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二.終末の現象

1 現世界は堕落が植えておいた結果の世界

 世の中で、「大豆を植えれば大豆が出て、小豆を植えれば小豆が出る(大豆を植えて小豆が実ることはない。瓜の蔓になすびはならぬ)」という言葉があります。植えたとおりに収穫するということです。今日この世界は二つの陣営に分かれています。民主と共産が対決しているのですが、一つは唯心史観であり、一つは唯物史観です。このような二つの歴史観が対立している世界となったのです。また、このような世界舞台の上に、青少年問題が世界的な問題として登場しています。

 それでは、どのようにしてこのような結果の世界になったのでしょうか。いわば、そのように植えたので世界的にそのような結果が現れたのです。我々はそのような世界になっていくのを目撃しています。

 我々人間は、昔アダムとエバが堕落することによって結ばれたその結果を、復帰路程を経ながら必ずや清算しなければなりません。では、人類始祖がどのようになりましたか。神様が許可しない立場で堕落することによって、一つになるべき心と体が二つに分かれるようになったのです。すなわち、一人が二つに分かれた結果となったのです。最初にそのように蒔かれることによって、そのような形態の個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を経てきたので、それが全世界的に結実する時が来るようになったのです。その時が終末、いわば、末世なのです。

 人類始祖が蒔いて、人の心と体が分かれた立場で繁殖されてきた人間なので、分かれた心と体の形態で必ず結実せざるを得ない立場にいるのです。いわば、唯心、唯物の二つの世界に分かれて結実せざるを得ないのです。

 ですから、今まで我々人間は、生活しながら自分自身の心と体を中心として闘争の過程を経てきました。一日たりとも平和を築き、統一を成して、天倫に従ったはっきりとした目的に向かって走ったことのない人間だというのです。いわば、心と体が闘いながら今までの歴史を支えてきたので、結果的にこのような二つの世界に分かれざるを得ません。

 今日世界がこのような実情に置かれているのですが、これは堕落の結果なのです。いわば、自分一人の個体が闘う形態を世界的に展開してきたのが、今日の世界だというのです(二〇―一六五)

 歴史は逆回りして、植えたとおりに刈り入れる時となりました。今この時は、心と体が闘い、これが種となって刈り入れられる時です。ですから、心型世界と体型世界があります。これが民主圏と共産圏です。そのような人を植えておいたので、そのように刈り入れる時だというのです。ですから、今この時は、人類歴史において秋の季節です。収穫期であり終末だというのです。(五三―一八八)

 心を中心とした運動を神様が始めたので、このような運動が世界的に実を結ぶ時代です。また、体を中心としてサタンが出発したので、これが実を結ぶ時代が必ずこの地上に現れなければなりません。神様も我々に植え、サタンも我々に植えたのです。ですから、人類の収穫時期を終末だと見なければならないのです。それが物質のための世界と、心すなわち神様のための世界、この二つの世界に分かれるのです。(五三―一三一)

 終末が近づいてくれば、心と体が激突する闘いが起こります。ですから今、民主と共産、この二つの世界の闘いが吹き荒れているのです。過って植えた結果が、世界的な畑で実を結んだのですが、それ以上になれるでしょうか。いわば、今は堕落人間六千年の歴史の収穫期間です。その時、罪をそのように植えたので、そのとおりに刈り入れるのです。(二七―二三一)

2 愛を中心とした終末の兆し

 復帰という言葉は人間が堕落したために生まれた言葉です。これは原理的な観点です。堕落した人間は復帰しなければなりません。すなわち、落ちる前の状態に再び上がっていかなければなりません。これが神様が今まで摂理してこられた主目的です。

 人間は何のために落ちましたか。サタンの愛のために落ちました。それではサタンの愛、すなわち、「落ちた愛」とは何ですか。それは伝わっていけばいくほど全部分離する愛です。個別的に分離する愛を指します。

 では、世の終末とはどのような時代ですか。世界人類が個別的な愛を絶対視する時です。堕落圏の愛を中心として世の終末が始まるのです。いわば、世の終末は個人的な愛が絶対視される時代、国に対する愛や民族に対する愛、家庭に対する愛、そういうすべてのものが否定され、自分を中心とした愛だけが肯定される時代です。倫理や道徳による愛ではなく、動物的な愛が世の中を吹き荒れる時代です。

 現在、愛に対する観念がどの世代まで流れたでしょうか。青少年の世代まで流れました。これを見れば、現在が世の中の終末だと知ることができます。

 青少年の紊乱な愛の行為を、親も防ぐことができず、国も防ぐことができず、世界も防ぐことができない、そのような段階に来ています。国も収拾できず、世界も収拾できない、そのような時代なのです。

 なぜ、サタンはすべての人間をこのような破綻状態まで導いたのでしょうか。それは、神様が愛を中心として復帰摂理をしてこられたからです。その神様の摂理を妨げるために、サタンは不可避的に人間をして家庭に対する愛、氏族に対する愛、民族に対する愛、国家に対する愛、世界に対する愛と反対の愛を行わせて、このような破綻状態まで導いてきたのです。

 人類を堕落させたサタンが願う最高の目標が何かといえば、人類の愛を余すところなく破壊してしまうことです。反面、神様は人間を創造本然の愛の世界に導こうとする立場にいらっしゃるのです。(一九八四・一・一五)

