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八 尊影(注:御父母様のお写真)に侍ること、統一旗掲揚、入会願書提出

 私たち統一教会は、歴史を再編成するのです。新しい天の国家を再編成するのです。そうしようとするならば、まず、何からしなければならないのでしょうか? 国民がいて、公務員がいなければならないのですね。み旨から見るならば、統一教会の信徒は公務員になるし、入会願書を出す人たちは国民になります。使命が違います。

 今、統一教会で入会願書を出した人たちは、判こを押しました。ところが人々は、六・二五動乱のとき、判こを押して首が飛んでいき、虐殺され、一族が虐殺されるのを見たので、判こを押すことを一番恐れるのです。

 この前、江原道のある地域長が来て話をするには、あるカトリック教会がその教会から少し遠い所を伝道しなければならなかったようなのです。ところが、統一教会の啓蒙伝道隊員たちがその所に行って講義をし、入会願書を七〇パーセントもらったというのです。部落全体の七〇パーセントもらったのですが、誰かが「ああ、統一教会が入っていって町内全部の入会願書をもらったそうな」と言ったので、カトリック教会の人たちは気持ちが悪いのですね。それで、「私たちも行って伝道をしよう」と言って、全部訪ねていったのです。

 そうしてその町内の有志たちを訪ねていって、「私たちカトリック教会を信じなさい。統一教会は異端の邪教ですよ」と言ったそうです。すると、その有志たちは、「私たちは、統一教党に入籍しました」と言ったというのです。「統一教党」と言ったというのです。結局は、統一教会に入会願書を出したことを、党に加入したことのように思っているというのです。党以上に思っているのです。

 きょう以降、皆さんは、先生の写真を持ち歩くのは良いことです。そうするならば、どのような苦難に遭遇するとしても、無事に耐えきることができるように保護されるのです。旧約時代、モーセがイスラエルの民をエジプトのパロ王から脱出させ、カナンへ引導するために奇跡を行いました。長子が患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門柱に塗った家は、その患難がすべて避けていったのです。霊界では、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護もしてくれるです。(一九八四・一・一五、アメリカ)

 イスラエル民族がカナンの福地に入っていって、何をしなければならないのか分からずに滅びました。カナン福地に入っていって、どんなことをしなければならないのか知りませんでした。けれども先生は知っています。しかし、そのような話をしませんでした。カナンの福地に行って何をしなければならないのか知っています。祖先たちの轍を踏むなというのです。

 それが分かったならば、祈祷室を準備して先生の写真を置き、千回万回敬拝しなさいというのです。昔、再臨主に侍るために準備していた許孝彬氏の団体では、毎日三〇〇〇回敬拝をしたのです。皆さんも一度してみなさいというのです。縫い物も糸一筋ずつ手でしました。裁縫機械でするならば不敬だというのです。そのように精誠を尽くしても、足りないのです。種のない、腐った実ではありません。流れていきますが、種があります。どこに行っても蘇生します。統一教会の信徒たち、社会で公認する人でなければ今後、使わないのです。行く所のない乞食の群れのような者が入ってくるようになっていません。(一九八八・五・一五、本部教会)

 なぜそうなのかといえば、サタン世界でも父母の写真を掛けるでしょう? 終わりの日が来たので、天の父母に侍る教育の資料として使うのです。文総裁は有名なのです。愛国者だという言葉はみな認めるのですね、既成教会の牧師たちも? 聞いてみなさい。愛国者だと言うのです。また、私の功績には、天下がみな頭を下げます。そして、「あの写真を掛けた以上、あの方の前においては、夫婦同士、軽率に喧嘩もできません」と言い、息子、娘の前にも、「おいおい、あの文先生の前では駄目だ」と言うようになるならば、悪いことがどこにありますか? 自分の父母の写真以上に侍ることにより、祖先たちが来て、祖先として侍るのです。分かりますか? それは祖先たちが来て、その家に侍る祭壇になるのです。そうすることにより、天上世界の福を受ける道ができるので、朝の三時になるならば、自分たちは眠りますが、一家の周辺からよこしまなる悪魔たちをみな追い出すのです。(一九九一・八・二五、本部教会)

 家庭統一を成して、御父母様の写真と共に、師のみ言と共に、主人意識、愛国者の意識を植えておかなければなりません。

 創造理想の神様の愛と人間の愛を、縦横の合徳理念を、個人から家庭、氏族、民族、国家……。血統的基準を継いだ新しい氏族圏をもったという立て札を立てて、勝利の王権をもち、旗をはためかすことができるようにしなければなりません。通りすがりの人がその旗を呪うならば、罰を受けます。それで旗を掲げなさいというのです。

 また、私は皆さんに旗を掲げなさいと言いましたね? 写真を張り、旗を掲げるならば、みな終わるのではありませんか?

 部屋の中に御父母様の写真を張り、統一教会の旗を掲げるならば、それは既に天の国の一族ですか、サタン世界の一族ですか? (天の国の一族です)。天の国の一族になるのです。天の国の一族につくってあげるというのです。ですから、最近、旗を掲げることを呪って雷に打たれる人が多いではありませんか。実に不思議でしょう? 先生に後ろ指を指して手に病気ができたならば、このように持ち上げて何日何夜か祈祷し、悔い改めてこそ治るのです。そのようなことが起こるのです。なぜでしょうか?

 天運が訪れてくるのに個人の運勢で妨げることができません。宿命的な道です。モーセが杖を挙げているとき、それを眺めた人は、みな生きました。分かりますか? 統一教会の旗を眺めに、行くたびに敬拝し、来るたびに敬拝し、写真を見に、行くたびに敬拝し、来るたびに敬拝するならば生きるというのです。(一九九一・八・二五、本部教会)