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5)再臨復活と重生

@ 再臨復活

昔、イエス様のとき、イエス様が地上に来られることによって、それ以前の善なる先祖たちが霊形体級の霊界から生命体級の霊界に入ることができたのと同様に、皆さんの先祖たちも地上にいる皆さんを条件にして、再臨することができる特別な恵沢圏内に入ってきました。何の話か分かりますか? 皆さんがこのようなみ旨を知って、勝利の枝になれば、一つの生命体をなすことができる立場であるために、皆さんの先祖が皆さんに協助するのです。このように、皆さんは、数千代の善なる先祖たちが再臨しうる基盤になるべきです。

イエス様当時には、霊界で条件的に生命体級の復活のための協助をした時代でしたが、今は、霊界が無条件的に生命体級の復活のための協助をする時代です。このような時代が来たために、これ以上の福がないのです。何の話か分かりますか? もう一度言うと、霊界から協助するということです。(一四\二二)

統一教会の輩は草創期には…。この頃の教会は、広すぎます。我々の青坡洞の前本部教会時代にですね、この門から追い出せば、あの門から入ってきて、椅子の後ろに隠れていて、先生が上がっていった後にサッと現れて、祈りながら夜を明かした、そのような歴史を皆持っているではないですか? そうしておいて、朝には先生の顔でも一度見て行こうと、全部こうしています。狂うには皆狂いましたか? 私も狂ったし、皆さんも狂ったのです。ですから、世界に噂になったではありませんか?(同じように狂いました)。ああ、私は狂わなかった、この野郎。(笑い)両方ともそうなら、小便を片づけて、大便を片づける人がいないではないですか? 両方とも小便を漏らしたらどのようになりますか?(笑い)皆さんは、狂いましたが、私は狂いませんでした。私が狂ったあなたたちと同じになったら、今日の統一教会が残りません。

そのような怪しい場面でも、このようになるほどわきまえてきました。世界が反対しました。私を殺そうとし、統一教会をなくそうと、どれほどそうしましたか? その中をわきまえてきたのは、私が狂わなかったために可能だったのです。

天地の道理によって、高い綱を神様に結びましたが、ちんぴらたちはここでこれにぶら下がって、通そうとするので、その綱を持って引ったくろうとするから、引っかからないのです。結局は、その戦いがそこに及ばず、教会の戦いが起こり、国の戦いが起こり、亡国の路程に脱落してしまいました。統一教会に反対した既成教会との戦い、統一教会に反対する政党との戦い、統一教会に反対する民主世界・共産世界との戦いで、それを全部倒したのです。どのように? 遠い所から、高い所から、綱を垂らしておいたから、こいつらがここでこれに引っかかっているのを切ろうとしますが、自分の力をもって切れますか? 統一教会を断つことができますか? 哲学でも、宗教でも、霊界を通じても、理論的に我々はやられないのです。

私が、アメリカに行っているときのことです。アメリカに霊通人協会がありますが、そこの親分である人がいます。朴普煕知っているだろう? 名前が何だったか?(アーサー・フォードです)。アーサー・フォード、知っているには知っているんだな。この旦那が、アジアにレバレンド・ムーンというこれこれこういう人がいるという噂を聞いたのです。我々の宣教師が行って、宣教するときは、人を訪ねて回りません。霊界に通じる人に原理の本を持っていってやりながら、「この本がどんな本か調べてみてください。一週間後に参ります。」と言っておいて、一週間後に行けば「ああ、先生いらっしゃいませ。」と挨拶するようになっています。(二〇八\一九五)

我々は、霊界が屈服しうる理論的体系と、実戦的基台を中心として、神様の前に祭祀も捧げなければならないのです。祭祀を捧げる式が、今日の朝の敬礼式(一九九〇年一一月一七日、第三一回子女の日)だったのです。分かりますか?

その場(漢南洞公館)で、先生が祈った内容がそれです。時にすっかりなったので、今まで天上世界と地上世界に逆さまに流れていた潮流が、今は正しく流れるべきなのです。天が長子権を復帰したために、長子権を復帰することによって、これから生まれる次子たちと、今のすべての次子たちは、天の治める圏内にいるのです。それゆえ、長子権復帰以後の次子権時代には、悪魔の活動舞台を天法で許すことができません。理論的にピッタリと結論が出るのです。何の話か分かりますか?

