界では「教学統連」と言います。「教学統連」と言えば一度で分かるのです。皆さんは知らないでしょう。この世の中を知らない皆さんには分からないでしょうが、大学では教学統連といえばすぐ分かるのです。「レバレンド・ムーンを中心として教授アカデミーとカープが合わさって、共産党がみんな手を焼く、とても強力な連中」と言うのです。皆さんはそのことを知っていますか、「教学統連」を? (一六五―三一四)

 今回、「南北統一運動国民連合」は全部……。教学統連が何か分かりますか。統一教会の教会員の中にはその名前を初めて聞く人がいるかもしれません。「教学統連」とは何ですか。それを言ってみてください。(教授……)。教授? 全国が入らなければならないでしょう。「全国大学教授学生統一運動……」。何ですか。「南北統一運動連合」です。長いでしょう? 全部入っているのです。(笑い)今一番の問題、この国の今の問題が何かといえば学生です。学生と教授が団結すれば動きます。野党と与党が団結したとしてもこの国は動きません。言うことを聞かないのです。若者が言うことを聞かないというのです。二世と教授……。(一六六―三〇四)

 今からは、全体の組織を一つに連結させて力の極大化を図らなければなりません。上下関係を正しく立て、左右編成をしなければなりません。また、二世を先頭に立てて国民運動として展開しなければなりません。皆さんを中心に南北統一運動をして、北韓を解放できないことを知っているので、力にあふれ、意志が強い二世を先頭に立てるのです。大学界でも学生と教授を一つにまとめなければなりません。縦的な立場から見ると、教授はカインであり、二世・学生はアベル的な立場なので、彼らを一つに連結させなければなりません。

 先生はこの前、「教学統連」をつくりましたが、これは教授と学生を一つにまとめる時に基準となることでしょう。「教学統連」の出現は歴史的な事件であると言えます。「教学統連」を中心として、大学界で教授と学生を一つに連結する基台としなければなりません。(一九八六・一一・二一)

 いいですか。今回、「国民運動連合」をつくった時に、主体は誰でしたか。(教授、学生です)。そうです、教学統連は彼らが代表なのです。「全国大学教授学生南北統一運動連合」と、そのように言い、「教学統連」と言うのです。その略語を覚えておきなさい。何ですか。(教学統連です)。皆が知っているのです。それはいつつくられましたか。(昨年〔一九八六〕十月十一日です)。十月十一日です。学生が毎日狼藉を働いている時に来てつくっておいたのです。その時つくらなかったら、このようなみ業ができるでしょうか。ですからその時も、私がやって来たのです。今回もこの大会を行うためにやって来たのです。

 これを行わないならば、運勢がここに来ても定着せずに飛んでいってしまうのです。レバレンド・ムーンは誰かと相談することはできません。政府とも相談することはできないのです。あなた(政府)が協力してくれないのなら、これを独自的に行う、というのです。神様の名前で主体思想をもって表れたのです。まさに主体思想の実権をもって神様の名によって現れたのです。

 私が誰かと連絡したりしたでしょうか。先生が誰かの協助を受けて、こうしているのでしょうか。違うというのです。ですから、「教学統連」を立てたのです。なぜ、教学統連を先頭に立てたのかというのです。先生が、神様のみ旨を創造理想を中心に見る時、先生はアダムと同じ立場なので、アダム家庭を中心に二世の基盤をすべて祝福するのです。二世まで祝福するのです。

 これは何でしょうか。家庭的、縦横なのです。縦横です。家庭的カイン、アベル同士完全に一つとならなければなりません。これはサタンも侵犯することができません。サタンも侵犯できないのです。それは歴史的です。今までの歴史、世界史の中で、このようなことをするのは私しかいません。それは世界史的なことなのです。それゆえ、この基準を中心にして……。今からは、我々に必要なのは責任者です。国家を中心として見てもそうであり、各界各層を見ても最高の知性です。最高に頭のいい人、そしてその次には最高の言論が必要なのです。(一六五―二一七)

