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3)すでに霊界はお父様中心

霊界を統一しなければ、地上を統一させることができないのです。では、霊界を統一した主がおられるなら、地上統一は問題でしょうか? それは難しくないのです。国が問題です。

これから我々は、霊通する人どうし支配しなければならないのです。今霊界に通じる人は、全部私の部下なのです、それゆえ、私の言うことを聞くべきであって、彼らの言うことを聞いてはいけないのです。霊界に通じる人たちの大将が先生なのです。彼らもここに来て、習わなければならないのです。これを知るべきです。彼らは一方向しか知りません。それゆえ、今の時には、霊界から教えてくれるといって、それを絶対視してはいけないのです。それを原理で解読して、方向をわきまえていかなければ、霊通人たちは全部サタンになりやすいのです。分かりますか?(はい)。

今は、霊界が先生を証し、先生についてきています。先生は、霊界の内容を専門的に知っているために、サタンだ何だということをよくわきまえて、今まで、これほど率いてくることができました。それで、滅びずに残ったのです。

霊界には、何千億の霊人たちがいるのか考えてみなさい。これに比べて、三〇億の人類は、あまりにも少ないです。しかし、三〇億の人類は、問題にもならないのです。これから我々が国家基準さえ越えるようになれば、その霊界を動員することができるのです。そのような時が来れば、我々の時が遠くないということを、皆さんは知るべきです。このように見るとき、世界はこれからどのようになり、共産世界はどのようになるのか、大概輪郭が現れます。皆さん、分かりますか?(はい)。(五四\二三三)

再臨主が何か分かりますか? 再臨主が何ですか?(万王の王になられた方です)。再臨主に聞いてみますが、万王の王だと言っています。再臨主が何かというのです。イエス様が死ぬとき、再び来るということを言いましたが、イエス様の代わりに来たと言って大騒ぎではないですか? 私がイエスより劣りますか、ましですか?(ずっとましです)。そうだと、今はキリスト教で「おお、文総裁がイエスよりましだって。」こう言うのです。

自分たちは霊界に行ってみたか? 私は皆見て話し、そのようにしながら話すのに、何々というのが世の中を知りもせずに、霊界も知らなくて、何が大騒ぎだ! 何、釈迦牟尼が私の弟子だと言ったとして、仏教も大騒ぎしますが…。この頃はじっとしているのです。(笑い)私が仏教の責任者たちにアメリカを一度見学させたら、行ってきて「おい! 我々が過ちを…。イエス先生よりましで、釈迦牟尼先生よりましだ。」そう言っていたのです。

私が釈迦牟尼にも劣りますか? イエスにも劣りますか? ガリラヤのほとりで三年間乞食のように歩き回りながら、どれほど冷遇されたか分かりますか? 冷遇されて死にました。私は死にましたか、生きましたか?(生きました)。冷遇されながら天下を皆踏んでしまったのです。それが優れていますか、劣っていますか?(優れています)。どれほど優れていますか?(笑い)

世の中の万事、滅びる世界の国民たち、不足な国民を持ったそのような国民の中には、先生のような人たちがいれば、種は先生の種を受けるべきなのです。それは何かというと、先生の一族の種を受けようと、そのことではないですか? 姻族になること。分かりますか?(はい)。(一八六\一八三)

あの世に行ってどうしますか? 行ってみればいいと、このようにいますか、互いが食ってかかっていますか? 殺人した者、殺された者が、全部一カ所に集まっている所に、刀を持って戦おうと、そうするのではないですか、復讐しようと? ですから、数多くの塀があるのです。数多くの塀でふさがっています。

それゆえ、悪なる霊たちが怨讐の子供たちに行って、急死するように事故を起こして連れていき、皆そのようなことが起こるのです。これを皆解かなければなりません。これを皆解くためには、地上世界を解かなければなりません。解くには、もっと良いものを与えなければなりません。死ぬことよりもっと良いもの、怨讐関係だったことより、もっと良いものを与えなければ、解かれはしません。

何をもって? 霊界を何をもって解放し、神様を何をもって解放するか? このような関係は、人間の先祖がこれを結ばせたから、天上世界をめちゃくちゃにしたから、今日後代の後孫は、先祖たちのすべての過ちを…。真の孝行者の伝統を受け継いだ子供なら、父母の借りを支払わなければなりません。父母の借りとなったものを支払わなければならないのです。お分かりですか?

そのような意味で、霊界の先祖のすべての塀を、誰が崩すべきか? その運動をしなければなりません。そうすることによって、先祖たちがここに来て、皆さんに直接会うことができるようにすべきであり、来て教えてあげることができるようにすべきです。夢のような話ですが、事実です。

我々のような人は、一人で暮らす人ではありませんか? 一人で暮らす人です。皆さんをサッと見れば、私は分かります。あいつの先祖は、どんなやつか、何をしてやった奴か。このように見るようになれば、真っ暗になります。顔が見えたらフッと消えるのです。それゆえ、悪なる霊、善なる霊を分けるのです。そうするときは、夜か昼かを分けるのです。それゆえ、今日宗教を統一しようと…。

統一教会が何か? 神様を通じて、神様を動かして、人間との…。私が言葉が詰まるなあ。主人が客の所に行って、宴会の準備をする討論をするのに、宴会よりも寝るのがいいと、こうなら何が宴会になりますか?

