恵みは公的であるため、恵みを受けようとすれば、公的な祭物となって恵みを受ける条件を立てなければならない。公的な仕事に責任をもって立ち向かうことがいかに尊く貴重なことか。
公的な立場を守る父母が親不孝の子女をもつはずがない。
先生は公的に売られていく人である。
終わりの日には万民と万国を平等にして再出発するようになさる。
自分には損害になっても公的なことにプラスさせなさい。公的なことは天的な恵みの土台となるものである。恵みは行くべき道をすべて歩み、戦いを終えたのちに訪れる。
善、幸福、義、恵みなどは公的なものであるので、これをもつためには公的過程を経なければならない。個人は過ぎていっても、公的な恵みは民族や人類のために残してあげなければならない。
公的本位に一貫して生きていく人が一番強く、恐ろしく、知恵ある人である。
公的なことというのは、歴史性、未来性を帯びていることを意味する。すなわち、歴史が保証し、時代と未来を自証できるものである。
今日、自分自ら公的な立場に立ったのではない。因縁は遠い我々の祖先たちの願い、環境、神様の公的利益のため、その位置をつかんだと思いなさい。ゆえに歴史的に因縁づけられたすべての霊人たちは我々の味方である。その公的使命を知って、公的信念をもって蒔かれた忠誠よりももっと祭物的な立場に立ちさえすれば、歴史的なすべての公的因縁が今日、現実の中に再現される。
先生は情の王者である。しかし公道、公的な立場に立てば無情であり、また厳格である。だれでも公的な面においては公憤の心情をもたねばならない。
私的な事情が通ずるのも良いが、いったんみ旨を中心としては、私的な因縁は切らねばならない。「天情を立てるため、人情を切る先生となってください」と祈るのが真に先生を慰めることである。
歴史始まって以来、人類は公的な使命を完遂できなかったので、この人たちに代わって歴史的な公的使命者だという信念をもって戦いなさい。
公的な私を認識してみなさい。公的なものは上下、前後、左右の中央に位置しているために責任ある立場だ。その位置が変われば全体が崩れる。良心が正しいというのは、天と地とを結ぶ直線上にいるという意味である。ゆえに公的な存在は自分の思いによって動いてはいけない。
忠孝の公的道理は人も認める。その道へと行きなさい。
語る言葉をもった人、なすべきことがある人として何かを残して死ね。
国を愛することのできない者は決して神様を愛することができない。十度屈服すれば十度勝つようになる。世界がすべて反対すれば世界の恵みをすべて奪ってくるだろう。
公的な立場は祭物の立場である。祭物は存在意識と所有観念を超越しなければならない。
天が任せた責任に対しマイナスさせず、与えられた恩賜に対しプラスさせなさい。食口の前に心情的な負債を負うな。
公的な私の立場を固守しよう。
公的な権威をもつためには、
@信仰を与えてください(どんなことでもみ旨のためならやれる)、
A愛を与えてください(神様がいまだかつてやったことのない愛を)、
B知恵を与えてください。
先生は個人でありながら個人ではない。全体を代行し、歴史の代身者たる先生であるから、皆さんが一度引っ掛かれば手続きが複雑である。先生が公席上で大声をあげるのも皆さんが憎くてそうするのではなく、天法に引っ掛かれば、天と地を懸けて公席上で宣布しなければ蕩減とならないからである。それゆえ、公席上で宣布するときはもう既に先生が責任を負うのである。
神が一番悲しい時は、祝福を与えようとしても眠っているために、彼らを目覚めさせて与えなければならない時である。
公的な品物を勝手に持っていったり、乱暴に扱ったりしてはいけない。その物を間違って扱えばその物によって自分が積んだ公的なものが全部崩れてしまう。
恵みを受ける前に、まず永遠に恵みを奪われない条件、サタンの讒訴を防ぐ条件をまず立てておかねばならない。恵みを保つための一番安全な方法はいつも公的立場において苦労することである。
公的というのは、歴史が保証し、時代が保証し、未来が自証し得る歴史性と時代性と未来性を帯びているのである。
公的な存在は私のものであると言うことができず、全体のものであるから最高のものである。
個人的な事情をもって全体の事情であるかのように適用する群れになってはいけない。
公的な義憤心に燃えなさい。
百人の人が自分を中心として思うなら、公的な思いが百以上なければならない。
み旨を先に立てて私的なすべてを超越して動けば神が協助する。体の願うままに動いてはならない。
より大きな中心に相対的基準を立てることが公的問題である。
公的なことのために生きる人は、神(天)に生命線がある者である。
誓いの条件は大きい。生命を懸けて誓い立ち上がるとき、神は対さざるを得ない。