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3)四位基台と天国

@ 天国は家庭が入る

もし先生が、今まで家庭的にだけこのことをしてきたら、迫害を受けることが何がありますか? 先生は、お父さん、お母さん、親戚一家、姻族の八親等まで、全部集まった場で、み言で彼らを感動させる自信があります。間違いなく、親戚や一家全体をみ旨の前に立てる自信があるのです。ですが、それが天のみ旨ではないために、そうすることができませんでした。イエス様もそうすることができなかったために、自分の親戚の前から追い出されました。

しかし、皆さんはこのようなすべての時を過ごした立場なので、親戚を伝道することができ、父母を捕まえて涙でも流して、自分の切なる心情を吐露することができる時代的環境を迎えました。そのような立場で、皆さんは先生よりましなのです。今は、皆さんの親や親戚たちがみ旨を受け入れまいとするなら、泣き叫んでどんな手を使っても感動させることができる時です。お兄さんはどうしても対話するのが少し難しいですが、弟ぐらいは統一教会に行く道が良いと言えば、ただ強制的にでも引っ張って、「この野郎、信じるか、信じないか」と言いながら、小突いてでも信じるようにできるこのような自由な時が来ました。このような時を迎えれるのにも、皆さんが責任を果たせなくては、天の前に面目がないのです。先生もこれからは、そのような人たちに対することができません。分かりますか?(はい)。

これをしなければ、天国に行けません。天国は家庭をなしてこそ行くのです。(二一\六六)

統一教会は、救われるのにおいて、個人では絶対救われえないと思うのです。そうでしょう? 個人としては、天国に行けないのです。一人では行けないのです。原則がそうです。エデンの園のアダム・エバが二人一緒に天国に行くようになっているのであって、夫だけ天国に行くようになっていますか? 妻も天国に行くようになっているでしょう? 夫婦が合わさり、家庭が合わさらずには、天国に行けないのです。それが理想であって、父は地獄に行き、母は天国に行けばいいですか? それが何の天国ですか? 天国は、夫婦が行くべきなのであり、家庭が行くべきなのであり、家庭だけでなく、家庭の八親等の一族が行くべきなのであり、その国家全体が行くべきなのです。(五〇\六三)

天国はどこから始まるか? 皆さんが生まれた心情的起源までも、否定するところから始まるのです。それで、修行の道を行く人は、独身生活をするのです。しかし、ここには難しい問題があります。これから再臨主が来て、この問題を容易く解決してあげるでしょうが、その前までは個人的に問題に逢着するするようになるのです。

個人の救いを主にしては、これから行くべき道がないために、人類を救うためには、家庭を救わなければなりません。このようの家庭全体が救われうる道を開いてあげるために、再臨主が再びこの地に来られるのです。今日、キリスト教徒がイエス様を信じて天国に行くと言いますが、全部個人主義に陥っています。本来天国には、一人で行くようになっていません。アダム・エバが堕落しないで、神様の愛の圏にとどまっていたら、彼らが天国に行くでしょうか、行けないでしょうか? そのようになったら、地獄とはありえもしません。

では、天国はどのように行く所か? 夫婦を中心として、その夫婦が産んだ息子娘を率いて行く所です。そうして、息子娘、孫たちとともに、その一門を率いて行く所です。さらには、国全体が行く所です。それゆえ、天国になるのです。天国はこのようにしてなされる所です。今日、キリスト教を信じる人たちが、天国に行くと言いますが、天国は一人で入る所ではありません。絶対に一人では行けません。(四一\三〇〇)

個人を中心として、「ああ、ここが天国だ。ここが天国だ」と言えば、神様が考えるとき、どれほどもどかしいですか? どれほどもどかしいでしょうか? それで、これをもって喜べますか? そうですか、違いますか? そのようですか? ですから、人間世界を見るとき、宗教の世界を見るとき、もどかしいですか、もどかしくないですか? 神様がご覧になれば「ああ!」と言われるでしょう。(九六\七一)