さあ、それで、世界連合と霊界結束をしなければなりませんが、霊界を収拾できない人は、天下を統一できないのです。天運の根が天なのに、天を収拾できない人が、どうしてその結果をこの世の中の道理にして、世界を統一しますか? それゆえ、地上統一する前に、霊界を統一しなければなりません。

その霊界で戦って、全部…。イエスが私の弟子で、釈迦牟尼が私の弟子だと言って、孔子が私の弟子だと言ったと大騒ぎし、そのようなことを聞きましたか?「文総裁が釈迦牟尼が自分の弟子で、イエスが自分の弟子で、孔子が自分の弟子だと言う」と言って…。そうだ! こいつ、私に会って彼らと問答して「おまえはこんなことが皆分からなかっただろう?」と降伏状をもらって統一圏をもって地上に来て宗教統一しようとするのであって…。それゆえ、釈迦牟尼が自分の弟子を文先生の前に連れてくるのです。孔子様が案内してですね。そのようなことが皆分からないでしょう?(分かりません)。ですから、人ができ上がっていないでしょう。ですから、人ができ上がっていないのです。行くべき道を知らず。人にはなったでしょう。しかし、そのように偉大にはなれなかったでしょう。(笑い)人になれなかったと言うから、寂しいようだな。人にはなったでしょう。偉大な方になれずにそうでしょう。(一九一\二〇五)

皆さん、先生に夢の中で会ってみたことのある人は、手を挙げてみなさい。みんな会わなければなりません。ああ、いいですよ!(笑い)ですから、このような団体は世の中にありません。国もありません。なぜ、先生を中心として統一教会が世界的によく成長するか? どこに宣教師として送っても、実感的に分かります。前に少し話したでしょう? これを話しましたか? 毎日いろいろな所で話すから複雑になった。(笑い)一度話したことを、また再び言って恥ずかしく思うようになるなら、それ以上の失礼なことはないでしょう。

どんなことが起こったか? 宣教師は三か月が過ぎればビザを再びもらわなければなりません。その国を発って、再びビザをもらってこなければ、その国にいることができません。それだけでなく、その国を発って、他の国に行くにも、自由に発つことができません。そういうときは、霊界が教えてくれます。どこどこにある川を越えろとです。その川にはワニがたくさんいます。そのような川を泳いで、一人で越えようとすれば、ワニが丸ごと飲み込んでしまうのです。跡形もなくなるのです。そのような危険な所を通って、国境を越えていくようにするために、霊界がよく命令します。「何時何分から、何時何分の間に、あの川を越えればいい!」と言ってです。そうしなければ、しかたがありません。そのような命令を啓示として受けながら、行ったり来たりする兄弟姉妹たちがたくさんいるのです。

共産圏はすべてが神様がいないと言って、神様の存在に反対する世界です。共産党は、どの国でもみんな宗教があるときは、それを撲滅します。そんな状況の中で、神様は準備しなければなりません。

共産国家のある女と、他の共産国家の男に、同じことを教えてくれるのです。数年前から「おまえが将来会う男は、これこれこのような男だ。いつどこで会うだろう」と言ってです。それで、教えてくれたとおりに、行ってみれば、ピッタリと会うようになります。五年後にどこそこだと教えてくれたとおりに行って、そこで二人がピッタリと会って知るようになったのです。このような童話のような話がたくさんあります。

そのような経験をしてみれば、神様がいないと否定する人は一人もいなくなります。そのような事実を実感する感動とは、生命を越えて永遠に残るのです。分かりますか?(はい)。そのような境地で神様を愛し、真の御父母様を恋しがりながら、通過したというその印象は、永遠に残るのです。それが人生の中心になります。そうなれば、霊界との境界線、そのようなついたての壁は、瞬間的になくなるようになります。直行することができるのです。神様がいらっしゃるということが意分かっていますか、信じていますか?(信じています)。

信じるのが先ですか、知るのが先ですか?(信じることが先です)。知る方がいいですか?(知ることいいです)。知ることです。信じることは事実と遠い所にあり、知ることは事実と一致します。

それで、信仰生活だといって、信仰を生活としています。そこには、体恤圏が表面化していくのです。内面化ではなく表面化した実体圏とつながって生活しているという誇りがどれほど大きいですか! ありがたいことです。そのような境地もあるのです。

霊界がないと考える人、手を挙げてみなさい。(笑い)霊界は間違いなくあります。神様は、間違いなくいらっしゃる! 誰が否定しても、いらっしゃるという実感が、自分の全体感覚を支配するのは、恐ろしいことなのです。それは神様の世界に属する心です。いくらこの地上で苦難を通過するとしても、その人は神の国の国民です。子女なのです。

皆さん、いくら難しいことがあっても、自分の心が絶対変わらないという境地に入っているか自問してみなさい。どうですか? 入っていますか、入れませんでしたか?(入っています)。そこまで行かなければなりません。それが峠です。サタン世界の城壁を越えて、実際世界に入れば、実証されるでしょう。それがそうでないときには、城に入る橋を越えて宮中に入れなかったのと同じです。一度入ってみなければ、何も分かりません。城の外でいくら眺めてみても、その所に及びません。入ってみれば千万の夢よりもっと…。(二二四\一〇八)