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二.神様の心情の対象国家

1 悲運の歴史をつづってきた恨の民族

 韓民族は悲運の歴史を綴ってきた恨の民族です。韓国は長い間貧しく、周辺強大国の非常に強い勢力の狭間で侵略と蔑みを受けなければならない運命の道を免れることができませんでした。漢族と、満州族、蒙古族、そして日本に対してそうでした。外勢の侵略を受ける度ごとに、数多くの人々が血の涙を流し、恥辱の痛みを受けました。そうする中でも、この民族は決して天を捨てませんでした。国家の運命とともに、自身たちの悲惨な時代的運命を宿命のように感じながら、天を仰ぎ精誠と祈祷の祭壇を築いてきた民族です。そのような恨の歴史的傷痕が今日まで残っており、そのような祖先たちの精神が今日の我々にまで連綿として流れているということを、我々は考えざるを得ません。

 そのような観点から、この民族が流した涙は決して自分だけのための涙ではありませんでした。国と民族のために流した涙でした。さらにまた、ある時は彼らと相対して彼らよりももっと優れた繁栄した国を成して、この国の栄光が千秋万代にわたって花咲くその将来の一日を望みながら、その一日のために堪え忍びながら、その希望の成就のために天の前に祈祷して流した民族の涙でした。

 今日我が国は思いがけずアメリカに頼る国になりましたが、アメリカも完全に信じることはできません。アメリカだけでなく、自由友邦のどの国も我々は確実に信じることはできません。ですから、我々においては、いまだに周辺強国の狭間の中に閉じ込められているこの民族の将来を心配せざるを得ません。

 長い間周辺の外勢から侵略と迫害を受けて生きた悲運の韓民族、しかしその受難と悲運の歴史の中でも天に背かなかった一民族、この韓民族の将来は今後どのように展開されるのでしょうか。まだ過去の歴史と一つも変わりなく、強国の脅威の中に閉じ込められたこの民族の生きる道がどこにあるのか、ということです。

 私はここで、我が民族が至誠を尽くしてただ天のみを仰ぎ、さらに深刻な涙を流しながら、世界全歴史時代においてどの民族も築き上げることのできなかった精誠と祈祷の祭壇を築き、歴史時代において天がどの民族よりも記憶されることのできる位置を固める道だけが、この民族が生きることのできる道であると考えます。この道を取るとき、初めて神様がこの民族に晴れて堂々と同情してくださることができ、またこの民族を救援してくださることができるでしょうし、そうすることによってこの民族は繁栄と栄光の一日を花咲かせることのできる民族になるだろうと考えます。(一九八〇・一一・一)

 大韓民国を見てみるとき、大韓民国に何千年ぶりにこの一時が訪ねてきたのでしょうか。五千年の歴史を経て、初めてこの一時が訪ねてきたということを、皆さんは知らなければなりません。この民族は歴史上のいかなる民族よりも苦労した民族であり、どの民族よりも弱い民族としてアジア強国の狭間で侵略者たちの銃刀に、あるいは馬のひづめに倒れ、そのうめき声が三千里半島にやんだことがない孤独な民族であり、哀切なる民族ではなかったでしょうか!

(四三―三三四)

 大韓民国は今まで五千年の歴史を誇っていますが、誇るべきものが何もありません。悲惨の歴史であり、流血の歴史であり、謀略中傷の歴史であり、権力をつかんだ者たちが弱者を略奪した歴史でした。しかしながら、そのようにいじめられる民族の中には、汗を流して苦労をしながらも天にしがみついて祈祷する心、「もっと大きな愛をもった神様がいらっしゃるならば、我々の将来を保障され、我々の行くべき道を開いてください」と祈祷して順応する敬天思想があったのです。それがこの国、この民族が生き残ることのできる運命の形態をつくったのです。(一九八〇・一〇・一六)

 大韓民国の歴史は悲惨な歴史ですが、これが悲惨で終わるのではありません。一つの下りていくサイクルの運勢圏内で今まで呻吟しましたが、上がっていく時が来るであろう、このように見るのです。(一〇五―二九四)

 韓国の過去の実情を見れば、貧しく、生活が困難でした。それは天運がそのようになっていたためです。そうでなければ正常ではありません。腹をポンポンに張り出して腹鼓を打って食べ、自分だけを考えてよい生活をする人がいたならば、その人は不正なことをした人です。そのような人は遠くない将来に滅びます。撲殺されることでしょう。

