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四 氏族的メシヤの自覚

1 氏族的メシヤの責任を与えた理由

 先生は皆さんを呼んで、高貴なものを相続させてあげようとするのです。先生がそれを失敗する場合にはすべての霊界が讒訴するのです。先生はそのことを知っているのです。どれだけ恐ろしいことですか。先生はよく知っています。先生の過去の生涯路程がどれだけ困難なものであったとしても、それ自体は問題になりませんでした。その困難さより、霊界の讒訴がもっと恐ろしいのです。それでどれだけ迫害を受けるとしても、それが易しい道であるということが分かったというのです。どちらが価値あることかということを知っているのです。

 それで、一度決定を下すならば、ごちゃごちゃ言う必要がありません。私は、見て、聞いて、味わい、においをかぎ、触ってみて、そうして決定を下すのです。不平を言うことができません。先生は全部、実験してみてから決定するのです。ですから、皆さんが先生の言うことを聞かなければなりません。皆さんは、自分自身を見ることができません。ですから、口を閉じなければなりません。このようなことをはっきりと知らなければなりません。いかばかり恐ろしいですか? すべてのことが良くありません。それでただ活動する道しかありません。絶えず活動していってこそ勝利をすることができます。それが先生の立場です。先生は、今まで勝利的条件を山のように積んできました。それは、美しい山であり、美しい川であり、美しい野原です。それで、自然にすべての動物たちが集まるのです。

 先生は時々、皆さんを激しく追い詰めますが、皆さんは逃げていくではありませんか? 皆さんは、何回もそうしました。それは事実なのです。どれだけ愚かしいことか。先生は、教会でそのような態度をとる食口をよく見ます。先生は、そのような食口たちを集めておいて、「出ていけ」と強力に命令するのです。私はそのようなことをたくさん見ました。いつも問題があります。いかばかり不幸な場面ですか? 私は醜い顔、醜い目、醜い耳、醜い心、醜い体をいかばかりたくさん見たか分かりません。皆さんは、過去にそのすべての醜い姿をしました。ですから、いかばかり恥ずかしいですか

 今、先生は皆さんにメシヤという名前を与えました。何のメシヤなのですか? (氏族的メシヤです)。氏族的メシヤ! それでは、皆さんはどのようにしなければなりませんか? そのようなメシヤとして何をしなければなりませんか? 国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤになることのできるすべてのことを準備しておきました。山のように大きい宝物を皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえするならば、宝石山のような、このすべてのものを相続されるのです。水道管のようなものが連結されて水が流れて下っていくように、皆さんに相続されるのです。

 皆さんがこの価値あるものを相続されるにあたって失敗するならば、後世に、皆さんの後孫たちが皆さんを讒訴するのです。神様が皆さんに手助けしてくれず、先生も手助けしてやらず、お母様も、先生の直系の子女たちも手助けしてくれず、すべての統一教会の食口たちも手助けしてくれません。

 先生に従わなければなりません。先生が過去に歩んだのと同じ道を歩まなければならないのです。そうしたのちに自由があるようになるのです。その次に新天地が展開されるのです。私たちは、自由を願うのです。

 それで今回だけは、一度メシヤになりますか? (はい)。それで、一人で行くとそう言いましたか、家庭が行くとそう言いましたか? (家庭が行くと言いました)。今までのメシヤは、男一人しかいませんでしたが、今からは家庭メシヤというものがあります。家庭メシヤ。今までの一人としてのメシヤは反対も受けましたが、今正に、家庭メシヤが落ち着く世の中になれば、反対する人がいません。

 カナンの地に入っていかなければならないのに、ヨルダン川の川辺で天幕を張り、「今ではみな来たので、ここで千年万年生きなければならないのだが」と思うかもしれませんが、この天幕をぶち壊し、踏みつけ、川に投げ込まなければなりません。ヨルダン川の川辺で眠るのですか?

