P.92

三)真の父母になる前の過程

人間の堕落によって、偽りの父母が生まれました。それで、先生は、このサタンを中心とした世界の上に、これを再び探して、天国の真の父母の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。それは、父母が復帰しなければなりません。ひっくり返ったものを、父母が全部責任を持って蕩減しなければなりません。(一三一\六三)

真の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。このカイン世界が、長男の世界でしょう? カイン世界は、堕落した長男世界と同じであるために、それが反対しても天の愛を尽くしてやったという条件を立てなければ、サタン世界が復帰できないのです。それを知るべきなのです。

長子を先に愛さなければなりません。原則的にサタンが長子であるために、サタンが「神様! あなたがアベルを愛するには、長子を先に愛したという条件を立てるべきです。そのような愛を私に見せずには、次子を愛することはできない!」そう言うのです。これが原理的だということです。

ですから、母が行くべき道は、エバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムに帰ることです。それゆえ、母がいくら宇宙的な立場の愛を願うとしても、そのように愛してやれないのです。そのような位置にいるのです。(一二四\七四)

先生は、愛の関係においては世界的な記録を持っています。良心においては、天宙史的な記録を持ちうる群が生まれているのです。それは、観念にとどまるのではなく、実際だということを知るべきなのです。事実というものです。歴史的な事実です。サタンにおいては、どれほど脅威であり、神様には、どれほど希望的かというのです。我々統一教会の未来が希望的でありうるしかないという、このような驚くべき位置にいるという事実を、深く深く感謝できなければなりません。(拍手)

神様とレバレンド・ムーンが、神様と真の父母が、この仕事を築くためにどのようにしたか? 鉄条網を貫いて、かき分けていき、築いてきたのです。そこには血痕と涙のあととは言うまでもなく、悲惨な拷問のむちのあとまで残っているのです。そのような過程を開拓したのです。そのようは天の父母と血の父母の心を傷めてはいけないというのが、統一教会の人たちが持つべき心の姿勢なのです。これが宇宙の宝の倉庫であるということを知るべきです。ここから地獄をなくし、天国を創ることができます。(拍手)

今日、父母の日を迎え、父母の勝利圏を宣布するのです。父母の勝利圏を悪魔がどれほど嫌い、神様がどれほど待ち望んだか! 皆さんの先祖たちと、人類がそれほど待ち望んだ勝利圏を備えるようになり、皆さんにそのまま相続してあげようとするのです。一度も使用してみることができずに、全部子供たちに譲ってやろうというこのみ旨を、皆さんがきれいに受け継いで、大きな水晶にはならなくても、結晶石のような、そのような形を備えなければならないということを知るべきなのです。(二一六\三二六)

真の父母は、二人の方がいなければなりません。二人の方がいなければ、真の父母の基準の上に立つことができないのです。そして、霊的な闘いに勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の真の父母が立てられなければ、自体世界で勝利の基準が立ちません。いくら霊界で勝利の条件を成したとしても、地上に真の父母が立てられなければ、その霊的世界の足場に該当する足場を、この地上に築くことができないのです。

それゆえ、これから来られる真の父母は、これのために命を捧げ、地と天に代わって闘っていかなければいけないのです。このような闘いの期間が四〇年期間だということを我々は知るべきです。

では、この四〇年期間に来られる真の父母は、どのような闘いを経なければならないか? まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次には、地上で実体的な試練を経なければなりません。そのような中でも、倒れずに中心を持って立ち上がってこそ、初めて霊肉合わせて真の父母の因縁を立てることができるのです。すなわち、六千年の摂理歴史の希望を成すことができるのです。

我々は、一九六〇年に父母の日を設定しましたが、その日はどんな日か? 霊肉合わせて真なる勝利の起点をつかむ日であり、真の父母の理念が出発した日です。それで、その日は一日に過ぎず、その日の因縁は部分的な因縁に過ぎませんが、この因縁は、天宙史的な因縁を経ていくでしょう。

そして、神様は、その日を起点にして、霊界と肉界で同時に計画を実践なさることができたということです。すなわち、霊界と呼応しうる基盤、初めて神様が闘うことができる基盤が築かれたということです。このように勝利の基盤が築かれたために、ここに一致する家庭的基盤、氏族的基盤、民族的基盤、国家的基盤、世界的基盤のみ築いておけばいいのです。

イエス様が、イスラエル民族の反対で、全体的な使命を完成なさることができず、楽園に行かれて霊的にイスラエルを収拾して、霊的父母の立場に立っておられたのと同様に、世界的な勝利の版図を地上に築くことができるときがいつかというと、四年路程であるということです。この四年路程の間に霊界と肉界が一致して、勝利の起点を立てる日には、全世界の人類が楽園以上の霊界で行軍することができる時代的な恵沢圏内に入るというのです。