 今韓国は神様の愛と天倫の法度を立てる代表的な基準を見せてあげるための位置に立っている、と先生は考えます。そのために韓国の実情においてよい生活をし、腹を張り出して度を越した良い生活をする人々は全部正常ではないのです。それではどのようなものが正常でしょうか。食べられず、心配を泰山のようにして今日を生きたならば、明日の心配がぎっしり詰まっていなければなりません。それは極めて不幸な運命であるかのようですが、それを克服するようになれば、極めて幸福になるのです。(一七―二一)

 過去にこの民族に悲しみがあったということは、勝利の一日を迎えるためなのです。この勝利は過去にのみ連結されるものではなく、現実の舞台に連結させなければならないものです。いかにして連結させるのでしょうか。ここでは革新的な新しい運動を提示しなければなりません。これは未来の希望の土台とならなければなりません。このように再現することのできる地点は過去の復活であり、現実の出発であり、未来の起源となることでしょう。このような立場に立脚した皆さん自身となることを願うのが、この民族を訪ねてこられた神様のみ旨です。したがって統一教会を立てて計画される目的がここにあるということを知らなければなりません。(二四―一九九)

2 神様の心情の対象国家

 この民族は五千年の歴史を誇る倍達民族として、今まで無数の侵略を受けてきた受難の民族です。しかし、この民族には歴史を通して神様が同情することのできる神様の心情と近い心情が宿っています。この民族歴史の背後にあるすべての惨事は、カイン・アベルの惨事と同じです。大韓民国の歴史に、世界に類例のない宮中秘事があったのは、世界復帰路程においてカイン・アベルの蕩減の戦いを代表としてなしてきたのであると考えています。

 このような内容を中心として見るとき、我が国が摂理歴史においてどの国よりも神様と近い位置に立っていることを知ることができます。そして神様が愛すまいとしても愛さざるを得ない民族となったのです。(二三―二四五)

 アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたのではなくて、神様が私にくださったみ言を聞いて人格革命が起こったのです。神様が韓国の地を通して下さった新しいみ言は、一度聞きさえすれば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人が世界のために犠牲になろうと出て行きます。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱だった過去から解放されます。父母には孝道、国には忠誠、神様には命を懸けていき、奉仕しようという偉大な人格者になっていきます。そればかりか、彼らが共産主義を神様の怨讐と認定して、共産主義と戦おうという信念が、この世の中のいかなる信念よりも強く燃え上がるようになります。

 どうして神様が世界を救おうとされる最後の理念が、我々の祖国大韓民国を通して現れるのでしょうか。韓国は何の資格があって終わりの日にこのような選びを受けた国となったのですか。一言でいって、韓民族は神様の心情を理解することのできる民族だからです。

 歴史上で神様はうれしい方ではなく、悲しみの帝王であられることを知る者がいませんでした。神様は創世の時から息子を失った父母でした。いかに帝王だといっても、息子を失った父母は悲惨であり、哀れです。歴史の中にいらっしゃる神様は哀れな父でした。この哀れな父において、最大の孝子はその父の痛みと悲しみを代身する息子です。韓民族がまさにそのような位置において選びを受けたのです。

 韓国の五千年歴史は苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間貧しく、外勢の虐げの中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練を受けてきた韓国の事情は堕落した人類、すなわち死んだ息子を見て嘆息する神様の事情と同じです。韓国人たちは涙の味を知っています。だから涙の神様を理解することができるのです。韓国人は古来より悲劇を好みました。

 それがすなわち堕落という悲劇を味わわれた神様を同情することのできる資格です。 諺 に「寡婦の事情は寡婦が知る」という言葉があります。我々は喜びと栄光の中で権勢のみを享受される神様だろうと思っていたのですが、その神様は、知ってみれば息子を失って泣かれる切なく寂しい父であられたというのです。その神様の心情を慰める真の孝子となることを信じて、神様は我々を訪ねてこられるのです。(一〇〇―二五一)

