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第六節 韓民族に対する神様のみ旨

一.韓民族の悲運と神様のみ旨

1 韓民族に試練を下さった意図

 今日我々は、過去から今までの歴史的なすべての罪悪を蕩減するための民族的な試練を、いかにして越えて行かなければならないのでしょうか。「この民族は新しい世界のために、新しい理念の天国のために善なる血族として立てられたので、この民族を犠牲にして歴史的な罪悪を蕩減なさってください」と祈祷しなければなりません。皆さんがそのような祈祷をしなければなりません。まさにそうでなければなりません。

 この時代に神様が世界の人類の中の誰でもない、どの宗族でもないこの三千万民族に、何十年あるいは何百年間の試練過程を置いて鍛錬させる理由はどこにあるのでしょうか。一面からだけ見れば悲惨ですが、他の面から見るとき、神様は我々のために無限なる祝福を下さろうと、世界的な祭壇をつくっておかれたのです。このために鍛錬させたということを知らなければなりません。

 それでは、我々はどのようにしなければならないのでしょうか。常服を着て復帰の使命を果たす祭司長たちになるのか、あるいは祭官たちにならなければなりません。そうしてこの民族を代身して神様の前に過去を悔い改めて贖罪の祭祀を捧げることができなければなりません。そのような祭祀を捧げるためには、祭司長にならなければならないので、皆さんは民族が試練の道を歩むとき同参しなければなりません。これが神様に向かう原則です。

 そうすることによって、今日皆さんは民族的な試練の道を行くときにおいて、自分個人のために行ってはいけません。「お父様にはこの民族を立てようとされるみ旨があるようなので、その責任を私にお任せください」と言うことのできる立場に立たなければなりません。「左手で過去を悔い改め、右手で時代を収拾しようという祭物です。二つに裂かれようとも、サタンが取ることのできる祭物ではございません。裂かれても片方は歴史的な祭物であり、もう片方は時代的な祭物ですから、天よ、受け取ってください」という祈祷をしなければならないというのです。そうすればサタンが取ることができず、屈服するようになるのです。(一三―二六五)

 この国この民族は世界の一番どん底に磐石を築かなければなりません。磐石の中でも一番強い磐石を築かなければなりません。そうしてそれを足場に激しい試練の中でも発展をして結束することのできる群れをつくらなければなりません。(一四―三一六)

 今日五千年を経てきた韓民族の歴史をたどってみるとき、その歴史はあきあきするような歴史ではありませんでしたか。血なまぐさい歴史の過程が織り成されてきたのを見れば、振り返ってみるのも嫌な歴史ではなかったかということです。このように生き難い大韓民国という国を形成するためにも、血なまぐさい曲折が織り成されていますが、ましてや神様のみ旨を成し遂げることのできる天側の国を編成するためには、どれほど血なまぐさい代価が支払われなければならないのかを、皆さん、考えてみてください。

 一つの国においても奸臣が栄えたならば忠臣が栄えることのできる歴史的時期があり、主権を行使することのできる時期がありますが、神様は奸臣側ではありません。忠臣側なのです。忠臣側でありながらも、奸臣から数千年の間追われ、一度もご自身の権威を誇ってみることができませんでした。ご自身の愛、ご自身の家、ご自身の氏族、ご自身の民族、ご自身の国であると誇ることのできるものがない中で、あきあきするような戦いをしてくるほかなかった天側の悲惨な事縁が、歴史の背後に宿っているということを、我々は忘れてはなりません。

 そのような天側の国を追求していくうえにおいて、私自身が天側になるのか、その国の先頭に立って祭物になることのできる私自身になっているのかが問題だということです。天側を考えるとき、天が今まで天側を死守するためにどれほど多くの血を流し、どれほど大きな苦労の代価を払ったのかということを、皆さんは知らなければなりません。その苦労はいまだにすべて終わってはいません。民族を越えて世界の数多くの難しい環境を打開していくためには、数多くの犠牲の血の代価を払わなければなりません。サタンが望む代価を払うのではありません。神様の悲しみの血の代価を払いながらでも行かなければならない運命の道があるのです。(二八―一二三)

2 悲しみを希望の動機にしなければならない我々

 歴史を見るとき、被圧迫民族の中ではっきりした目的をもった民族は、圧迫を受ける期間が長ければ長いほど、滅びるのではなくてさらに団結してきました。このような事実を我々は歴史を通してかいま見ることができます。

 卑近な例を挙げてみれば、イスラエルはどんなに難しい時代と環境を経たとしても、自分たちが選民であるという意識を失いませんでした。行くところ行くところで迫害と悲しみがいつでも彼らを待ち受けていましたが、彼らはその悲しみを通して一日の希望を標準として行ったのです。その悲しみが彼らを落胆させたのではなく、かえって彼らを団結させ、難しい環境を打開させる歴史的な闘争過程を越えさせたという事実を、我々は知っています。

