三 責任感


先生がこの道を歩みだしたとき、足を伸ばして楽に床に就いたことがない。なぜならば責任を果たし得なかった場合、どうして安らかに休むことができようか。それと同時に初めに父を大事にし、愛するという心情基準をサタンに奪われないために必死の闘いを続けてきた。我々に任せられた責任が重いと思うな。我々が五パーセントの責任分担をなすためにも神は九五パーセント以上の苦労を既になさったということを知らねばならない。

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責任に対して追及されるのが一番恐ろしいことである。

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アベルは誤ったことに対する責任の追及は先に受けなければならないし、良くやったことは全体に帰さなければならない。

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責任をもって仕事をするときは、自分の力量が量られる瞬間であり、審判を受ける期間であると思いなさい。

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行動をなしたら責任をもちなさい。責任を死と取り替えることのできる者であってこそ天国に行ける。

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責任をすべて果たせなければ、死後、その後孫たちが墓を掘り返すであろう。神様の栄光の園にサタンの前に倒れた者を置いておけるか。

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勝利は戦わずにあり得ない。死ぬか生きるかという闘いの末に勝利は決定されるのである。

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外的な環境に主管され、あちらこちらにさまよう人を、どうして大きな仕事を前にし、呼んで相談することができようか。現実の悲哀を逃避すれば既にその立場から押し出されるのである。

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我々に与えられた使命が大きいほど、その使命に比例し試練と闘争も大きいだろう。試練と闘争を恐れる者には使命を授けることができない。

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小さいことに目を奪われれば大きいことはなせない。

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先生の命令を受けて自分の位置を離れる者は落第だ。神は我々が担当しきれないほどの大きな責任を追及している。ゆえに我々は常に足りなさを感じ大きな力を与えてくださることを祈らなければならない。

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責任をもった者はかわいそうな人である。時間は休みなく過ぎ去っていくので、心は不安で常に追われる生活が責任者の生活である。

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先生がいると思うな。いなくてもいるときと同じ基準を保って、より発展することのできる心をもって歩まねばならない。

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責任上から見るとき、神のことはみ子が責任をもち、み子のことは聖霊が責任をもち、聖霊のことは聖徒たちが責任をもたねばならない。なぜかというとみ旨とは全体のみ旨であるから全体が責任を負わなければならないからである。

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勝利の栄光はその戦闘の総司令官から始まるのであるが、共に参加した全戦友にもその栄光は平等に分配される。

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六千年の歴史を蕩減しようとするからには、すべての分野においてなくてはならない第一人者が必要である。ゆえにいかなる分野においても、自分がなくてはならない責任分野を見つけなさい。そのような責任をもった者なら、神は憎らしくともかわいくとも捨てることができない。その理由は、その人のみが担当し得るその分野の使命をほかの誰もできないからである。

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習って、食べて、着て、地位に就くのは私のこととして終わるのではなく、み旨の要求があるということを知らねばならない。私がその要求の内容を果たせなければそれが私を讒訴する日が来るだろう。

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死の場にまで自分を投げ出すことができるものでなければ、天の道を一代で越えることができない。

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神は私の父でいらっしゃるので父のことはすなわち私のことである。私がみ旨のために受ける悲しみと苦痛を、私が私のことで受ける悲しみと苦痛として実感し得ない限り、まだ私は真の子女の立場に立つことができないのである。

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先生はいくら疲れたときでもやらなければならない責任を思えば、そのすべての疲れが一時に吹っ飛んでしまう。

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古い歴史をもつのも重要であるが、瞬間を大切に過ごすのはなお貴重である。眠って食べるその一瞬間が歴史的な運命が決定されるその瞬間であることを忘れるな。一瞬間の失敗が一生かかって積み上げた功績を食いつぶしてしまうことがある。

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この世界とか人間は一度生まれて去ることができるが、み旨は一度去ってしまえば再び訪れないので、このみ旨をなすために責任をもって常に誠を尽くす生活をしなければならない。

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善の世界を失ったのも人間であり、罪の種を蒔いたのも人間であるため、我々人間が責任をもって人類の罪を脱ぐことをしなければならないし、善の世界を探し出すこともしなければならない。

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この瞬間、皆様はあすを開拓するか否かの厳粛な基点にいるのである。責任をもつことを恐れなさい。

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皆様一人一人を呼んだのは神の六千年のみ旨の代わりとして立てるためであるから、皆様は皆様一個人を通して、サタンの墓の中であえいでいる多くの民を解放すべき大きな責任を感じなければならない。

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神様の前で「父よ、このみ旨のために私に責任を与えてください」と言える皆さんとならなければならない。

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我々は絶対者の代わりに、真の父母の代わりに、真の主人の代わりに責任をもち、勝利の勇士とならなければならない。

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責任をもった者は、そのみ旨に徹しなければならない。

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仕事が小さいと言っておろそかにしてはならない。目は小さいけれど一番重要なものではないか。命令してくれることを願う者となろう。

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祖先たちが残していった歴史的な足跡を蕩減し、殉教者、先烈たちが残していった血の足跡に責任をもたねばならない。

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山野に広がっている草木さえも、ある期間が過ぎれば各々創造の目的に対して、生長することにより報いてくれている。いわんや人間はどうなのか。

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我々に加重された責任は、我々の一代において、悲しみをなくし、喜びをどれほど立て得るかということである。

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栄光は神の愛なくしてはなされない。自分の責任をなさずに神の栄光を願ったのが堕落である。忘れてはならないことは、栄光よりも責任を完遂しなければならないことである。栄光は自分から始まるものではない。

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名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。

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一度責任をもてば死ぬか生きるかである。

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革新も反省も、私の生活の中で実践せねばならない。

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神は愚かではない。神の前に弁明しようと思うな。神は約束したことに対し損害があろうとも弁明しようとはしない。その責任をもたねばならない。