そして、霊界に行ったすべての霊たちが、今まで地上のアベル圏を利用しました。長子が次子を殺して、祭物にしたのと同様に、逆利用していたのが、今から長子権がここにあるために、霊界までコントロールするのです。

今は、我々に協助すべき自分たちが、福を受けるようになっているのであって、反対すれば反対するほど、絶えずどん底に落ちていくのです。天運が急変して入ります。これから見ていなさい。家々ごとに文総裁の写真をかけろと大騒ぎになるでしょう。霊界で自分の先祖が忠告するのです。「おい、こいつ! 我々先祖の中の先祖文総裁だ。先祖の写真を奉れ!」と言えば、奉らずにいられますか? 尹博士、何の話か分かりますか? それで、旗を掲げて、先生の写真をかけて、その前に毎日のように挨拶をする人は、自分の先祖たちを復活させることができる歴史が生き返るのです。

このような話を私がする必要がないでしょう。自分を中心として、絶対服従しろとする教育だからです。私はそのようなことが嫌いですが、しかたがないのです。

それゆえ、今まで数多くのみだらな霊界を通じるすべての霊人たちは、統一教会に行くなと言いました。しかし、今からは、釈迦牟尼、イエス、孔子、マホメットも統一教会に行けと教えてくれなければ、天法に引っかかるのです。なぜそうなのか? レバレンド・ムーンが言う宗教は、父母の宗教であるからです。分かりますか?(はい)。(二〇八\一五四)

A 重生論に対する質問と答え

(質問に答えられる:一九七二・三・二六 ドイツエッセン教会)

問:アジアでどのような基盤を通じて重生論が生まれましたか?

アジアで言うのは、重生論ではなく、輪廻説です、輪廻説。輪廻説は、仏教思想です。それは再臨現象をその一時だけ見て感じるために、そのような現象として見るのです。全体を知らないために、そうなのです。霊界にいる霊人たちは、地上の人間を通じて、自分が恵沢を受けるのを願います。これが霊人たちの要求なのです。

堕落しなかった本来の人は、天使世界と宇宙を主管することができる価値的存在です。ところで、そのような人間が堕落することによって、何段階も下に落ちたために、再びその位置まで上がっていかなければなりません。上がっていくにも、いっぺんに上がっていくのではなく、段階を経て上がっていくのです。段階を経て、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで復帰して上がっていかなければならないのです。

本来の人間は、(板書された所を指されながら)この世界に訪ねていくべきです。ところで、人間がこの世界に訪ねていくには、いっぺんに上がっていく道がないために、一段階、一段階を開拓しながら、個人から家庭に、家庭から氏族に、氏族から民族に、このように段階を経ていかなければならないのです。

(板書される)このような観点で、神様の摂理について見れば、旧約時代、すなわち個人を救いうる個人的な摂理時代以前に死んだ霊人たちは、その時代に入って恵沢を受けようとするのです。それで、一段階を上がっていくためには、上がっていって一段階を越えるためには、必ず蕩減が起こるのです。霊界には、カイン・アベルの場合のような蕩減役事が必ず起こるのです。

言い換えれば、甲という霊人が、この時代を経てきながら、ここまで協助してきたとしても、一段階を越えていくためには、ただでは越えられないのです。ここには必ず蕩減期間があるのです。それは、一日二日になるのではなく、ある時は原理的な数、すなわち七年とか、四〇年、七〇年、あるいは何世紀を経ていくときがあるのです。

それゆえ、ここで(板書された所を指されながら)協助した霊人は、その蕩減期間が終わる前には、続けて上がることができないので、霊界に帰るのです。その霊人は、ここで相対していた地上にいる甲という人が基盤をすっかり築いてくれるのを願うのに、その人がその期間内に蕩減を果たせず、死ぬようになれば、その霊人は、第二次として、乙という人を選んで、乙に再臨するのを待ち望みます。ですから、乙に再臨する霊人は、甲に再臨していた霊人なのです。

言い換えれば、その霊人がパウロなら、そのパウロが時代的段階段階に上がっていくためには、第一次として再臨した甲という人が、蕩減期間内に蕩減を果たせずに死ぬようになれば、第二次として乙という人に再臨して協助して上がっていくのです。必ず蕩減期間があるのです。

蕩減期間は、原理的な期間を中心として、短期間になされません。それゆえ、第二次として選んだ乙という人が、蕩減できなくなれば、その次には、丙という人を選んで再臨するのです。それで、結局、丙という人にパウロが再臨したというのです、このときに、乙がある文字を書いておいたり、何かを言うようになると「私はパウロの霊の協助を受けて、今役事する」と言うのです。その次の時代に丙という人においても、ある文字を書くようになれば、彼もやはり「パウロの霊の協助を受けて役事する。私がパウロだ。」と言うのです。このようになるので、結局は全世界にパウロの霊が、乙に現れ、再び丙に現れたのと同じようになるのです。

このような現象が起きるために、これだけを見て輪廻だと言うのです。リインカネーション(reincarnation)現象のようなものとして現れるのです。全体を知らないために、そのように言うのです。それがこの時代にも同様で、世界天宙時代まで現れるのです。(板書される)