我々統一教会の信徒は、どの水準までになるべきか? 釈迦牟尼よりも立派な人になるべきです。イエスや孔子よりも立派な人になるべきです。今までの宗教の目的は、個人を救うことでした。しかし、統一教会は個人の救いよりも、家庭の救いを目的とするのです。統一教会が、一般宗教と違う点がこれです。救いをしますが、家庭を救い、天国に行っても自分一人で行かないのです。

統一教会の救いの観は、夫は天国に送り、夫人は地獄に送ろうというのではありません。二人とも天国に行こうというのです。また、母、父を地獄に送るのではなく、母、父を連れて、また、息子娘も連れて、天国に行こうというのです。統一教会は、自分が愛する家庭、自分が愛する氏族までそっくり連れて、天国に行くことができる道理を教える宗教であるために、他の宗教とは次元が違うのです。それゆえ、今までの宗教は、独身生活を強調しましたが、統一教会は家庭を重要視するのです。家庭を中心として行くのです。その家庭は、世界のための家庭であり、神様のための家庭です。これが統一教会の信徒が行くべき道であり、今後の皆さんが生活していくべき道であるということを、はっきりと知らなければなりません。(三四\三五九)

今日、幸福が何か? いちばん最初に話しましたが、我々人間の本性が、より次元の高い未来の幸福の基盤のために前進するとき、現在暮らしている家庭の基準においての、いちばんの幸福の対象者が誰かというとき、夫においては誰ですか?(妻)。妻。妻においては誰ですか?(夫)。父母においては子供であり、子供においては父母です。この基地から天国建設が可能なのです。

天国があなた個人にあるという話はされましたが、天国があなたの家庭にあるという言葉は言えなかったイエス様が、どれほどかわいそうであられたか、どれほど孤独であられたかを考えてみなさい。それでも、皆さんは家庭を持ち、幸福を歌っています。あるときはですね、靴を脱いで、世の中が何だかんだ、国が何だかんだと反対しても、それを蹴飛ばして、漢江の橋から二人が投身自殺して流れていって、魚の餌になってもありがたいと言ったら、それが幸福なのです。そうでしょう? 人間もそうすることができる一瞬でも持って暮らすことができる道があるのに、天下を救うための求道者の主人であられる、神様の一人子であられるイエス様が、この地に来て…。考えてみなさい。このような環境天国基地を夢にも見れず、天国はあなたの心にある…。心で天国を犠牲にしようと歩き回って三年も満たせずに十字架に亡くなったイエス様の一生が、どれほど孤独であり悲惨かというのです。

ではイエス様が願った天国が、心の天国ですか? では、その心の天国を越えて、環境天国はいつ? 永遠に不可能なのです。家庭天国を越えて、社会天国、国家天国は永遠にいつまでも不可能なのです。世界天国はいつ? 天上天国はいつ? このように考えるとき、メシアの立場で来た求道者の立場では、万民を救って霊界のすべてを解放させてから、神様を解放させるべき責任、父を解放させるべき責任があるのです。このような過程を経てこそ、可能であるという立場を考えてみるとき、どれほどあきれるかというのです。イエス様が十字架に釘打たれて死んだのは、何でもありません。何でもないのです。自分が倒れれば、天の前に面目が立てられないのです。天国の理念、理想社会の覇者として立つようになるから、面目を隠すことができ、覆ってくれうるふろしきがあり、何かがあるなら…。百回死んでも、その恥ずかしさを免れる道がないイエスの心情を分かる者は、誰がいたかというのです。(一二〇\四八)

天国という所は、一人では行けません、天国という所は。そうでしょう? 天国は一人で行けないようになっています。天国という所は、必ず相対理想を決定づけてこそ、天国の門を通って入るようになているために、天国にはいるためには、堕落した人間においては、復帰の歴史、あるいは復活の歴史を、再創造の歴史を経なければいけないようになっているというのです。皆さんに祝福をしてあげるのは、天国の門をすっかり開けておくことです。行くか行かないかは分かりません。皆さんを祝福してあげるということは何か? 祝福というその名詞は何か? 皆さんの前に天国の門が閉ざされていたのを、この祝福という名詞を立てて開いてあげることです。

