V 信仰について

教会・教会生活

一 教会・聖地


教会は天国生活の訓練場である。

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教会に来たければ来なさい。そうでなければ食口に会いなさい。または他人を伝道しなさい。そうしなければ心霊が沈んでしまう。

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教会に入ってくれば心が切なくなるのは、心の割礼を受けるからである。

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教会に訪ねてきた客を絶対に冷遇してはならない。

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三人以上は眠らないで教会を守りなさい。どんなときに、どんな命令が下るかだれも知らないからである。

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我々の教会は最高の栄光の立場にいる人と、最悪の立場で世界的な十字架を担う人がいる。ゆえに教会とは互いに敬い、互いに導き合うべき千態万象の人物が集った所である。

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統一教会に入ってくるときには歴史的な祖先の恵み(功労)をもって入るが、出るときにはもって入った恵みをおいて出てしまうことを知らねばならない。ゆえに最後まで残って天の祝福を受けて有終の美を飾りなさい。

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食口という名詞は時代が変わって世代が滅びてもなくならない名詞である。ゆえに真の食口は国家的十字架のみならず、世界的な十字架を越えていかねば真の食口でない。現在、我々の教会で食口と呼ぶのは世界的な十字架を越えることを認めた上で呼ぶのである。

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教会を客観視するな。神様をほかの所において私が遠く離れた立場から眺めずに、その中に入っている心持ちをもちなさい。

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教会は我々の家であり、我々の本家である。本家が良くなるには分家がまず良くならなければならない。

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教会に朝早くから行きたい心が生じなければならない。

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我々食口は教会の看板であり、神様の看板である。礼拝時間はサタンの鎖を切って神の世界に導いてくるための戦いの時間である。生命を復活させるために誠を尽くす深刻な時間であるので絶対に礼拝時間を破ってはいけない。礼拝時間に怠けると恵みを奪われてしまう。

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食口という名をもった者は、自分のものという所有観念を超えなければならない。すべてがお父様の名でなされなければならないし、父より再び分配を受けたそのような関係が結ばれなければならない。先生も私の体を自分のものとは考えない。ゆえに神の命令であれば何でもできるのである。

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集会のときには証と報告の時間をたくさんもちなさい。

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恵みがある所に行けば春の日のようである。新しい生命が芽生える時が春である。

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自分の生活をする前に教会の生活を考えなければならない。

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私一人を犠牲にして全体が生きることができるとすれば、だれもがその道を取ろうとしなければならないし、そのような人が食口である。

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神が勝利の旗を立てて、勝利の栄光を万民に帰してあげることのできる統一教会の青年男女がいるか。

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三点が結び合ってこそ面積が生ずる。二点は線にしかならない。腰の紐を締めようとすればしっかり締めなさい。

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サタン勢力に支配されず、かえって押し出すことのできる主体的能力があってこそ、統一教会と関係を結ぶことができる。

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統一教会人となるためには、神と先生の内情的な願いを相続しなければならない。

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教会生活において神の公認を受けなければ、社会生活において神のみ旨に代わる生活をすることはできない。

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本部は与える所であり、相手方は受ける所である。いまだに世界に食口が多くないのは本部の責任である。

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教会指導は手段方法でもってはできない。呼吸のような神との生命が切れないようにしなければならない。根である本部と一つになりなさい。

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聖地は神様が訪ねてこられる中心の地。聖地は必ず買わなければならないし、そして売ることはできない地である。聖地にたびたび行きなさい。寝るのも聖地の近くで寝なさい。

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聖地は神様の子女たちの面会場所である。

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聖地は神様の保護を受ける地である。

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皆さんは死んだ肉体までも神様の聖地に埋めなければならない存在である。

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韓国で勝利した基準を世界まで因縁づけてあげなければならない。すなわち、韓国の子女によって全人類をアダム、エバの堕落直前まで昇格させてあげたので、ここに土地が必要なのである。これが世界に聖地を定めた理由である。

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聖地は三千里半島を縮小させたもの。

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聖地で所出される物は聖別しないで使える。

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聖地が自分のもっている土地より小さいときには讒訴を受ける。そして、聖地に対する我々の誠が、その村人全体がその地を大切にする誠よりもっと大きくなければならない。