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一)「天」の字と「父母」の字のもう一つの意味
天というのは、二人です。仁というのも二人です。二人ですが、二人はどんな二人が天か? 完全な愛を中心として、天地が縦的に一つになり、横的に完全に一つになりうる人間…。その二人ではないですか? 天地調和を成しうる根本は、愛から始まったのです。(一八六\六二)
天地間において、天が先か、地が先か? 地天か、天地か? 父母も、父母か、母父か? 夫婦も「夫」の字と「婦」の字が逆さまになった婦夫か、正しくなった夫婦か?(正しくなった夫婦です)。地天を願う人はいません。全部天地を願います。
それゆえ、何が先になるべきか? 天が先になるべきです。その次には、何になるべきか? 地が先になるべきです。そして、父母がいますが、父母は、なぜ母が先にならず、父が先か? そうだといって女を無視するのではないのです。
聞いてみなさい。女も良くなるのです。(笑い) 父母は「父」の字が先になければなりません。「母」の字をじっと見れば、これは面白いのです。じっと見ると、このようにして、このようにして、このようにして、こうなります。(板書される) これは何かというと「女」の字を二つ持って逆さまに固めておいたものです。分かりますか? そうでしょう? それは本当に面白いのです。それが「母」の字です。
女という字は、本当に面白いです。これも女、これも女ですが、これを逆さまにこのようにしておいたのです。女を二人くっつけておいたのです。そうでしょう? 逆さまに持ってきて合わせたのです。そうではないですか? それが母です。
それゆえ、天の心を持った母にならなければならず、地の心を持った母にならなければなりません。言い換えれば、天の心を持った女になり、地の女を代表した心を持った女になって、その二つの心を合わせておいてこそ母になるのです。面白いでしょう?
また、「父」の字を見て「エビ(アボジの俗語)」と言うようになると、気分が悪いのです。先生が話すようになると「アバジ」という言葉をよく使いますが、その言葉は平安道のなまりです。
父の字を見ると、このようにしっかりとしておいたのです。(板書される) これが何か? しっかりと離しておくと「人」の字が二つです。それがしっかりと合わさっているのです。そうでしょう? それは、一カ所に持ってきて結んでおいたのです。
それが何か? 男は男ですが、人は人ですが、一人ではなく二人を持ってきて結んでおかなければならないのです。それでこそ父になるというのです。それは何かというと、天の人と地の人が結ばれて、一つの行動をすることができてこそ、父になるということです。これを考えれば、面白いでしょう?(はい)。
また、天の字をじっと見ると、それは何か? 天というのは、一人でいるのではありません。二人がいてこそ天になるのです。それゆえ、天は、二人を持ってきて合わせれば天になるのです。このようになるでしょう?(はい)。これは本当に面白いのです。
また、夫という字は何か? これがみっともないのです。冠を被って(官職に就いて) 天よりも高く上がることです。これは何か? 二人が互いに好きなら、天のてっぺんまでも貫いて上がるということです。それで、夫婦という言葉が設定されるのです。面白いでしょう?(はい)。(笑い)
では、「私はこれほど美男であり、これほど立派な男であるために、私には父母が必要ない」と言う人がいますか? 「私は男であるために、男である父が必要ない。父が死ねば、私が代わりに父になるために、私が主人になるから、父は死んで母だけ残って下さいませ」と言うそんな男がいますか?(いません)。
また、「私が女なら、うちで女の家長になろうとするので、母は死んで父だけ一人生きて下さいませ」というそんな娘がいますか?(いません)。いないというのです。では、何がいなければならないか? 二人がいなければなりません。父母がいなければならないのです。(五九\一八二)