門を開いておいて、入るのには一人では入れません。家庭が入るのです。分かりますか? 息子娘を持って、入らなければならないということです。家庭というものは、歴史的な家庭であるほど、歴史的な実のそのすべての実績を持ったので、神様の六千年の復帰歴史というものは、一次アダム、二次アダム、三次アダムの時代を経たので、三人の息子を経て、その三人の息子まで相対理想を立てておかなければならないのです。それで、家庭的に入るのです。(一五二\二四〇)

A イエス様と家庭

歴史過程を調べてみるとき、聖人の中の聖人は誰ですって?(イエス様です)。イエスと言いますが、イエスという旦那は何を言ったか? これをそのまま言ったのかというのです。さっき真の愛の定義が出てきたでしょう? では、イエスが真の愛なのかそうでないのか調べてみましょう。イエスは、神様を父と言いましたか、言いませんでしたか?(言いました)。真の人生は神様の息子になることだと言いました。ですから、イエスは神様の息子の立場を恋しがりましたか、恋しがりませんでしたか?(恋しがりました)。それだけでなく、「私は神様の一人子だ」と言いました。一人子だから、神様の愛を分けて受けるのですか、そっくり受けるのですか?(そっくり受けます)。ですから、神様の愛を受けることができる立場に入りましたか、入りませんでしたか?(入りました)。

その次には、「私と神様は三位一体だ。一つの体だ」と言いました。このようなことを見るとき、イエスは息子の立場にも立ちましたが、内外の立場までしっかりと備えておいたのです。その次にはまた「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言いました。神様との関係を結んだことだけでなく、人と人との関係においても、このようの新郎と新婦の関係を結んだのです。それだけでなく「あなたがたは私の兄弟になる」と言いました。そうでしょう?

これを見るとき、皆さんは、イエスが何を願ったのか知るべきです。ここで神と人間が合同で願ったことが何か? 神様を中心として、永遠にとこしえに、共に暮らすことができる、永遠不滅の愛の家庭を標準として教えてくれた宗教がキリスト教です。神様が人間に会おうとするのも、これを作ろうとするのでしょう? 人間の願いがこれです。これ以上の願いはないのです。

イエス様が家庭をなそうとして、み旨を成せずに十字架に亡くなりました。それゆえ、新郎新婦の名前を残しておいて行かれたのです。それで、イエス様が再び来て子羊の宴をすると言いました。これは何かというと、神様が安定なさることができる理想的な家庭を出現させることです。それによって、イエス様は真の父母の立場に行くようになるのです。真の父母の立場から、真の子女を産んで、真の兄弟をなし、このような真の家庭を中心として、真の氏族と真の民族をなし、新しい民族と新しい国家を形成なさらなければならないのです。これをするために、イエス様は再び来なければならないという結論がしっかりと出てくるのです。分かりますか?(はい)。(三九\三四四)

B 四位基台と天国

うちに一緒に暮らすうちの夫と赤ん坊たちと、うちのお母さん、お父さん、おじいさんは、天国を案内する三天使だということを知るべきです。おじいさん、妻、息子娘なので、三天使です。対になっているから、三天使の代表者たちであるということを知るべきです。それで、お母さん、お父さんは、おじいさんに習い、息子娘に習うのです。分かりますか? 夫は妻に習い、妻は夫に習うのです。これは事実です。これが家庭の伝統です。

結婚とは何か? 女は男に対して知らなかったことを習うためのものであり、男は女に対して知らなかったことを習うためのものです。これを知るべきです。結婚とは、異性について習うためのプログラムです。それは、学校に入学することが、結婚であるということを知るべきです。それで、単位も百点を取らなければなりません。それでこそ夫も喜び、妻も喜ぶのです。百点を取らなければなりません。そのような話を全部細密に話したらいいでしょうが、時間がありません。皆さんがびくともできないように話をしたらいいでしょうが、時間がありません。

息子娘を産むのは、息子娘の為にすることは、世界のを愛することを習うためです。息子娘が世界とつながって、未来とつながります。息子娘がいなければ、未来とつながらないのです。未来と世界とつながりうる教育の資料として、息子娘を与えたことを知るべきです。その次には、先祖たち、おばあさん、おじいさんは、霊界に対する教育のためです。おじいさん、おばあさんの前に孝行をすれば…。霊界にそのシステムができているのです。霊界に対する教育を受けるたのものです。これを知るべきです。

