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一)一九九一年七月一日のみ言
@ 父母権設定のための宗族的メシアの使命
これが何かと言えば、父母様の権限を皆さんの家庭に分けてあげるのです。分かりますか? それを嫌がる人は、天国に行けないのです。皆さん、未来では地上天国は関係ありません。それは、絶対的なのです。言葉がそうじゃないですか、言葉が? アダム・エバが家庭から出発したのであって、氏族から出発しましたか?
家庭に帰って勝敗を決めなければなりません。根がそこでまかれたので、そこで根を抜いてしまわなければなりません。根を抜いてしまって、新しい根を植えなければならないでしょう。新しい種を植えるのに、昔のものを切ってしまったそこを掘って植えれば、昔の根が腐って肥やしになります。肥やしになるのです。六千年育ったものが、いっぺんに瞬く間に育つことができる時になったために、世界がいっぺんに回る時が来るのです。
それで、父母権設定ができていますか? 今できていないでしょう? 皆さんの家庭にできていないでしょう? どうですか? 各自責任を持つべきです。十字架を背負う恨があったとしても、死ぬ恨があったとしても、そのことを判決せずにはあの世に行って、天国に入れません。この世に来て、また再びそのことをしなければいけません。このように眺めて行って、帰ってくる道はありません。祝福家庭がどうして帰ってきますか?
祝福を受けた家庭が、地上に帰ってきて、救いの摂理ができますか? もっと悲惨だというのです。祝福を受けなかったら帰ってくる道でもあるのであって、祝福を受けたら帰ってくる道がありません。自分の責任を果たせなかったのに、どうして帰ってきますか? 国家が解放されて、全体が恵沢を受けうるときまで待つとか、世界が解放されて、全体が恵沢を受けるときまで待つとかしなければなりません。勝手に帰ってくることができません。責任を果たしてこそ、自分の先祖たちも帰ってくるのです。祝福家庭が帰ってくるようになっていますか? 答えてみなさい。完成をしては帰ってくることができますが、完成できなければ帰ってこられません。