三 従 順


命令に従順でありなさい。たとえその命令が正しくなくても従順であってみなさい。そうしたら、その命令を守ることによってその権限を代行するようになる。

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神が個人的な基準で命令したのにその命令を不履行したら、そのような人をおいていかに家庭的な基準で祝福ができようか。

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絶対従順、絶対服従する場合には、自然と対象の立場に立つようになって相応するようになる。ねたみ、しっとなどは相克の立場を造成する。

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忠臣と奸臣は本来同級の人物に属する。ただ忠臣は王様のみ意に従順であるが、奸臣は自分を立てようとする。忠臣は常に直線上を歩み、する仕事も始めと終わりが同じである。

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心情からわきいずる心の前に頭を下げて、私をしてそのような心を呼び起こし、その方とそのみ言の前に申し訳ない心をもとう。

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神様は歴史的な従順な者を探しておられる。それゆえ、命令に従順な者とより大きい命令を待機する者になろう。

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上の人の命令に頭を下げるのは普通である。しかし、子供の命令にも頭を下げて、恥ずかしがることを知らねばならない。

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服従するのは主体と一つになって主体の栄光に参与するためである。

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今まで神様は勧告はなさったが命令はなさらなかった。今は命令するときが来た。しかしその命令を受ける範囲はごく制限されるだろう。

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成敗を決定する最後の方法は忠誠のみである。

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忠誠を尽くす者は神様が絶対にそのまま踏み越えていくことができない。

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最後の問題は知識や階級が問題でなく、神が与えた環境を愛し、時を大事にする誠が問題である。柳寛順(注:韓国の独立運動を叫んだ少女の名)を見なさい。自慢する何ものもない。しかし民族が忠誠を尽くせないそのときに忠誠を尽くし、忠誠を尽くすことのできない環境におかれても忠誠を尽くしたために、民族の前に忠誠の指標として現れたのではないか。

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忠誠する時代が過ぎれば最後に成敗を分ける祭物を捧げる時が来る。今日までの復帰歴史を担当していた聖賢たちは忠誠時代に失敗したのではなく、祭物時代に失敗したのである。

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真なる喜びと栄光は一番悲しみ、一番哀痛し、また一番苦しんでいた立場から芽生え出てきたというのが真理である。我々の民族は一番悲しみ、一番哀痛し、また一番苦しんできた民族である。ここに希望がある。

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国家の上下が一つの目的をつかんで涙で交流すれば滅びることがないのに、いわんや神様の涙と人間の涙が交流すれば人間が滅びるはずがあろうか。どうせ終わりの日には悲しみの涙であれ、喜びの涙であれ、涙を流すようになっている。あなたはどの涙を流すのか。

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天は忠誠と真心を尽くす人にはそれ以上で対してくださる。

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誠を尽くした敬礼を先生はむやみには受けない。私の誠がそれより低ければかえって私が打たれる。

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真実でなければ歴史に残れない。偽りなく与えなさい。イスラエル民族はカナン七族を滅ぼすときまでモーセに絶対服従しなければならない。終わりの日の皆さんも主様が一国の主権を立てて、その主権を通じて他国を復帰なさるまで絶対に服従しなければならない。

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銀行に貯金をしておいてそれを再び出すにも手続きが必要であり、ややこしい順序がある。いわんや、既に死んだ生命を再び見いだす永生路程は、どれほど複雑であろうか。その手続きをすべて知らないがゆえ、また難しいゆえ、従順の道理が一番貴重であり、賢明である。

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神の前では冒険と忠誠と従順の三つの種類の人がいなければならない。この三つの中のうちの一種類にも属さずしては天国に入れない。

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従順は誰もができるし、できなければならないのであるが、服従は誰もができるのではなく、服従を通して蕩減されるのである。

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神様に対して不平を言うな。その不平は解くことのできない罪過となる。

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あることで讒訴を受けるようになるときは、讒訴を受けたよりも、もっと大きい蕩減的な誠を尽くしなさい。