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1 新教運動と初期アメリカの開拓者たちの信仰
ローマ教皇庁を中心として見るとき、中世には既に腐敗して、彼らは教権と教条に縛られ、神様のみ旨は世界を救うことであるということを忘却してしまいました。世界はすべてほうり出して、自分たちの権力、自分たちが築いてきた基盤が崩れないかと心配で、目を丸くしながら、そこに反対する者はすべて切ってしまいました。世界を救うためには、何倍もの犠牲を支払ってもかまわないと言ったのですが、自分たちの位置と栄光を得るために、その立場の擁護に陥ったのです。
神様が世界を救おうとするみ旨をもっていらっしゃるなら、これをそのままにしておいては何にもなりません。ですから、壊してしまうか、再び立て直さなければなりません。すなわち、新教運動を興さなければならないのです。ですから、マルチン・ルターのような人が現れて正面から衝突したのです。あなた方が愛する神様を我々が信じ、あなた方が愛するそれ以上に我々は世界的に平等な立場で自由に指導しようと考えるのです。神様がそのように考えているので、そのような人がいれば積極的に協助するのです。
英国では清教徒運動を中心として、議会まで動かして神様を中心とした新しい国を構成したことを皆さんもよく知っていらっしゃるでしょう。そのようにして、全体主義的教区をそのまま維持して、追放運動と圧制を強要するので、仕方なく、自由信仰を追求する群れは、ヨーロッパ全域から寄り集まり始めたのです。それゆえ、自由信仰、すなわち神様に自由に侍り、世界的なみ旨として発展させることのできる自由信仰を追求する運動が不可避的に起こるようになったのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。中世のローマ教皇庁を越えて神様を自由に信じ、より大きく世界へと進むことのできる教会を夢見た群れが、新教運動を主導していた人たちでした。そうした中、アメリカ大陸があるということを知り、ヨーロッパ的、教条的、全体主義的な教団よりも、もっと素晴らしい自由の国、信仰の自由世界を夢見て立ち上がった人たちが、このアメリカ大陸に初めて渡ってきて暮らすようになった「ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)」ではありませんか。彼らはそのような国があることを知って、自由な大陸に行って神様が願う自由の天国をつくり、神様が願われる世界でより自由な信仰生活をしようと立ち上がった群れなのです。
大西洋を渡るということは当時、命懸けの冒険です。信仰の自由を見つけるために自分の愛する父母とも離別し、愛する故郷を捨て、家庭を捨て、さらには、国まで捨てようという覚悟で、神様だけを愛し、信じ、頼りながら立ち上がった冒険の道でした。
彼らは、長く険しい航海路程で困難にぶつかったとき、自分たちを出発させておいてこのように苦労させ、すべて死んでいくように捨てておくのかと神様を恨みはしませんでした。彼らは台風が来ても、神様にすべてのものを任せ、神様が願う自由信仰の国を建設して神様に永遠に侍ろう、という覚悟と決意をもって前進した群れでした。
航海する一行は病気にかかれば神様のために祈祷し、神様を中心として完全に一つの心になりました。殉難の道を克服しながら、終わりまで耐えて神様を慰めるそのような場面を見るとき、神側でも決心したはずです。
「歴史始まって以来、このように私のために冒険した人たちはあなた方が初めてであり、家庭を捨て、民族を捨て、国を捨てて立ち上がったので、私があなた方が捨てたものよりも、もっと素晴らしい国と民族と氏族とすべてのものを与えよう」と神様が決心しただろうと思います。
皆さんはメイフラワー号がニューイングランドに到着したことをよく知っていらっしゃるはずです。冬に到着しました。十一月に到着したので、寒く、食料はなくなり、みな飢え死にする事態が展開されました。彼らが素晴らしかったのは、食べるものがないのに、明くる年に蒔く種を残しておいて、飢え死にしていったという事実です。
