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私についてきて、霊界に行った人たちがたくさんいます。私に従う人たちを、あのソ連の衛星国家、ソ連の重要都市に全部浸透させておきました。あるときは、死刑宣告を受けたという報告を聞いています。そのような報告を聞いている指導者の責任感は、深刻なものです。子供が寝込んでいたとしても、その寝込んだ子供を心配するようになっていないのです。彼らが私を尊敬するのは、世界を尊敬することでしょう。彼らのために涙を流してやるべきであり、心配をしてやるべき立場に立ったのです。それゆえ、先生は平安な生活ができないのです。
私が越えることができる峠を越え、私が果たせる責任を果たすのにおいて、あの山を越え、一日ぐらい休もうとしても休むことができず、止まろうとしても、止まることができません。そのように走ってみたら、これが六〇を越えて、七〇に向かう老齢になったのです。ですが、心は今から、今からまた始めなければならないのです。そうして霊界に行くのだというのです。
そのように生きていった生活の裏面に、何を残すであろうか? 人類を愛したということです。他のものはありません。国を愛したということ、統一教会を愛したということ、それ以外に残しうる何かがあれば、それは滅びる歴史とともに流れていってしまうでしょう。(一三六\一三五)