 今回、先生が韓国に来ることによって決定的な行動を開始しなければならないので、「南北統一運動国民連合」をつくりました。これをつくるために、教授と学生を先頭に立てるために、「教学統連」をつくったのです。(一六三―三一四)

 教授の名前も何度も何度も使わなければなりません。ですから「教学統連」を立てたのです。「教学統連」を見事に組織したのです。(一六六―二〇〇)

2 教学統連のいろいろな関係

 韓国を分析してみれば、縦的基準でのカイン・アベルは教授と学生です。親と子の関係にもなりますが、現在の国を中心にして考えると、国を動かす際には教授と学生しかいないのです。父母は自然とくっついて入るのです。その縦的なカイン・アベルの一致圏を中心として、横的な社会の有志と青年を一つにしなければなりません。彼らも社会的な面において横的なカイン・アベルの形態になっていますが、彼らが一つとなって原理的な基準で完全に基盤を築き、国がこれに乗らなければならないのです。国はそこに上がるようになります。国は従っていかなければならないのです。(一六三―二六)

大学界を中心として見ると、大学の教授と弟子とは縦的関係です。大学の教授と弟子とは縦的です、縦的。親子の関係と同じなのです。また、統一教会を中心として見れば、統一教会とこの国の国民とは父子関係です。また、統一教会と大学界とを見ると、これはカインとアベルです。その中間に「勝共連合」がぴったりと入っているのです。「勝共連合」はカインでもなく、アベルでもありません。まだらなのです。(一六四―二七九)

 「勝共連合」と完全に一つとなり、今から「教学統連」と一つとなれば、これを横的な面で見ると「教学統連」が蘇生、長成の次の完成です。(一六五―二〇七)

 今回、「教学統連」を立てたのは……。「教学統連」は一つの知性世界を代表します。そして、その次には何かと言えば、未来を代表するのです。これは頭と足との関係と同じなのです。ですから立ちなさい、と言うのです。立て、と言うのです。大学界さえ立てばすべては解決されるのです。

 勝共運動は横的な運動であって、縦的な運動ではありません。そして、我々統一教会は縦的な運動に連結されたというのです。ですから、「勝共連合」を除いて「教学統連」と統一教会が一つとなれば、「勝共連合」はその間で完全に消化されるのです。そのように見るのです。統一教会の組織は親子関係の組織です。ですから縦的です。縦的な組織なのです。教授と学生も縦的組織です。そのようになっているのです。「君師父一体(注:王と師と父の恩は等しい)」という言葉があるではありませんか。そのすべてが縦的なのです。しかし、「勝共連合」は横的組織です。ですから、「勝共連合」がここで自分の欲を求めてはならないのです。「勝共連合」が中間で、接着剤のようにうまくやらなければならないのです。

 我々統一教会は純全と宗教的なので、社会経験ができません。ですから社会をよく知らないのです。しかし、「勝共連合」は社会経験をするので、二つがまだらなのです。両面だというのです。それで、教授と教会との接着剤の役割を果たさなければならないのです。これが一つにならなくては南北統一は不可能です。自分の中で一つになれなくて、どうやって……。これが問題なのです。(一六五―一七一)

 原理でいうならば、すべて横的なカイン・アベルであり、統一教会を縦的な立場で見るなら、御父母様と皆さんは縦的なカイン・アベルなのです。縦的カイン・アベル、内的なカイン・アベル、統一教会を中心として先生と皆さんは内的な縦的カイン・アベルです。分かりますか。教授と学生は外的な縦的カイン・アベルです。これが一つになればいいのです。内的、外的、カイン・アベルが一つになればどうなりますか。どうですか。これが一つとなればその上に現れるのです。それを中心として、このように今から縦的なカイン・アベル、内的な縦的カイン・アベルが勝共連合と統一教会であり、外的な縦的カイン・アベルが大学教授と学生です。ここで、天使長圏が何かといえば、「勝共連合」なのです。「勝共連合」の組織が「教学統連」よりも、統一教会よりも一番大きいのです。「勝共連合」の組織を中心としてこれを前面に立てて、頂点から班まで……。頂点は世界と連結し、この国の班は北韓の班と同じ統・班と連結されるのです。(一六六―三〇四)