彼らには、神様が未来のために行くべき道を開いて、自分たちのために神様の願った祝福の国と自由天国を築いてくださる、という信仰がありました。それゆえ、後孫たちのためにその種を残しておかなければならないという心をもって、死の道も喜んで行ったと考えます。このような苦労の道を選んでいきながら、後代のために福を願うことができたのは、その人たちに、ひたすら神様を愛する信仰心があったので可能だったのです。彼らの中で残りの四十一名が協定書を書くときも、神様の名前で宣誓したことを皆さんはよくご存じです。皆さんの先祖たちが、この世を離れる最後の瞬間までも、神様の名前をつかんで信仰を死守したという事実は歴史的な事件でした。
信仰による出発でなかったならば、ほとんどの人々が死んでいくときに神様の前に感謝できたでしょうか。皆さんの先祖たちは、出発しながら、寝ても覚めても、どこに留まっても、一切を神様をお迎えした中で行おうと努力したという事実を知らなければなりません。さらに、ローマ教皇庁が腐敗したことをご存じの神様は、皆さんの先祖に対して祝福をしてあげざるを得なかったのです。
皆さんの先祖が故郷を離れるようになった動機が、他の移民の場合と違う点が何かといえば、世界を救うことのできる国と、自由信仰の祖国を追求したという点です。これは偉大なことです。ローマ教皇庁を越えて世界を救おうというこの思想がまさに、神様が願われる思想と一致したので、祝福をしてあげざるを得なかったのです。(六九―一〇二)
アメリカ国民の皆さん! 神様がアメリカを祝福したのは、アメリカの人たちだけがよく食べ、豊かに暮らしなさいという意味で祝福してくださったのではなく、世界を救うために祝福してくださったということを知らなければなりません。アメリカは神様のみ旨に背いてはなりません。神様は、世界的なアメリカを中心として働きたいと願われるのです。
皆さんの先祖が、もし自分たちだけが豊かに暮らすために移民に行くと考えたなら、神様は絶対にこのような祝福をしてくださらなかったでしょう。北米に移民した人たちは何ももたずに、ただ自由信仰の道だけを求めて上陸しました。それ以外にはいかなる目的もありませんでした。ところが、神様を得、自由を得、お金も得たのです。南米に行った人たちは反対です。彼らは神様を差し置いて、お金のために行ったのです。同じ時代に同じ立場で移民しましたが、彼らは神様も失ってしまい、自由とお金もなく、低開発民族、後進国になっています。
アメリカが二百年間で、このように世界的な一等国家になったということは奇跡です。ひとえに神様が保護し、祝福されて、み旨を成し遂げることのできる隊列をおつくりになったのです。(六九―一〇九)
2 アメリカの独立と神様の祝福
皆さん! もはやアメリカは独立してから二百年に近づいています。一七七六年当時、独立を主導していた人たちの立場を考えてみましょう。独立を主導していた人たちは英国の立場で見れば反逆者です。ところが、この反逆者たちがどのようにこの大きな国を独立させて世界の一等国にしてしまったのでしょうか。神様がいらっしゃるならば、その反逆者たちを祝福したでしょうか。
独立を主導していたワシントン将軍は、初めは各地で敗戦しました。最後のフォージ渓谷の戦闘で決戦に臨む瞬間が肉薄した時、間違いなくワシントン将軍はこのように祈祷したはずです。「神様! あなたが信仰の自由のためにアメリカまで来させたこの民を、再び英国の掌中に、旧教と同様の全体主義の教圏内にほうり込んではなりません。信仰の自由の国、神様が願う理想世界を建国することができるように祝福してくださいませ!」
英国は国権と軍事力を誇っていました。ジョージ・ワシントン将軍には何もありませんが、軍事力よりももっと強い神様を信じ、ちょうどゴリアテに対するダビデのような立場でした。ダビデが投げた石一つがゴリアテの額を打って倒すとは、誰も思いませんでした。彼の思いのすべては神様を第一として戦闘に臨んだはずです。軍旗をなびかせながら祈祷し、また、闘いに臨んでも祈祷したはずです。さらに、先頭に立った彼らと共に、後方の国民も全部神様の前に祈祷したのです。
信仰世界の指導者たちは自分の故郷でみ旨に従うことはできませんでした。常に神様は故郷を離れるように命令されました。そのようにして祝福してくださったのが伝統だったので、神様の名前で英国を離れてきた彼らを神様が保護し、祝福してあげざるを得なかったのです。
それゆえ、神様は自由信仰の世界に行く彼らの心と、信仰国家を願った神様の心が一致したので、独立軍を立ててアメリカに勝たせたのだと見ます。神様が協助したので、勝利してアメリカを建国するようになったのではありませんか。
