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六)真の父母と国

我々がこれまで、なぜ犠牲になったか? それは、氏族の父母になるためです。それはどれほど素晴らしいでしょう! このようになって、全部これがなくなって、「統一したら何をする? 私は統一したら風呂敷を包んで行けばいい」と言うでしょうが、それはなくなるのではありません。統一させるそこに、自分が父母の位置に立つのです。

父母の位置に立てば、どれほど神聖で偉大ですか? 父母はこのように行くのである! ピッタリ合うのです。父母はこのように行くのが正常です。父母は愛を持って、いつも犠牲奉仕するではないですか? それを思えば、真なる父母になるために生きるというとき、気分がいいでしょう? それは、アメリカもそうなのです。レバレンド・ムーンが、今までアメリカに対してそのように出てきました。愛を持って、アメリカの人たちを一つにするようになるときは、父母の志を持ってしたという事実を知るようになるでしょう。そのようになるとき、ここから別れることができない、一つの世界と、一つの国が決定されるのです。

ここから父母がこの位置に入ってきてもオーケー、この位置に入ってきてもオーケーです。そうですか、違いますか? この位置に入ってきてもオーケーです。それは、全部神様を中心としてつながった父母の位置として、縦的な心情圏がつながるのです。それを知るべきです。このセンターを通じなくては、つながらないという事実を知るべきなのです。

また、その次には、垂直は垂直ですが、このような垂直になっています。これが夫婦であり、その次には家庭の父母であり、その次には氏族の父母であり、民族の父母です。もっと大きくなります。この言葉は何かというと、いちばん最初、この真の父母の伝統を受け継いだこのセンターを中心として見るとき、父母は父母ですが、一つは家庭の父母であり、氏族の父母であり、民族の父母であり、国家の父母であり、世界の父母です。後は、父母権を中心として国がセンターとなり、父母権の国を中心とした世界を作るのです。(一一八\二六七)

皆さんは、長子権と父母権を受け継いだでしょう? 氏族的メシアになったからです。そうじゃないですか? 長子権を受け継ぎ、その次に父母権を受け継ぎ、その次には王権をつなぎうる国を探すためのことをしているのです。そうでしょう? 皆さんが韓国を訪ねれば、世界の国は皆見つかるのです。これが最後です。原理的に、理論的結論がここに帰着するのです。もうこれ以上ありません。

これから、その位置に標注として立てるものがあるなら、真の父母、真の先生、真の主人、この三人の方です。真の愛を中心とした父母は、真なる先生です。真の父母だから、この世の中が知らないことを皆教えてあげたでしょう? 天の秘密、地の秘密をくまなく皆教えてあげました。これ以上、誰が教えてくれますか? 先生の中の先生です。神様がそうです、神様が。神様は、主人の中の主人です。先生も主人の中の主人です。王権を復帰するようになれば、主人の中の主人になるのです。三大主体思想が何かというと。真の父母思想、真の先生思想、真の主人思想です。統一教会を中心として見るとき、統一教会は真の父母の輩です。

国もそうでしょう? 国にも大統領を中心として系列があります。国家組織を見ると、教育機関の文教部があるでしょう? これは真の先生の輩です。その次に、国家の行政部署は、神経の主人と同じです。これが全部上がるために、行政部署は主人の位置に入らなければならないのです。そのてっぺんにいる大統領が主人です、国の主人。これが三大主体思想の中に皆入るのです。分かりますか?

それゆえ、真の父母はいつも縦的な位置に立っており、その次に教育機関と行政部署は相対的です。これがカイン・アベルです。カイン・アベルと同じなのです。このカイン・アベルが完全に一つになるときは、その王権は永遠不滅の王権になるのだ。(アーメン!)何のことか分かりますか?(はい!)

金日成の三大主体思想が何ですか? 何、自主性、創造性、意識性とかなんとか言いますが、それは人間論を中心としたものであって、思想になりえないのです。神を知らない奴らが何の…。そこには本体論が抜けているのです。このようなことを知って、皆さんは全部力強く前進しなければなりません。

今、皆さんの目で国を見ることができる時が来たのです。皆さんが国を救うための独立軍、独立勇士として一線に立つことができる、この驚くべき事実は、歴史を代表して、宇宙史を代表するのです。天がこれを見るとき、どれほど誇らしく、どれほど甲斐があるかというのです。それを知るべきです。分かりますか、何の話か?(はい!)

この地上に真の父母が出てきたということは、驚くべき事実です。偽りの父母として、このようにしていたものを、全部収拾して、これがこのように出てきたのを半分を切って、この基盤を中心としてここからこの反対の父母の門を通じて、全部追い込もうというのです。そうして、地獄に行っていた道を天上に上がることができるようにするのです。

父母の門を通じなくては、天国に行けないのです。分かりますか?(はい)。キリスト教のイエスを信じて天国に行けません。キリスト教に父母の門がありますか?(ありません)。統一教会には?(あります)。ですから、天国に直行しうるのです。その代わり、自分の過去を完全に清算しなければなりません。過去の友達の名前までも、覚えてはいけないのです。嫁に行った女たちが、過去の初恋の男が思い出されてはいけないのです。ゼロの位置に入らなければならないのです。過去に自分がどのように暮らしたかという思いをする人は、天国に入れません。ゼロの位置に入らなければなりません。

それゆえ、このおばあさんと同じように、あらゆる精誠を皆集めなければなりません。そこに他のものは何もありません。ただ真の御父母様と神様の思いしかないのです。そこに他のものが混じっては、この直線に乗れないのです。愛の道を行けないのです。そのような課題が残っているのです。

地上で祝福を受けたと、そのままで済むのではありません。祝福も、教会の祝福、国の祝福、世界の祝福、このように三段階を経なければなりません。なぜそうでなければならないか? ゼロの位置に入るために。自分の息子娘がいるといって、その息子娘が自分の所有ではありません。ゼロの位置に立たなければなりません。その息子娘は、神様の所有であり、真の父母の所有です。(二〇八\三四二)