3 天が立てられた父母の因縁を求める民族

 今やこの民族、哀れな境遇にある我々韓国民族が生きる道はただ一つ、心情的な主人と因縁を結ぶことです。我々はみな裸になりました。みな奪い取られました。父母、妻子も失いました。南北が分かれて私がもっているすべてのもの、我々がもっているすべてのものがみな破綻しました。因縁と関係がみな壊れて出て行きました。息子が誰なのか、父母が誰なのか、兄弟、親戚が誰なのか分からなくなりました。既に過ぎ去ったことですが、我々はこのような環境に生まれました。しかし、歴史を清算して新しい面に引き継がせる天的な摂理があるということを知ったからには、食べるものがないと嘆息するのはやめましょう。姿がみすぼらしいと嘆息するのはやめましょう。ただ一つだけ生きる道がありますが、それは心情が燃え上がって天が立てられた父母の因縁を求めて行く群れになることです。そのような群れとなったならば、この民族は世界を支配するでしょう。

 心情的な因縁をたたえ、神様を慰め、恨めしい自分の位置を忘れて「神様よ、このような位置に立ったことも感謝いたします」と言うことができなければなりません。天が忘れてしまわれずに哀れな位置にいる私をこのような位置に立ててくださったことは、目的とする世界と因縁を結ぶようにするためのみ旨だったからだということを知ったからには、ただ感謝しなければならないのです。

 我が民族は世界的に見るとき、哀れな民族です。二つの思潮の狭間に挟まれて、追われ、裂かれて、蹂躙された民族となりました。しかし、それは天が何の考えもなく哀れな位置に追いやったのではなく、そこへ引っ張り出して新しい歴史を織り成していくようにするためであるということを知らなければなりません。いかなる主義も、悲惨なる環境を舞台にして出発しなかったものがありません。風習と制度と権威も天的な心情を失って退廃したイスラエルとユダヤ教の形式化した教団を足場にして、イエス様の新しい心情の役事は爆発しました。(九―三三)

4 神様の宗孫となることのできる民族

 神様を中心とする最終的な宗孫(宗家の長孫)にならなければなりません。宗孫になるときは、数千年にわたって続いてきた先祖たちが必要とする宗孫でなければならないのです。そしてアダム家庭においてアダムとエバが失敗したことを解怨成就してあげ、アベルがカインに罪なくして殺されたことを解怨成就してあげ、ノア家庭の八人家族を残しておいてこの世界に植えようとされた神様の願いが成し遂げられなかったことを全部解怨成就しなければなりません。また、アブラハムとイサクとヤコブはもちろんモーセ、イエス様の恨を解いてあげなければなりません。そのために、これら全部が必要とする最後の宗孫にならなければなりません。

 歴史的にすべての国境を越えて多くの国に数多くの民族がありますが、その無数に多い来ては去る民族自体も、今後宗孫になることのできる一つの国を選択しなければなりません。その国がどこになるでしょうか。アメリカにならなければなりませんか、韓国にならなければなりませんか。(韓国にならなければなりません)。皆さん方は韓国人なので韓国にならなければならないと言います。しかしながらアメリカ人たちに聞いてみれば、決死的にアメリカにならなければならないと言います。世界歴史上アメリカがいかなる民族よりも優越しているために、祝福してくれることのできる質が必要ないので、アメリカがならなければならないと言うでしょう。

 そして主張する数で見るときも、今日アメリカ人と韓国人を比較すれば六対二です。アメリカのキリスト教信者は約一億二千万程度になります。神様も数を計算しているのです。今後世界を救うためには実際に多くの数字の人々が必要なのです。神様もアメリカと韓国が同じ立場にあったならば、数的に多くて準備された土台の上で事を起こしたいのが当然の理知です。人も同じなのです。

 それなのに韓国になることができるでしょうか。韓国は恨(ハン)が多いので韓国(ハングク)なのです。人々は一つの(ハン)国を成して一つの(ハン)血筋なので韓国(ハングク)というのだと言いますが、そうではありません。恨が多いから韓国なのです。その恨はお金がなくてよい暮らしができない恨ではなく、父と母に会えない恨です。皆さんは孤児なのです。(二一―二五六)