本来の人間は、サタンの支配を受けず、神様の直接主管圏内で暮らさなければならないのに、堕落することによって、堕落圏に暮らすようになったので、それを脱するためには、個人として蕩減し、家庭として蕩減し…。これを蕩減せずには、脱することができないのです。霊人は、必ずその時代時代ごとに再臨現象を経て現れるために、その段階段階が輪廻、すなわち生まれ変わる現象として見えるのです。

このような観点で見るとき、皆さんも同様です。皆さんが個人的にただ信じて死ぬようになれば、家庭を持てなかったために、家庭基準、氏族基準、民族基準、国家基準、世界基準など、このような段階を皆越えていかなければなりません。それゆえ、何億万年がかかるかもしれないのです。それは無限に該当します。イエス様も国の基準を越えられなかったために、国の峠を越えるために、再びやって来て、国の峠を越えて初めて天国に入ることができるのです。イエス様は、今楽園にいますが、同様の道理です。

このような立場で、イエス様がここのある人に再臨して、その人を直接指導するようになれば、イエス様が臨在したその人は、自分がイエスだと言うのです。それゆえ、それだけ見るようになるときは、昔のイエス様が自分として生まれ変わったと思うために、輪廻説のようなそのような現象が起こるようになるのです。皆さん、分かりますか?(はい)。皆さんは、このような霊的世界をよく知らなければならないのです。

人は、本来神様が直接主管なさる善主権内で暮らさなければならないのに、堕落圏内に暮らすために、悪主権を脱しなくてはいけない運命にあるのです。それゆえ、このような問題があるのです。イエス様は、霊的にそのことをしました。キリスト教も霊的にそのことをしてきているのです。分かりますか? これについて聞いてみる人がいませんか?

このような観点で見るとき、統一教会の復活論は、霊界の事実とそのとおりに合うのです。言い換えれば、統一教会の復活論は、霊界の公式を皆さんに教えてくれるのです。今までの数多くの宗教人たちが、そのような未知の霊界の事実を体験はしましたが、それがどのようになっているか、その事実を知らなかったのです。

皆さんが、この原理を習うにおいては、この原理自体が理論的にそのようになっているという思いだけを持って習わないでください。この原理自体を探すのも大変ですが、これを実践して、勝利の基盤を作らずには、皆さんに教えてあげないのです。

言い換えれば、ノア家庭の内容を知って、アブラハム家庭の内容を知って、ヤコブ家庭の内容を知って、モーセ時代の内容を知って、洗礼ヨハネの内容とイエス時代の内容を知って、それで終わるのではなく、それに対することを知って、全部蕩減して復帰した勝利の基盤を備えるのが問題です。その基盤が備わるようになるとき、皆さんに教えてあげるのです。

言い換えれば、過去にサタンに負けたものを、勝った立場で復帰しておかなければ、神様のみ旨をなしていくことができないのです。今まで復帰摂理を担当してきたノアとか、アブラハムとか、ヤコブとか、モーセのような人たちも、これを知らなかったのです。

ですが、この地に来られる主は、個人として失敗したのを復帰しなければならず、家庭として失敗したのを復帰しなければならず、氏族として失敗したのを復帰しなければならず、民族として失敗したのを復帰しなければならず、国家として失敗したのを復帰しなければなりません。これから来るその世界を探すときまで、全部それを知って、実践することができる代表者です。実践しなくては、なすことができないということを皆さんは知るべきです。

皆さんがメシアに会って、その方を信じて従えばどのようになるか? その方が、個人、家庭、氏族、民族、国家時代を中心として完成するとき、皆さんがその方に会うようになれば、皆さんは、個人、氏族、民族時代の恵沢を受けて、国家時代とともに上がっていくのです。ところで、個人時代にいる人が、メシアを迎えて家庭時代に上がっていくためには、霊界にいる霊人たちと同様に、肉界で蕩減を果たさなければならないのです。また、家庭時代から氏族時代に上がっていくときにも、蕩減路程を行かなければならないために、結局、統一教会に入ってきて長くなった人であるほど、蕩減をたくさん果たしたということになります。長くなるほど、先生と近い立場にいるという結論になります。

国家時代まで訪ねて上がっていくには、縦的に上がるようになります。ここから国家体制を決定して、越えていかなければならないのです。ですが、その過程において、上がっていってこれ以上上がっていけないようになるときは、落ちることもあります。

なぜなら、霊界の現象とは、いくら高い段階まで上がってきて役事したとしても、同様の現象が起こるのです。ここには、蕩減があるためです。蕩減とは行こうとする所に対して行けないようにすることなのです。反対になることをさせるのです。それゆえ、うっかり過ったら、落ちやすいのです。ここで失敗するようになれば、皆崩れるようになります。