3 教学統連の使命

 「教学統連」とは何ですか。先生と学生が一つになって何をしようというのですか? (統一です)。何の統一ですか。(南北統一です)。何を中心としてですか。棒切れでですか。バットでですか。(愛によってです)。(一六六―三一五)

 学生を中心として「教学統連」をつくり、原理の力によって共産党を捕まえる教育をしなさいというのです。分かりますか。右側の腕と右側の頭でもって、左側の腕と左側の頭を打ちなさいというのです。思想的な、理論的な面で共産党をたたきのめさなければなりません。絶対に後退してはならないのです。その作戦を行うのです。韓国の大学界において意識(左翼)分子、反動分子をすべて追放しようものなら、国が行ったり来たりするのです。そうすれば、社会が歓迎し、主権者たちも歓迎するようになるのです。(一六四―一二二)

 この教学統連の使命は大きいのです。ですから、腹をもって、息を大きく吸って、どんどん激しく撃ちまくるのです。その名前は大変なものなのです。南北統一しようと、学生と教授が乗り出したという事実は、革命的な内容が十分なのです。誰が何と言ってももはや革命され得るのです。その名前は大変なものなのです。

 大学界で講演会を行って火が起こり始めれば、左翼系列の学生は我々の動きにすべて吸収されるようになるのです。そのうち何人かは吸収されなかったとしても、数人を除いて、その人が話せば、観を通して除去することもできるのです。しっかりとこのようにしておいて、すべて一つの所に追い込むのです。今がその時なのです。(一六二―一六八)

 教授を動かさなければなりません。今からどのようなことが始まるのかといえば、教授と学生が八道にわたって「南北統一運動国民連合」のための大会をするのです。教授たちは地方の有志を動員し、学生は地方の青年を動員するのです。使命はそれです。大学内でも教授と皆さんが講義をしますが、講義をして得られた環境の群れを集めて、また、教授の影響を受けた群れを追い立てて、教授を通して社会の有志を動員するのです。(一六三―三二二)

 み旨を成す面から見るならば、ここで主力をどこに置くのかといえば、「教学統連」です。「教学統連」に主力を置くので、「教学統連」の教授と二世を中心にするのです。また、教会を通して「勝共連合」では何をするのかといえば、二世を糾合するのです。分かりましたか。組織はあとになっていますが、先頭に誰を立てるのかと言えば、「教学統連」を先頭に立てようというのです。それはどうしてでしょうか。二世とその国の知性人を握ろうとするからです。これが問題なのです。(一六六―二〇七)

 今からまず第一にしなければならないことは、教学統連を中心として大学基地撃破運動です。どうやって大学が「国民連合」を中心に一体となって方向を取り直すのか、ということが問題です。そのように、大学を中心にして連結したものを通して、その次には対社会運動です。社会の有志、地方であればその地方の行政機関、あるいは、政党の官吏を集めなければなりません。そうして、教授が地方の有志をまとめ、その次に学生は地方の青年をまとめて、大会をするのです。主要都市で大会をしていきながら統・班を撃破するのです。統・班撃破だというのです。我々の最後の戦いの激戦地は統・班です。統・班長の教化の完成、これが目標です。(一六六―一七)

 組織的な基盤を中心に国民運動をしようと思えば、文先生に頭があるなら間違いなく「勝共連合」を前面に立てるのが第一だと普通の人は考えるのです。しかし、先生は違います。「教学統連」を前面に立てなければならないのです。主体がどこでしょうか。(教学統連です)。「教学統連」なのです。私が必要なのは「教学統連」です。「教学統連」さえ一つになったならば、国家が回っていくというのです。(一六五―二一九)