5 神様の心情を慰めてさしあげることのできる民族となろう

 多くの恨を抱いてきた韓国民族! この民族は「飢えよ、ぼろを着よ、旅人になれ」という聖書のみ言どおりにみなしました。昔、天のために進み出た人々はみなそうでした。この終末時期に世界的なイスラエルを建国されようとする神様のみ旨があるならば、この最後の時代に追われ追われる祭物的な国家が現れなければなりません。飢えの泣き声が聞こえなければならない時が来ました。泊まる所のない旅人の身の上になった民族が現れなければなりません。今我が民族がそうではありませんか。我々は旅人です。だから物乞いをして食べるほかに道がありますか。飢えて病にかかっています。そして閉じ込められています。地域的にそうです。

 天上に神様がいらっしゃってこのようなことを見ていらっしゃるからには、時代的な機運に従ってこのような民族を世界の前に天の精兵として立てられることでしょう。このような運命の前に立った三千万民族はいかなる姿にならなければならないのでしょうか。極めて小さい者であるといっても、神様の血のにじむ心情をつかんで涙を流し、神様の心情と共に動く哀れな孝子の姿、孝女の姿、忠臣の姿となり、神様がつかんで慟哭することのできる民族とならなければなりません。そのようになれば、この民族は生きる道があります。

 皆さん! 気落ちしないでください。我々がぼろを着ているのは我々のためではなく、我々が飢えているのも我々のためではなく、我々が渇いた立場にいるのも我々のためではなく、旅人になったのも我々のためではありませんでした。病にかかったのも我々のためではありませんでした。それは世界のためでした。このような立場にあるこの民族にただ一つの道があるのですから、食べられないと泣くのはやめましょう。ぼろを着ていると泣くのはやめましょう。病にかかったとため息をつくのはやめ、閉じ込められたと落胆するのはやめましょう。六千年歴史路程で神様のみ旨と善を探し求めてきた人々の歩みがそうだったのであり、堕落したその日から今まで、神様もまたそのような歴史を経てこられ、苦労されたのです。ですからこの三千万民族は、六千年歴史路程の上に残された神様の悲しい足跡を取り除き、慰めてさしあげることのできる神様の民とならなければなりません。

 民族的に神様をつかみ、我々の父の国のために、我々の父が臨在される道を開くために、我々の父が住まわれる家を造るために、我々の父がお出掛けになる国土を整えるために飢えて働くならば、その栄光はどれほど大きいでしょうか。飢えて渇くその事情をもって父の基盤を開拓しなければなりません。我々が到底語り尽くせないほど哀れな旅人の姿であったとしても、その旅人以上に苦痛の道を歩み、息子、娘を探し求めてこられた父を思い、自分一身の境遇を忘れて父を慰安するために苦労する群れとならなければなりません。腐っていく死亡世界を眺められて苦しまれる神様の心情を慰めてさしあげ、その神様の痛みと苦痛を和らげてさしあげることのできる皆さんとならなければなりません。そうなったからには、絶対に滅びません。(一一―三三)

 天の父はこの民族を訪ねて来られるのですが、その中でもどのような者を訪ねて来られるのでしょうか。飢えた者を訪ねて来られるのです。食べて眠る豪華絢爛たる位置にいる者の父として訪ねてこられるのではなく、飢えた者の父として訪ねてこられます。これはご自身がそのような歴史路程を経てこられたためです。旅人を訪ねてこられます。ですから皆さんは旅人の位置を経て出ていかなければなりません。閉じ込められた者を訪ねてこられ、病にかかった者を訪ねてこられます。そのような所に神様の心情がとどまることができるからです。これを知らなければなりません。本心、天情、天心を中心として、人類愛をもって苦しむ父であられます。(一一―三五)

 皆さん、我が大韓民国の何が難しいと落胆するのはやめましょう。よい生活ができなくてもよいのです。どうあっても滅びる世の中、今日の物質文明が最高度に達して世界的な指導国家の位置にあったアメリカ自体を見てみても、何か情をとどめるべきものは一つもありません。誰かが私に「文先生、あなたはアメリカへ行って暮らすのですか」と聞いたとき、「私はアメリカへ行って暮らしたくない」と言いました。だからコチュジャンを食べ、汗を流しながら隣を心配することのできる韓民族が恋しいのです。この者たちはそれでも未来に向かって苦しむことができ、あすの希望をもとうとしていますが、あの者たちはみな解放です。飽和状態に達したのです。皆さん方は失望しないでください。失望しないでください。(七七―三〇三)