審 判


審判の基準は法の道理を立てて見せてあげてから審判する。審判は力でもってやるのではなく、血と汗と涙で神様の愛をもってやる。

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審判は人を打とうとするのではなく、怨讐を打とうとするのであり、万物を解放しようとするのであり、また人を解放しようとするものである。

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個人の審判は、物質、家族、心情をいかに解決したかにかかっている。

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神様の前に審判を恐れるな。あなたが審判の使命を引き受けて責任をもって進む神様の代身者となることを願う。

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審判をしなかったら、一番怨讐である人の子供が我々の側に来る。これよりもっと大きい審判がどこにあろうか。

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イエス様は理念が異なった国籍をもった方である。イエス様の理念、言語、行動と同一であれば私も国籍が同じくなる。イエス様を信じ、体で投じ、その愛を実践せねばならない。

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この世を貫けるほどの恨みがあるとしても、神様と因縁を結べなければ一代で終わってしまう。

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善人が悪人を打って、その悪人が善人になったあとは自分を打ってくれた人に無限に感謝する。しかし悪人が打つ場合には最後まで敵の立場になる。

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神様が敵だと宣言なさる前に、あなたがどうして口を開いて怨讐視できようか。

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あなたは死亡世界を切る剣となりなさい。

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審判は罪人たちを全部地獄に押し込めるのではない。敵とサタンまでも復帰しようとするのである。

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善と悪、神とサタンは方向が異なる一八〇度の相克の世界である。ゆえに罪悪の世界で一番嫌がり悪口を言う所に行ってみなさい。そこに神と神のみ旨があるだろう。そして終わりの日に審判を免れる道も、サタン世界で一番良いものを捨てて、一番嫌がるものを取る者となればよい。

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死の立場におかれても敵のため祈れたイエス様はどんなにか痛快だったろう。(征服した立場から)

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神様が立ててくださる以前には安心せず、カイン・アベルの峠を少なくとも七つ越えなければならないことを忘れるな。

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どんなとき、どんな瞬間に神様は私を中心として最後の結びを結ぶことを願うか分からない。人によって決定的な峠を越える時間はみんな異なる。

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統一教会に入教してから死ぬまでのものはすべて審判を受ける資料となる。

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過去が今日の善に符合しなければ、無慈悲に審判することができなければならない。

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統一教会は過去の歴史を清算して未来の新しい歴史を創造するところである。

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より打たれる者は残るし、より打った者は滅びる。

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終末は収穫する秋の季節と同じである。各教団には数多くの種類の穀物が自分なりの価値でもって実を結んでいる。しかし、いくらよく熟れた穀物だとしても、主人のカマを握った手によって切られ、収穫されない物は秋の鳥たちのえじきになるしかない。ゆえにキリスト教は現在の立場で分かれ放題に分かれていく。それは穀物が訪ねるべき収穫の倉庫を見つけなければならない時だからである。

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神様が六千年摂理なさったものを、種類を分けて納める収穫期が終末である。ゆえに私という個体はどのような実を結ぼうとしているかが問題である。

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終わりの日に神様とイエス様の審判がある前に、聖徒たちによる審判が先に来る(コリントT六・3)。ゆえに聖徒の証が貴重であるので、私を証してくれる三人がなければならない。私を証してくれるものは、悲しみと苦痛と喜びをどの程度共に分かち合ったかどうかによって決められるのである。

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創造時になかった審判をしようとするので神様はひとり子(イエス)から打ってその条件でもってサタンを打つ。そうすればサタンは讒訴できないのである。我々は神の前に「イエス様を打ったように我々を打つことにより、サタンを打ってください」と祈らなければならない。そして霊界にいる霊人までもこれを見て、かえって地上の人間たちに対し慰めの心情が生まれるようにしたなら、霊人たちの悔しい恨みも解かれる。

しかし神様は打ったあとは涙していることを知らねばならない。

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原理の条件が讒訴しないように原理基準の上で生活しなさい。

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許される者が許しを得て感謝するより、許されざる者が許されて感謝するのがもっと大きい。先生はすべてを全部復帰したあとにはサタンまでも許せる心情をもっている。

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死ぬ時に後悔と未練を残すかどうかを心配しなさい。

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宇宙的な善の種を蒔いて、再び結実の実体を探し出そうとする日が、我々信者たちの前に恐怖と苦痛の象徴として残されている審判の日である。

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神の怨恨、万物の怨恨、人類の怨恨までも皆さんが引き受け清算することができない以上は、末世において言うに言えないほどの恐怖と嘆きと怨恨の大審判を免れることはできない。

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死ぬ時に後悔の条件を残さない皆さんとなるよう努力しなさい。

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完全に至れば、過程にあるものを審判できる。

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天理の公法の前にサタンを置いて審判しよう。

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公的な世界観をもってこられたので創造主は審判をしなければならない。

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私をして神様の心情を再び誘発させる中において審判が決定される。

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統一教会の歴史は短いが、数千年経た歴史の内容を審判するのに不足がないようにならなければならない。

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世界を救うために、世界の審判のその日を待ってくださいと言う我々にならなければならない。

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何も知らずにみ旨の道を歩んだ人よりもっと優れた道を行かずには、審判のその日をつくることはできない。

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審判をするとすれば統一教会を先に審判して、次にこの世を審判するのである。