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九 還故郷活動の結果とその恩賜

1 還故郷活動の結果

 今まで統一教会の信徒たちが十字架を負い、迫害を受けたのは、長子復帰時代だからで、長子を復帰するためのものです。皆さんは、長子復帰時代よりもっと苦労をしなければなりませんか、してはなりませんか? (もっとしなければなりません)。もっとしなければならないのです。ですから、氏族的メシヤは、イエス様の解怨成事をしなければならず、先生の解怨成事をしなければなりません。

 イスラエルの家庭は、ヤコブの解怨成事をしなければならず、イスラエルの一族は、イスラエル民族は、モーセの解怨成事をしなければならず、キリスト教は、イエス様の解怨成事をしなければならず、統一教会は、文先生の解怨成事をしなければなりません。そうしなければ天国に行けません。分かりますか? 原理が、そのようになっています。これは、私の話ではありません。

 先生がこの韓国に来て韓国を統一するというとき、誰が協助してくれるのでしょうか? 神様が協助します。ですから、神様と一つになってサタン家庭を愛し、サタン氏族を愛し、サタン民族を愛し、その次に、サタン国家、サタン世界を愛し、霊界、地獄までも愛したというのです。地獄まで愛しました。そうしたので、愛したので、先生が行く所は全部、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国になるとしても、サタンは讒訴できません。「お前、神様と共に私を愛せなかった」という言葉を言う所がないというのです。ですから、先生と一つになる時は、先生のみ言と一つになる時は、皆さんからサタンは完全に離れるようになります。

 今、氏族的メシヤという言葉は、家庭をもって行くという意味です。祝福家庭なのです。分かりますか? 家庭をパスしたのです。旧約時代にメシヤを送るのは新郎を送るということであり、今、成約時代には先生が苦労して何をするのかといえば、家庭的メシヤを送ります。

 旧約時代にメシヤを送るというのは、天から人を送るということです。全部、縦的な道を通じてするというのです。今、成約時代においては、先生を中心として、先生は地上で、神様を中心として、地の東西南北へ送るのです。

 皆さん、氏族復帰をするためには、氏族的メシヤが必要だというのです。そのように氏族復帰をすることによって、民族は自動的に展開されるのです。氏族復帰さえするならば、国家であれ世界であれ、ここから問題がみな解決されるのです。

 それで、メシヤは誰の責任を果たさなければならないのでしょうか? イエス様が失敗したことを復帰しなければなりません。イエス様は結婚しましたか、できませんでしたか? (できませんでした)。皆さんは、結婚しましたか、できませんでしたか? (しました)。結婚を中心として見るとき、どちらがより良いですか? それでは結婚をどのようにしましたか? 向こう見ずにしましたか、どのようにしましたか? 真の父母を通じて血統が転換されたのです。血筋が変わったというのです。

 そうすることによって、イエス様の解怨成事が、皆さんの氏族を中心としてなされるのです。歴史時代にふさがれていた垣、イエス様が結婚できず、息子、娘を生めなかった恨みによって今まで二〇〇〇年間、歴史的曲折を残し、神様に苦痛を味わわせるようにしたことを、解放する起源が生ずるのです。そうすることによって、皆さんの本郷の地が生ずるのです。イエス様の本郷の地が生じたのと同じです。分かりますか? 愛の本郷の地が生ずるのです。

 その次には、何をしなければならないのでしょうか? 先生の解怨成事をしなければなりません。先生は、皆さんのように故郷をもてませんでした。今も、故郷に行かなければならないのではありませんか? そうでしょう? 故郷に行かなければなりません。青春時代に自分の父母、一族を率いて、神様の故郷がそこから出発し、神様の国がそこから何の迫害もなく出発できる、自由な環境をもてませんでした。

 私の父母に、原理のみ言を語ってあげられませんでした。私の兄は、立派な兄でした。信仰においては、模範的な兄でした。早くに我が国が解放されることを啓示で受けました。また、弟がどういう人かは分からなかったのですが、世界に兄、弟という関係をもった私が、歴史始まって以来初めての人になることだけは間違いないというのです。それが分かったのです。弟がどのような人なのかということが分かったのです。天が教えるには、「世界の弟の中で最高の弟であるから、お前がお兄さんの立場で、どんな話であっても聞かなければならない」と語ったのです。

 ですから自動的にカイン復帰がされたのです。分かりますか? 兄弟基準におけるカイン復帰なのです。私が家を売ろうが何をしようが、兄には異議がないのです。そのような兄に対して、原理のみ言を一言も語れませんでした。それは、どれだけ不幸なことですか?