 教授が大学を正すことができなければ滅びます。深刻です。ですから、私が「教学統連」を無理しながらもつくったのです。それは易しいことですか。

 大学教授がみな、大学生と連合するというのは歴史にないことです。それは革命です。昨年の三月だったか、教授を中心として三位基台をつくって大講演の準備をしたのですが、私の言うことを聞かざる得ないようにしてきたのです。

 教授の世界において歴史的な次元を転換させるとき、私が原動力となってそのことを行いながら拡大させたのです。昨年に入って、ソウル大学の総長を中心として、首都圏にいる総長たちを集めなさいと言いました。私が会って説得しなければならないと考えたのです。この無力な教授たちは全国に影響を及ぼすことができないので、私が旗を引き抜いて全国教授大会を行ったのです。行ったでしょう? ここで大学界をしっかりとらえて、「これをしなければならない。私の言うことを聞きなさい」と言うのです。それを中心としてずっと糾合していって、「南北統一運動国民連合」をつくったのです。

 今回も大学入試前に組織を組んで、この運動をする準備をしてきたのです。何をするのか分からなかったでしょう。教授と学生が一緒に大会を行うというのは歴史にないみ業なのです。教授が肩に力を入れたその傲慢な姿勢の前では、学生にとって虎の前のねずみ(注:蛇ににらまれたかえる)にも劣るのです。そのような教授が一国を救うために協同するというのです。愛国心を中心として平等な基準で父母とお互いに妥協でき、師と共に妥協できる場に上がるということは驚くべき事実です。それだけではなく、誰が主導するのでしょうか。縦的な基準で教授が主導するのです。学生が主導するのではありません。大韓民国自体を考える時、どこがアベルかといえば、教授と学生がアベル圏です。ところが、この者たちがサタンの業を行っています。みな合わさって、国民と一つにならなければなりません。そのようにしなければならないでしょう?(はい)。(一六三―二三)

 将来、大韓民国がよくなり得る方法、道がありません。政党でもありません。ある宗教団体の宗主、レバレンド・ムーンや「勝共連合」でもありません。「勝共連合」があり、政党があったとしても、大学界の学生と教授を動かすことができなければ、大韓民国は生きる道がありません。ヨーロッパの国家も全部そのようになっています。教授の権威はすべて地に落ちました。権威はすべて地に落ちたというのです。回復する方法がありません。このような悲惨な運命の道に置かれていることを今、よく知っているではないですか。(一六七―二七三)

 大学にいらっしゃる教授たち、教授が教職員の一人として働く大学は上下関係があるのです。理事会の役員と学生がいます。「私は本当に理事会の役員と共に、あるいは、私の学生たちと一緒に生きたい。あなた方は願わないかもしれないが私はそのように生きたい」と言える教授がいたなら、たとえ彼の知識が足りず、別の欠点があったとしても、彼は教授の中の教授だと言うことができるでしょう。また、学生たちに尋ねて、「先生と本当に一緒にいたいし、共に生きたいです」と言える学生は真の学生です。また、理事会の役員の中で「私は教授たち、学生たちと共に生きたい」と言える人がいたならば、彼はその学校を誰よりも愛する代表的な存在として恥じないでしょう。

 世界的な学者がいたなら、彼は学問の分野で理論体系を立てるために、どんなに苦労したことでしょうか。その谷間をかき分け進みながら涙と共に骨髄がにじみ出る心情で本を読みながら、彼の苦労を自分のものと感じ、本を握りながらも涙を流しながら感謝する心が必要です。

 皆さん、学生をどれくらい愛しましたか。自分の骨に深くしみて忘れられないくらい、その学生をとらえて、寒さを顧みず、困難を顧みず、体面を顧みず、彼と私は離れることのできない心情の因縁をもった師弟の関係だと堂々といえるのか、それが問題です。(一九八六・一〇・一一)

 教授は教授なりに自分は偉いといわず、教授も学生のために生き、学生は教授のために生きる運動をしなければならないのです。ですから、この「ために生きる」運動が学校から拡散していかなければならないのです。(一九八六・九・二九)