 そのため、悲しみというものは落胆の条件になることもできますが、目的をもっていく人には、かえってそれが目的を成就させることのできる内的な力を結成する条件になるという事実を、我々は知らなければならないのです。

 それではイスラエル民族が念願したものは何でしょうか。唯一神を中心として国家と民族が心情一致した理念圏内に立つことでした。それを追求してきながら、彼らは死んだとしてもそれを胸に抱いて死にました。そのみ旨をなせないことを恨として残しました。彼らが死ぬとき、父母としてあるいは何らかの指導者として、後孫の前にそのみ旨を成し遂げることを、遺言として残しました。このようなことを見てみるとき、悲しい歴史過程を経てきた民族であればあるほど、その歴史過程を通して世界的な勝利の基盤を迎えることができるという事実を、我々は推測することができるのです。

 このような点から見るとき、堕落した圏内で国なき民族が悲しみを抱いて出てきたとしても、目的意識が強くなるときは、その悲しみがかえって希望をもたらすような動機となるのです。もしイスラエル民族が自分の国をもっていながら、民族圏内で悲しみを感じたとするならば、その悲しみはいつの時か流れて行ってしまったことでしょう。

 しかし、彼らは国のない中で悲しい運命にぶつかればぶつかるほど、自分たち民族に現れる環境を眺めれば眺めるほど、いつも国家観念をもち、同族愛を増していったのです。その悲しみにぶつかることによって、新しい国家を追求するようになり、自分たちが拘束された環境を打破して解放された新しい環境を追求することができたのです。その悲しみがまさにそのような動機となったのです。そのような民族はいつの時か必ず勝利の一時を迎えるということを、我々は知らなければなりません。

 悲しい環境にさらされたとき、過去に落胆するのではなくて、かえってさらに団結して民族愛と国家愛を爆発させることができる民族があったならば、その民族は今後必ず世界史を動かすことのできる力を起こすようになる、ということを我々は考えなければなりません。(三〇―二四七)

3 韓民族の悲運と神様のみ旨

 考えてみれば、過去五千年の歴史を振り返って見るとき、暗闘と陰謀、対立、闘争によってつづられた韓民族、我々は片時も互いに手厚く愛し、理解し、許した時節を過ごした時がありませんでした。悠久なる歴史とその文化の伝統をもった韓民族が、なぜそのような闘争の歴史を記録してきたのか、分かりますか。終わりの日に世界的なカイン・アベルの対立闘争を、この韓民族から終結させなればならない天倫の秘密があったためです。神様はその連結のための段階的な準備過程をこの民族を通して準備してこられたのです。したがって、いま恨の結び目を終結させなければならない神様の摂理がこの地を中心として展開されている状況で、もしアベルとカインである我々が一つとなって国家的なアベル圏を形成することができなくなれば、この民族はイスラエル民族よりもさらに悲惨な民族となってしまうという事実を、皆さんは肝に銘じなければなりません。

 皆さん、今や世界史的な運勢がこの民族を中心として回ってきています。南と北が分かれた悲運も、問い詰めてみれば、神様がこの民族を世界の主導国にするための一つの試練として下さった祝福でした。永久に民族を分裂させるためではなく、より確固たる結束を通して世界の見本とならせるための、神様の試練でした。南韓で統一教会と既成教会が一つになり、すべての宗教が一つになり、これが勝共の核心主体となって、北韓の地を完全に消化して世界を一つにさせる基本をこの地に準備してくださるために、神様は南と北の両国に分けて立てられ、南側から統一教会を通してみ旨を展開されたのです。このような事実を知っていたので、私は統一教会の一番先頭に立って戦ってきたのです。統一教会のために戦った私ではありませんでした。韓民族の将来とこの国家の明日のために戦ったのであり、皆さんのために、韓国の全民族のために戦いました。今後において皆さんと韓民族が神様に選ばれた民族として使命を果たすことのできる基盤を固めてあげるために戦ったのです。これはみな誰のみ旨ですか。イエス様のみ旨であり、神様のみ旨です。

 韓国はイスラエルと第二イスラエルであるキリスト教徒ができなかった摂理的使命を引き受けた第三イスラエルです。韓国ではどのようなことがあったとしても神様の摂理が完結をみなければなりません。世界のすべての文明が韓半島で結実をみなければなりません。我々は神様を中心とする一つの世界を成し遂げるうえで、最も基本となってあげなければなりません。アダム文化圏の新紀元が画されなければなりません。(一九八〇・一一・八)

 神様は歴史を通して 筍(基準となるもの)を立て、横的な環境を成される歴史を導いてこられました。今も神様は筍になることのできる個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を探していらっしゃいます。韓国はこのような筍の立場に立たなければならず、そのためには試練を経なければなりません。

 筍はすべての枝が受ける試練を一時に受けますが、前進的な克服をしなければなりません。このように我々も世界的な試練を克服しなければならないのです。(一七―二〇八)