P.48 |
天国に行く基準は何か? 自分の息子より神様をもっと愛することです。神様をもっと愛さずには、サタン圏内を脱することができないのです。それゆえ、自分の妻より、自分の夫より、神様をもっと愛さなければ、天国に入ることができません。堕落した人類がサタン圏内の愛のわなから抜け出て、端まで出てきましたが、まだ完全に出てこられませんでした。それゆえ、自分の父や母を神様よりもっと愛してはいけないのです。(四一\二九九)
天国に入ることができる人は、どんな人か? まず、神様の心に合う人でなければなりません。どれほど合わなければならないか? 神様が永遠の目的を中心として、永遠の理念を描いていく方であるなら、永遠について心がどのようになるべきですか? 合うべきですか、合わないべきですか?(合うべきです)。約十年ぐらい合ってから、合わなければ、いけません。永遠な神様に、永遠に心を合わせるべきです。そうするには、どのようにすべきか? 永遠に心を合わせることができ、永遠に互いに好むことができる父の息子になるべきです。そのような息子になるには、悲しみの対象として現れてはいけない、このようになるのです。そこに天国が存在するでしょう。
その次には何か? 神様の体に合わなければなりません。体は、方向性があるのです。方向性として現れるのです。考えは四方の中心点に代わりますが、体は方向性として現れるのです。神様の体が東に行くというとき、神様の心に合う息子になるには、神様とともに東へ行かなければならないのです。神様は、暖かいものを好むのに、イエス様が冷たいものを好めばいいですか? 神様は、今、笑いたいし、話したいのに、イエス様が寝たいと言えばいいですか? 外的な体を中心として現れるすべてが、一致しなければならないのです。
それだけでいいか? 違います。神様は、仲むつまじいのを好むのに、荒々しくてはいけません。神様が仲むつまじいときは、仲むつまじくなければなりません。内外が合わなければならないのです。このように、内外だけが合えば済むのか? その次には、神様がされることと一致しなければなりません。そうするには、心にないことがありえますか? 体が嫌がることがありえますか? 体と心が好むことをしなければならないのです。神様がおられるなら、神様が好まれることがあるのです。また、イエス様が神様の息子なら、イエス様もそのようなことを好まなければならないのです。(四七\二五七)
天国に行きたいでしょうが、生命を捧げなくては絶対に行けません。天国に行ってみなさい。生命を捧げなかった人が、天国にいるか、いないか。信仰の本質がそのようになっているのです。(三七\二五〇)