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@ 本来はアダム家庭が王宮出発地
本然のアダムを中心として完成することが、神様のみ旨です。アダムは長子です、長子。そうでしょう? 最初の愛を受けた息子です。長子権です。アダムは最初の愛を受け継ぐことができるために、最初の愛を中心として父母になることができるのです。縦的な愛として受け継いで、横的な愛としてつなげることができる夫婦になれるのです。父母権復帰という言葉が、そこから出てくるのです。分かりますか?
今まで、歴史時代は、父母が登場することができる基盤がありませんでした。戦いです。カイン・アベルの戦いの歴史です。歴史は戦争の歴史として綴られてきたのです。これを終結することができるためには、兄弟が一つになければなりません。気がついてみたら怨讐が兄弟です。兄であり、弟であるというのです。
それを誰が教えてくれるか? 父母が教えてくれるのです。そうではないですか? 先祖が分かれたのを自分が知らずにいるのに、誰が分かりますか? 父母が教えてくれるのです。父母が教えてくれることによって、和合するのです。それで、父母を中心とした子女です。子女たちが一つになってこそ、父母権を行使することができる権限が生まれるのです。父母権復帰です。そうではないですか? 失った子女を探して、父母の前に…。父母が子供に対して行使しうる権限を探すことができるようになるのです。
その次には、王権を失ってしまいました。この父母出発の理想は何か? 王宮出発です。アダムは何かといえば、長子権・父母権・王権を占有して、神様の愛を中心として定着しなければならないというのです。その定着したのが、王権の起源地であり、父母の起源地です。そうでしょう?
その次には、長子権の起源地です。天下は、この伝統に従って、全部順応するようになっているのです。それが設定されれば、天使長も頭を下げなければならないのです。
民主主義世界と共産主義世界が、カイン・アベル関係ではありませんか? カイン・アベルが戦ったでしょう? 宗教圏と政治権は、縦的な面においてのカイン・アベルです。この縦的な面を横的なものが打ってしまったのです。それで、長子権を復帰することができる基盤を失ってしまいました。長子権復帰することができる基盤というものは、父母権を自動的に内包するのです。長子の上に父母が生じるのではないですか? 父母権が設定されれば、王権が育つのです。
アダム家庭というものは、王宮の出発地です。分かりますか? 皇族から多くなれば、民が生じるのです。そうでしょう? それで、長子権を中心として、氏族を中心として、その氏族が王権を受け継ぐとすれば、その次の傍系的氏族たちは、民になるのではないですか? それが原則です。ですから、皇族たちです。自分が天国の皇族だという意識を持ってこそ、アダム家庭本然の基準に帰るのです。
それゆえ、皆さんは何かというと、宗族的メシアというのです。宗族的メシアというのは、父母であり、またそれは王ではありませんか? 長子権を代表し、その宗族王権、宗族父母、宗族長子まで相続して…。
蘇生アダム、長成アダムは、完成アダムによって皆生き返りました。そうではないですか? それは何か? 長子権、宗族的メシア権は、イエスが復活した家庭形態です。そして、その前に蘇生アダムは、イエスが復活をさせられません。イエス自身が復活させられないのです。
それで、完成した再臨主が来て、イエスの使命を世界的な圏で完成することができる勝利的圏を、サタンの前に勝利的覇権をつかんで来たために、再臨主だけがイエスの権限を奉行(目上の者がさせる仕事を謹んで挙行すること)することができ、アダム権限を奉行することができるのです。
それで、その基盤で勝利したアダム完成した代表、イエス完成した代表が再臨主です。蘇生・長成を全部連合して完成させることが、三次アダムになるのです。三次アダム完成基盤というものは、イエスも、アダムも、皆入っているのです。ですから、三次アダム完成基盤を中心として、勝利的覇権の上で、世界的メシア権を確立しなければならないのです。(二一八\六九)