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神様は、我々堕落した人間にとって、師のうちでいちばん大きな師というものです。先生のうちで、大王先生というものです。それは、神様が知らないことがないためです。また、父母で言うなら、父母のうちでも第一の父母です。すなわち、真なる父母です。王としては万王の王です。誰が?(神様です)。神様です。分かりますか?
神様は、先生のうちで第一に優れた先生であり、父母のうちで第一の父母です。父母のうちで何番目の父母ですって?(第一の父母です!) 第一の父母なら、その父母が偽物の父母ですか、真の父母ですか? 真の父母というのです。そのような真の父母が、人間が堕落することによって真の父母になりましたか?
統一教会では、祈祷を終えるとき、「真の父母の名によってお祈りします」と言います。神様を中心として見るとき、いちばん始めに真の父母は神様がなるのではないでしょうか? それで、祈祷しながら願うときに、誰を通じて願いますか? 何かをするときも、父の名で呼ぶようになっているではないですか? そうでしょう?
皆さんが、水に溺れているとき、誰が救ってくれるのを願いますか? 救世主が来て救ってくれるというとき、隣の町内のおじいさんが救世主になって救ってくれるのを願いますか、自分の弟が救世主になって救ってくれるのを願いますか? 自分を救ってくれる救世主がお兄さんだったら良いでしょうか、弟だったら良いでしょうか?
誰が来て、救って欲しいでしょうか? 自分の妻が救ってくれたらいいですか? 違います。自分の父母が来て救ってくれるのを願うのです。救世主のうちでも、一等救世主である父母が来て、救ってくれるのを願うのです。父母は、子供の苦痛を自分の骨髄に徹して苦痛を知る方であるために、子供は父母である救世主を探すのです。
皆さんが祈祷するとき、真の父母の名で祈りますが、その真の父母が何か? その言葉を先生とお母様だけについて考えないでください。より高い次元で世界を抱き、民族感情や国家感情を越えて、万民を真実に等しく愛すことのできる母、父という境地の真の父母の基準を考えろというのです。それで先生も真の父母の名で祈るのです。(三三\一四三)