 世界を巡りながら多くの民族を越え、国境を越えて諭し、天国に行ける民として再び新生させるために、ありとあらゆる風雪を体験しながら、生涯をささげてきたのに、自分の父母のためにはできなかったというのです。それは、キリスト教が反対することにより、大韓民国が責任を果たせずに、そのようになったのです。

 今では還故郷をしても、父母はみな故郷を去り、兄弟たちは何人かいないと思います。一人、二人の兄弟は残っているはずです。故郷を訪れるとき、そのあきれ返るような事情、外部で感じていた事情を全部比較しても、それ以上あきれ返るような事情がないのです。

 ですから、皆さんが還故郷して、イエス様が二〇〇〇年間難を受けながら祝福の日を待ち焦がれてきたこと、また先生が七十歳になるまで、栄光の座を押しのけて十字架の道、反対の道を行きながらも、怨讐を愛するためにもだえ苦しんだ、それまでしなければなりません。そのように考えるとき、皆さんが今まで数十年間統一教会に来て苦労したより何十倍苦労するとしても、皆さんが故郷に帰ったその栄光と価値は、先生より素晴らしい位置をもっているということを知らなければなりません。

 そこから真実、父母を愛する涙を流さなければなりません。「お父さん、お母さん、親不孝をいたしました。お兄さん、お姉さん。気苦労おかけして申し訳ありません」と愛でもって同化させ、一族に侍り、皆さんがここに上がってきて祖先にならなければなりません。

 皆さんが祖先にならなければなりません。これが天地開闢なのです。おじいさんが孫になり、父が息子になるのです。そのようなことが起こるのです。

 イエス様の解怨成事、その次に誰の解怨成事ですか? (真の御父母様の解怨成事です)。真の御父母様の解怨成事は、ここに座っていてはできません。故郷へ帰らなければなりません。イエス様が氏族を中心として本当の意味で迫害のない位置で、天理を教えることのできる環境になりませんでした。皆さんは、皆さんの父母と妻子を抱いて迫害のない位置で天理を教えることのできる環境をもって、先生以上に迫害を受けた位置で、先生以上に父母を愛しますという心がなければなりません。皆さんがそのようにすることによって共産党は崩れるようになります。共産党は、自動的に後退するのです。それが原理観なのです。氏族的メシヤの行動は、イエス様以上、その次に先生以上なのです。分かりますか?(一九八九・一・八、本部教会)

2 故郷復帰に参加した価値

 今では時代が違います。過去は兄弟時代で、この時代は父母を復帰する時代なのです。完全に違うのです。父母の概念を知らなければなりません。

 さあそれで、この氏族的メシヤというものを誇りに思い、先生のような誇らしいメシヤにさえなるならば、どこに行っても反対はないのです。先生は、片方を眺めながら戦ってきました。そのような人生路程を歩んできて、このような基盤を築いたのです。これは無価値なものではないのです。貴いものです。ですから、皆さんも考えてみなさい。いかばかり誇らしいですか。これは、歴史に初めてのことなのです。(一九八九・四・二、ニューヨーク)

 父母! メシヤ! 過ぎ去った世代の祖先たちと宗教指導者たちが、いかばかりメシヤを願ったでしょうか?どれだけ彼らが願ったとしても、彼らはメシヤに会うことができなかったのです。しかし、この世代、皆さんの世代において初めてこれが可能になったのです。真の父母と一緒にいることができるこの世代が、いかばかり祝福を受けた世代なのか、分かり得ないのです。それくらい福を受けた世代なのです。

 サタンも、そのような父母には反対できないのです。真の父母は、真に満ちた兄弟たちを一つにして抱くことができますが、サタンは、そうできません。ですから、サタンが頭を下げるのです。それが原理なのです。それが神様の創造観です。 私たちがメシヤだということがどれだけ誇らしいことか! 分かりますか?(一九八九・五・一、世界宣教本部)

3 還故郷による恩賜

 還故郷というものが、宗教歴史時代に発表されたということは、神様の復帰摂理において極めてうれしい福音です。ところが皆さんは、福音の内容を、説明を聞く前はいい加減に考えていませんでしたか? そうであるならば、いかばかりみ旨に対して無知でしたか?(一九八八・七・二二、漢南洞公館)

 先生は、故郷を愛することができないではありませんか? そうでしょう? 皆さんが幸いなのですか、先生が幸いなのですか? (私たちが幸いです)。皆さんは、父母に会うことができます。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

 ですから、皆さんの時代には、父母をかき抱いて、「お父さん!」と言えば、皆さんの父母も一緒に、「父よ!」と言うことができるのです。ですから、どれだけ幸福ですか? 先生は、そのようにできませんでした。兄弟の血族を中心として、「父よ!」と言うとき、血族が同感して一緒に涙を流す場にいることができませんでした。「お父さん!」と呼ぶことができなかったのです。天の国の声を一緒に訴えることができませんでした。このような悲しみを帯びているということを知らなければなりません。

 このような曲折の歴史を抱いてきた先生の代わりに、皆さんの家庭を愛しなさいというのです。皆さんの一族を解放しなさいというのです。解放できるものが何かといえば、み言です。み言を宣布できる時になったという事実は驚くべきことです。(一九八八・一・二三、本部教会)