イスラエルの国とユダヤ教が、イエス様を迎えるために四千年間準備してきましたが、み旨をなせずに死ぬことによって、準備した基台がすっかり崩れたのです。(板書されながら語られる)それゆえ、ここから上がったり下がったりする過程で、数多くの犠牲者が生まれたということを、皆さんは知るべきです。

それは、一つの主流を通じた摂理、すなわち、神様の主流摂理を通じてすることですが、傍系的にも世界の数多くの民族を中心として、このような適用が起こるのです。このような適用が起こることによって、世界的に蕩減が繰り広げられるのです。

言い換えれば、それが一つの主流として、このように上がっていくなら、これに従って全世界的にこのような立場で、あるものは別の立場で蕩減が起こるのです。(板書される)このような蕩減を果たして、収拾していくのです。それゆえ、今まで数多くの宗教が、多くの犠牲を払ってきながら、復帰の路程をわきまえてきているということを、皆さんは知るべきです。

霊界の霊人や、宗教人が、最高の善であるこの基準をどのように越えていくか、言い換えれば、国家基準を越えて、どのように落ち着くかということが問題です。これがメシアにになります。メシアは、それをねらって来るのです。(板書される)メシアは、蕩減する方法を知っているために、もし国民がまだ蕩減できなかったとしても、彼とともに一つになれば、蕩減期間が短いのです。もし、メシアとともに国が落ち着けば、すべての個人は、全部ここに適用されます。国家が蕩減を果たしたら、家庭は家庭なりに世界的になり、氏族は氏族なりに、民族は民族なりに、そして国家は国家なりに世界的に上がっていくのです。このように見るとき、国家を探せば世界復帰がどれほど早いかということを、皆さんは考えなければなりません。

国を立てておいてこそ、楽園を越えることができるのです。楽園は何かというと、天国に行くための待合室と同じです。それゆえ、アダム、ノア、アブラハム、ヤコブが、このような過程を通じて復帰してくるのにおいて、過ったことが残ったなら、それは全部蕩減しなければなりません。蕩減しなければ、横的に発展させていくことができないのです。これを蕩減させなければならないのです。分かりますか?(はい)。

このような過程から見るとき、国がどれほど重要かが分かります。国さえあれば、落ちないのです。ここでもドイツ人以外に、外国人はドイツ政府の干渉をどれほど受けるかというのです。同様です。もし、失敗するようになれば、追い出されるのです。追い出されるとき、自分の国家がなければ、どこに行くかというのです。そのときは、行く所がないのです。そのような人は、死んでしまうとしても、どこにも訴える所がないのです。

サタン世界も同じです。サタン世界において、我々は彼らの怨讐です。神様を信じる人たちは、彼らの怨讐ですから、その国で我々をどれほど憎み、またいじめるでしょう? それだけでなく、彼らが我々を追放しても、あるいは殺しても、訴える所がないのです。このように、国が重要であるために、神様も国を探してこられるのです。

それゆえ、皆さんが国家を探していくには、個人、家庭、氏族、民族、国家まで蕩減しなければなりません。個人的な蕩減路程と、家庭的な蕩減路程、氏族、民族的な蕩減路程を行くべきです。そうしなくては、世界を行く道がないのです。このように、国家が中心になるために、各国もこのような中心となった国家を通じなくては、この道を行けないのです。これをよく知るべきです。

もし、皆さんが国家を復帰できずに死ぬようになれば、この地上に再臨しては、個人を後援して、家庭を後援することができるだけであって、堂々と権勢のある後援はできません。サタン世界を征服するための戦いをすることができる資格者になれないのです。

それゆえ、国が生まれてこそ、皆さんは入籍することができます。皆さんは入籍しましたか? 皆さんは、統一教会には入籍しましたが、統一された神様の国には、入籍できなかったのです。国がないのに、民になれますか? なれないでしょう? 分かりますか?(はい)。

それゆえ、霊界にいるすべての霊人も、その国の人にどのように協助するかということが、望みなのです。その国さえ存在するようになれば、再臨現象は横的に起きるのです。

横的に起こるために、自分が苦労すれば、苦労した基盤が残るのです。その国を探して上がっていくときは、いくら蕩減しておいたとしても、崩れるようになれば皆なくなります。このどん底からどこまで上がってきたかも、崩れるようになれば、「ドン」というのです。これを繰り返すことが起こりますが、これを横的な基準でするときは、自分の実績は横的に永遠に残るのです。

言い換えれば、復帰して上がっていくときは、蕩減してなくなる時代ですが、国を探して、横的にするときは、それが蕩減ではなく、実績として残る時代なのです。

では、もう次の話をしましょう。一人質問しましたが、もっと質問する人がいません。(五四\二二七)