英国は英国王と国民が一つになって建てましたが、ここは神様と神様が愛する息子、娘が一つになって建てました。ですから、アメリカという自由信仰の新しいキリスト教国家が成立したのではありませんか。迫害される環境の中で、国を建ててから、神様のおかげで勝ったと国会議員から一般国民に至るまで全国民が神様を尊重し、どこにでも神様を掲げるのです。
アメリカの国会が開院されるときは、祈祷で始まります。皆さんの国アメリカは、神様が祝福してくださった国に間違いありません。それゆえ、皆さんのお金には「イン・ゴット・ウィ・トラスト(In God We Trust)」という言葉が書かれています。このようにしてアメリカには旧教ではなく、新教を信奉する国、すなわち、新しい自由信仰をもち、世界的な一つの形態をもった国が初めて生まれたのです。(六九―一〇七)
3 世界大戦を通してアメリカに与えられた神様の祝福
神様は、英国から渡ってきたこの新教徒たちによって築かれたアメリカを祝福せざるを得ませんでした。その代わり、アメリカ国民はその時から完全に一つになって、神様を中心として世界を神様の主権へと救うために、彼らに負荷された使命、すなわち世界の救援のために犠牲になり、奉仕しなければならないのです。
このようになって、神様はアメリカを第一次、第二次世界大戦で勝利させて、世界の主導国家となり得る国力を備えさせたのです。
イスラエルでイエス様が使命を果たせずに死を被ったことによって、インドと、中国をはじめとするアジアの国々がサタン圏へと入っていきましたが、第二次世界大戦の終結によって、サタン圏にあったこれらの国家が天の側に向き直りました。すなわち、アメリカが第一次、第二次の世界大戦に勝利した主権国になることによって、アメリカを中心として第二イスラエルであるキリスト教文化圏を中心とした世界的な霊的王国圏が成されるようになったのです。
それでは、アメリカはどこに行かなければならないのでしょうか。反対に一周回っていかなければなりません。アジア地域に戻っていくのです。それによって何を探し求めるのかといえば、国家の時代が過ぎ、実体的な世界圏を求めるべき時代が巡ってきたので、キリスト教を中心として、国家の基盤なく流動するかわいそうな国々を国家体制を中心とした一つの全世界のキリスト教圏内にして、世界を制覇することのできる文明圏を建設しなければならなかったのです。その祝福を誰が与えてくれたと思いますか。神様が与えました。神様がキリスト教を中心として世界を制覇できる祝福を下さったのです。ところが、そのアメリカがそのような使命を果たしましたか。元来はマッカーサーの言うとおりにしなければならなかったのです。共産党を全部制圧しなければなりませんでした。日本、ドイツを中心とした全体主義国のすべての主権を天の側にもってきたなら、それを死守できなければなりませんでした。今日、韓半島を分けてしまったのも、誰の過ちによってなされたことだと思いますか。アメリカが過ったのです。ここでアメリカが天のみ旨と反対に過ってしまったので、サタンが押し入ってくるようになったのです。
第二次世界大戦を通して、神様が世界を主導できる祝福をお与えになったので、すべてのキリスト教の信者は神様の祝福を感謝して受け継ぎ、神様のみ旨を成就する責任を果たすためにすべて一つに結束して、血と涙の祭壇を築きながら、渾身の力を尽くさなければならなかったのに、そのようにできませんでした。世界大戦の勝利の旗のもとに、そのようなアメリカの結束と神様を中心とした新しい精神文化の創造によって、世界の救いを叫ばなければならなかったアメリカでしたが、神様のみ旨は少しも考えず、個人主義、拝金主義とともに物質文明に陶酔して堕落する方向に落ちてしまいました。
のみならず、世界主導権の価値と使命を喪失してしまい、神様のみ旨はあずかり知らず、ついには倫理的にまで堕落してしまい、祝福されたキリスト教まで没落の道を歩むに至りました。
そうして神を否定し、あげくの果てに宗教をアヘンだと規定する共産主義がアメリカをねらい、至る所に蚕食していくに至ってしまいました。特に若い知識人層と大学界には深刻になるくらいに共産党の地下工作がなされているのが今日のありさまです。(一九八〇・一一・一八)