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C 父母主義

イエス様が生まれましたが、そのイエス様が男ですか、女ですか?(男です)。男です。神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を受け継いだ、そのような男性が、彼に対することができる一人の女性に会って初めて赤ん坊を産んだとしたら、それこそ神様を中心とした新しい直系の子女が、この地上に生まれたことだろうということです。

そうであったら、今日キリスト教とか、ローマ教皇庁が必要ないのです。イエスの直系の息子娘が出てくることによって、この地上に初めて一つの王権が始まるようになって、一つの世界になっただろうというのです。

その王権というのが、全世界に対する王権ではありません。一家庭からの王権です。家庭から始まって、家庭の王、氏族の王、国家の王、世界の王、天宙の王、このようになるのです。そうなっていたら、今日、キリスト教の牧師たち…。

牧師たちがここにも来ましたね。あんな牧師たちが必要ですか? 長老教とか監理教とかいう教派が、なぜ必要ですか? ローマ教皇庁が必要ですか? 民主主義が必要ですか? 民主主義というのは何ですか? 兄弟主義です、兄弟主義。ですから戦うのです。兄弟どうし互いに戦うのです。こうして兄弟主義が父母主義に帰り、父母主義が神様主義に帰るのです。

では、父母主義が何か? 地上において、アダム・エバが完成した真の父母主義です。その次に神様が何か? 真の父母が横的な父母なので、縦的な父母も必要なのです。それゆえ、縦的な父母が神様主義です。ですから、頭翼思想という言葉は、真の父母主義であり、ゴッディズム(Godism;神様主義)という、縦的な神様主義だ、このようになるのです。

横的真の父母主義と、縦的神様主義、縦横が一つになって、天の生命、地の生命、天の愛、地の愛、天の血統、地の血統がつながって、人間が生まれるために、人間は、二重存在になっているのです。内的人と、外的人とになっています。内的人は、縦的な自分であり、体的な人は、横的な自分だというのです。実になるのです。(二二四\二二七)

民主主義はどのような主義か? これは兄弟主義です。兄弟が多いから、その多い兄弟の中で、誰が父母の愛をもっとたくさん受けるかというのが、いつも家庭で問題になるのです。父と母がいれば、あの息子はお母さんに似た、あの息子はお父さんに似たといって、自分に似た息子娘を中心として、お母さんの組とお父さんの組が生まれるのです。それは何か? 愛を中心として、このような形態が起こるのです。

それで、第二次大戦後に、戦勝国が敗戦国を独立させる現象が起こったのです。これは、世界が兄弟主義圏内に入ってくるということを意味します。神様側の主義が現れるためのいちばん近い距離に行けば、お一人の神様の前に二人の兄弟が戦うのです。

歴史の終末時代において、統一的基盤であるアメリカのキリスト教文化圏を中心として、アメリカが主体になり、それに加えた世の中を全部審判してしまうのではなく、敗戦国を独立させたという事実は、神様のみ旨の中で、捨てられた息子娘、放蕩息子を収拾することができる、天の摂理時代に入ってきたということを意味します。それゆえ、民主主義というものは、兄弟主義です。この兄弟主義が終わった次には、父母主義が来て、父母主義が来てこそ統一が繰り広げられるのです。摂理史がそうです。(二一三\一〇)