ところで、このような歴史過程を経ていくのにおいて、来られる真の父母は、個人的な十字架を背負うべき段階から、世界人類の十字架を代わって背負うべきであり、家庭的な十字架を背負うべき段階から、世界的人類の十字架を代わって背負うべきであり、氏族的、民族的、国家的十字架を背負うべき段階でも、世界人類の十字架を代わって背負うべきなのです。

イスラエル民族の歴史を見ると、ヤコブはエサウとの個人的な闘争で勝利したために、個人的な復帰の条件を立てることができました。そうしてから、ラバンの家に行き、天が協助する中で、家庭的な戦いで勝利したために、家庭を見出すことができました。その後、ヤコブの後孫は、民族を形成するため、サタン世界であるエジプトに入りましたが、彼らは、そこで天の協助で救い出されて出てきて、カナンに入ることができ、カナン七族を滅ぼすことができました。このようにイスラエル民族は、カナン復帰路程四〇年を経ていきながら、初めてサタン世界に対して攻撃することができました。

四〇年荒野路程以前には、三日路程がありました。イスラエル民族は、三日路程を経た後に、初めてカナン復帰をすることができたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また四〇数を探して立てなければなりませんでした。

復帰摂理がこのような路程を経てきたために、今まで先生も四〇年路程を経た後、三年路程を歩まなければならず、四年路程を歩まなければならないのです。それで、我々が三年路程と四年路程を合わせれば、七年路程になるのです。

このような過程を経てこそ、初めて復帰歴史を終結し、天の主権を立てることができるのです。イエス様も、本来は三三歳から七年路程を歩んで、神様が願う父母の基準を立て、そこから万物復帰の基準を立て、四〇歳にすべてを終結して、天のみ旨を成すべきでした。これが、イエス様の使命でしたが、イエス様がこのみ旨を成しえず、十字架に亡くなることによって、このみ旨はそのまま残るようになりました。

それで、再び来られる真の父母が、内的外的な闘いに責任を持たざるをえないので、四〇年準備期間、あるいは、闘争期間を経ていくのです。外的に四〇年準備期間ですが、内的には闘争期間であったのです。こうして、霊的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に霊肉を合わせた実体的な基盤を築くことができる土台を備えたのです。

真の父母が中心になっていく三年路程を経て、万物復帰の期間、すなわち、四方性を備えるための四年路程を経なければならないのです。それで、七年路程として蕩減復帰を終結していかなければならないのです。

真の父母を探すまでは、歴史路程についてみると、三年路程、四年路程、四〇年路程は短い路程ですが、歴史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な無念さを総体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な十字架を全体的に蕩減復帰する期間です。歴史的なすべての悲しみと苦痛と無念さにも屈服されないという、絶対的な基準を立てずには、真の父母の日、真の父母の勝利の日は、迎えることができないのです。

天に代わって、真の父母の因縁に代わって、み旨に責任を持って、奉ってきた我々統一教会は、それでこのような試練を自ら招いて受けていっているのです。

その過程でサタン世界と分別された自分を立て、真の父母が勝利の一つの手本を取って、サタン世界を審判しうる真の子女の基準を立てておかずには、氏族、民族、国家基準を立てておかずには、真の父母に対する本然のみ旨を、地上に成すことができないのです。

この期間に、私とともに闘っている皆さんは、真の父母の個人的な身代わりであり、家庭的な身代わりであり、民族的な身代わりであり、国家的な身代わりです。このような父母の身代わりとして、今まで韓国各地へ出て闘っているのです。今は、世界的な舞台に向かって出て、責任を持って闘わなければならないのが皆さんの責任であるのです。

このような観点から見るとき、今までの霊界と肉界の悲しみが何か? 本来は、真の父母がこの地に現れれば、その日から天地が平和を歌うべきであり、全天宙が幸福圏内に入るべきであり、神様を中心に地上天国が成されるべきです。(一三\二八五)

私が真の父母を宣布するまで、苦労をどれほどし、悪口をどれほど聞き、監獄生活をどれほどしましたか? 六回も監獄に出入りし、こうして今年に入って真の父母を宣布したのです。(ですから、真の御父母様であられます)。ですから、世界最高のかわいそうな王の中の王が文総裁です。お母さん、お父さんが、何、どうのこうのと言いますが、いちばんかわいそうな人が文総裁です。(二一一\一六一)

先生が世界のために、どれほど多く投入したかというのです。血涙をどれほど注ぎ、汗をどれほど流し、どれほどため息をついたでしょう。私がご飯のために、出世のために、そうなのではありません。地上世界、天上世界、神様を解放するためです。このような人は、歴史時代に文総裁以外にはいません。真の父母以外にはいないのです。

そのような背後の歴史を持っているのです。それが観念だけではありません。実戦舞台で実際圏を形成するのにおいて、それ以上の基盤を築いてきたために、世界万国が粛然と頭を下げうる段階まで来たのです。(二一〇\三六四)