それが何を中心とするか? 愛というタイトルの下に、全部つながります。愛を中心として、全部がつながります。おじいさん、おばあさん、夫、妻、息子娘が、愛をセンターにして全部つながっているのです。その愛を持てば、霊界にいる千万代の先祖にも上がっては下がり、あの後孫にもこの愛だけが通じるのです。血管と同様の組織が、霊界の組織であり、この宇宙の組織だということを知るべきです。愛の圏がどれほど素晴らしいでしょう! 驚くべきことだ! ライト(right:正しい)?(はいそうです)。ライトにはマイト(might:権力、力)とパワー(power:力)という意味もあるのです。すべては正義に従いたがります。皆さんはどうですか? 愛の僕になり、愛の奴隷になるのが、最大の幸福だという結論が出てきました。(一三五\一二〇)

復帰は、どんな復帰をしようというのですか? 四位基台復帰をしようというのしょう? それゆえ、四位基台復帰をするには、父を復帰し、その次には母を復帰し、その次には息子娘を復帰しなければならないのです。それゆえ、祝福された皆さんは、夫婦が完全に復帰されて、息子娘を産んで、堕落しなかった立場に立てておかなければなりません。これが皆さんの重大な使命であることを知るべきです。そうするためには、新しい伝統を放り込んでやらなけばなりません。それは聖人よりましでなければならないというのです。(五八\三五)

ご覧なさい。それで個人天国をなすべきであり、その次には夫婦天国をなすべきです。夫婦天国がどこから繰り広げられるか? 夫婦天国がどこにあるかというのです。どこにありますか? プラス・マイナスが完全に一つになるところにあります。それは、結婚した日から良いと言って、何年もしないで、全部離婚してグッバイするのではないのです。

さあ、結婚する前にはその男が美男で結婚したのに、結婚して一週間経って、車の事故が起きてこのあごがぺちゃんこになって、目が不自由になって、腕がこのようになったと言って「離婚する」と言えば、それが真の愛ですか?(いいえ)。それがアメリカの女たちの愛ですか? それが真の愛ですか、偽物の愛ですか?(偽物の愛です)。私が前に全部調査してみたら、百名の中で離婚した人が三分の一以上なのに、その動機が女にありました。どれくらいかと言うと、三分の一が夫にあり、三分の二は女にありました。そうなのです。(笑い)

さあ、今夫婦天国がどんな所か分かるでしょう? 誰も夫婦を離すことができないのです。ダイナマイトが爆発して、足がなくなっても、てっぺんはくっつくというのです。(笑い)皆さんは、どんな愛に訪ねていきますか?(真の愛)。真の愛。皆さんの心と体が、完全に一つになってこそ、そのような愛がありうるのです。

それで、夫婦天国が生じます、夫婦天国。その次にはどのようになるか? 夫婦天国だけ持っていいですか? 家庭天国がどのように生じるか? お母さん、お父さんが、完全に一つになって愛すれば、息子たちはお母さんのような新婦をもらいたいと言い、娘たちはお父さんのような新郎をもらいたいと言うのです。それでそのお母さん、お父さんがプラスになって、息子娘がマイナスになって、完全に一つになって、家庭が一つになれば、そこが家庭天国になるのです。分かりますか?(はい)。家庭天国をなすところで、初めて地上に天国というもの、神様が理想とするものが落ち着くようになるのです。これが四位基台になるべきです。創造理想の完成は、四位基台完成だと原理は言います。分かりますか?

それがなぜそうであるべきか? 三段階を中心として、神様とアダム・エバを中心として、縦的世界と横的世界が繰り広げられるのです。それが何の話か分かりますか?(はい)。これが原則です。それゆえ、アダム・エバの息子娘がいてこそ、横的な世界が繰り広げられるのです、横的な世界が。これが大きくなれば、縦的な世界が自然的に生じるのです。それで、体を中心としては、体の横的基準が息子娘であり、心の横的基準が霊界だというのです。そこで初めて、神様が霊界も肉界もともに行かれることができるために、地上に天国が実現するのです。分かりますか?(はい)。(九六\二九)