3 青少年問題も堕落の種が蒔かれた結果である

 また今日、青少年問題が台頭しています。これは堕落論を見ても否定できない事実です。今日の大学界の青少年、二十代とティーンエイジャー圏内にいる青少年の問題が深刻です。彼らは国を売り飛ばそうと決心しさえすれば、国までも自分たちの思いどおりに売り飛ばすことができるのです。彼らが決起すれば国も行ったり来たりするのです。そうでしょう? 若者たちが集まってけって立ち上がれば、行ったり来たりします。それは文化的国家だと自称する鼻の高いアメリカの場合も同じです。共産党に弱みを見せればそのようになるのです。誤れば大学界の青年に鼻を折られるのです。最近はそのような時です。フランスでは、至る所でストとデモが起こっているのですが、そのような若者たちによって起こっているのです。

 また、男女問題が提起されるのですが、彼らは堕落する際にどのようにするのでしょうか。親の許可を得ずに自分たちの思うがままです。また夫婦が一つになる際にも、自分たちの思うがままだというのです。愛の法度は天倫の公法が源泉であるにもかかわらず、そのような天倫の公法から外れて、すべて生命の原動力、生命の起源となる愛の法度が道端で一つの遊びとなり、踊りのリズムとなる世界になったので、終末が来るのは明らかなのです。

 アダムとエバが堕落した時期がいつなのかといえば、十代、すなわち、青少年期でした。年を取った人たちではなかったのです。では、堕落する際に何を中心として堕落したのでしょうか。愛を中心として堕落しました。愛の問題を中心として堕落して、二つに分かれた堕落の種を植えたのです。二つに分かれたのは、悪が侵入したからです。悪が侵入した後で不倫な愛の結果としての、その種が植えられたのです。

 これが次第に拡大されて、世界が二つの派に分かれて左右の問題が起こるようになったのです。愛を中心として、最上の先進国から最も下の後進国に至るまで、全世界にそのような台風が吹いて迫る、その時が世の中の終末だということを知らなければなりません。そのように植えたので、そのように刈り入れなければならないのです。

 今日の青少年たちが木の陰で堕落するのは、アダムとエバが木の陰で親の公認を受けずに不倫な愛の因縁を結んだからです。そのように種を蒔いておいたので、そのように刈り取るようになるのです。これが国境を超越し、時代を超越し、世の中と主義を超越して世界的な苦痛の現象として始まる時が来るとするなら、その時が終末だというのです。では、そのような時になりましたか、なっていませんか。(なりました)。そのような時なので、若者だけでなく、年を取った人たちまで放蕩しだすのです。

 アメリカのニューヨークにセントラル・パークという公園があります。そこに行ってみると椅子がたくさんあるのですが、その椅子には年を取った多くの人たちが座っています。彼らは家庭のない人たちです。大概が一人で暮らす人たちなのですが、彼らはわざと家庭をもちません。自分の思いどおりに出たり入ったりしながら、いくらでも肉体の享楽を楽しみながら暮らすことができるのに、なぜわざわざ家庭をもって、根掘り葉掘り拘束されながら暮らすのかというのです。独身でアパート生活をしながら、そのような肉体の遊びをしているのです。すべてにおいて過って蒔かれた結果の風が、世界的に吹き付けていく現象であることを我々は否定できないのです。アメリカだけではありません。ヨーロッパの家族たち、そして、キリスト教文明圏や仏教圏の民族、さらには世界の国家が、すべてそのような風に倒されつつあります。そうならざるを得ないのです。(二〇―一七五)

4 終末においてのサタンの正体と誘惑

 サタンは何の神でしょうか。サタンは淫乱の神です。ですから、サタンは終末に神様を否定し、神様の教会を否定し、神様の家庭的伝統を否定するのです。このような現象が起こる時が末世だというのです。現在、全世界的にそのようなことが起こっているのですが、共産主義は、まさにサタンの役事によって生まれた主義です。

 共産主義は神がいないと否定しています。また、宗教をアヘンだといい、宗教を中心とした家庭を否定しています。これはサタンが宗教と宗教を中心とした家庭を通して、自分を屈服させようとなさる神様のみ旨を知って、共産主義を通して宗教と家庭を否定しているのです。サタンは、神様を否定することによって自分も否定されることを明らかに知っているのです。また、どうせ人間たちは神様に帰ることも知っています。ですから、自分は侍られなくなるので、神様も侍られないようにしようと、神と宗教を否定するのです。このような悪党の親玉がサタンであることを皆さんは知らなければなりません。(一九八一・五・一四)

 アダムとエバの堕落は、心情的に未熟な時に神様の命令、すなわち神様の指示のない所で心情的な行動の第一歩を踏んだのが動機となったのです。成約時代を生きていく青年たちは、堕落世界の環境がどんなに自分を誘惑したとしても、それに対して無関係、無関心な立場を取らなければなりません。そうでなければ、サタンは全人類の心情を蹂躙しようと最後の知恵を絞り出すでしょう。

 共産党は、「遊べ! 歌を歌いながら踊りを踊れ! 愛(の行動)をしろ!」と言います。それは破壊の戦略です。サタンはそのような環境をつくって破壊しようとしているのです。

 共産党が最も嫌う団体は統一教会です。彼ら(共産党)は歌を歌い、踊りを踊り、愛(の行動)をしなさいと言いながら、自分たちの宣伝に心が引かれるように誘惑しています。しかし、どんなに騒ぎ立てても、ここに頓着しないのが統一教会の青年だからです。皆さんは、何よりも優先して、神様の縦的な愛を体恤しなければならないのです。(一九七四・五・一〇)