 そのような時には、モーセが来て火をつけ、全部けっ飛ばしてしまわなければなりません。水に投げ込まなければなりません。ヨルダン川の水が深いと思ったのに、目を開けてみると深くありません。ひざまでしか水が上がってこないのです。小川を渡っていって死ななければなりません。三分の二の体が地にすがり、そこで休んでもかまいません。それをサタンは持っていけません。死んでもかまわないし、死んでも成功なのです、成功。それが長い長い四十年間の路程の目的です。

 今は、足が軽いですか、重いですか? (軽いです)。七十歳になった先生のひざみたいですか、三十代の皆さんのひざみたいですか? それで先生の前に先立つのですか、後ろに従うのですか? (先立ちます)。それでは、モーセはどうですか? 「やい、この野郎! なぜ先に行くのか?」とそう言うでしょうか? 荒野のまっただ中で道が分からないときは、「おい、この野郎。行けば大変なことになるぞ!」とそう言うかもしれませんが、ヨルダン川が見え、カナンの地が見えるときは、「早く行け! いいぞ、うまいぞ、うまいぞ、私の息子、娘よ!」と言いながら褒めたたえるようになっているのです。ヨルダン川も見えない荒野のまっただ中では、先に行くならば死にます。その時は私に従ってこいと言いましたが、見えるときは、「先に行け」と言うのです。これがすてきなのです。

 それで、イスラエル民族はみな渡っていき、モーセだけ渡っていけませんでした。どのようになったのですか? モーセは、「あ、呪いを受ける群れだ! 私を捨てていったのだなあ。死ぬべき奴ら! 滅亡しろ!」とそう言いましたか? 「おお、私は死んでもいいからお前たちは永遠に祝福を受けなさい」と言ったのです。モーセが手を挙げて、「神様、私より勇猛なあのイスラエル民族を御覧ください。彼らの将来を保護してくださいますように! いかばかり希望に満ちた彼らでしょうか!」と祈祷するのです。神様は、「ああ、立派な指導者であることよ。お前の祈祷どおりにしてやろう! お前は安らかに永眠するように」と語るのです。いかばかりすてきな死でしょうか?

 先生はそのようなことを考えるのです。先生もそのような勇敢なムーニーを見たいと思います。先生に従いながら皆さんはあまりにも疲れました。いろいろと異質的な姿を見せてくれました。このような時に勇敢に、「川を渡って私が一番先にあちらに足を踏み出します」と言う、そのような群れがいるならば、ヨルダン川を渡る群れを見てモーセが立派だと感じたのと同じく、先生もそう思うのです。

 私たちは、愛の氏族ですね? (はい)。先生は、愛の氏族を信じます。愛の氏族を愛します。私は、愛の氏族を守り、保護することを願います。私は愛の氏族である皆さんを誇らしく思います。愛の氏族が行く道は、一つの道です。二つの道ではありません。ただ一つの道を行く、一つの氏族です。

 さあ、今度こそは間違いなく氏族的メシヤの責任をもって各自の故郷へ帰って、「私は、氏族的メシヤとして帰ったのだ!」と言いながら自慢するのです。これは、皆さんと皆さんの後孫たちのためにです。イスラエル民族が十二支派に土地を配りあてる時と同じです。今やカナンの地に入ってきたのですが、昔はヨルダン川を渡った地がカナンだったのですが、今ではこの地球がカナンなのです。神様のもと、一つの民族、一つの国なのです。

 どこにも行く所がないではありませんか? どこであっても、アメリカであれ各国が自分のもとにあります。昔は、カナンに七族がいてイスラエル民族に反対しましたが、今ではムーニーに反対する人たちがいなくなりました。すべてが歓迎することのできる立場にいるのです。イスラエルの人々は、乞食になって入ってきて、カナンで良い暮らしをしていたその七族の風習などに従っていって滅びたのですが、今からはムーニーたちを尊敬し、ムーニーたちに従ってくる立場になりましたから、滅びる道はありません。イスラエル民族は、カナン七族の風習に従っていかざるを得なかった立場にいましたが、今の時は、外的な世界はみな滅び、腐って、今では皆さんだけに希望があるというのです。それで皆さんを手本にしようとするので、サタン世界も滅びないのです。反対です。

 モーセの時には、カナン七族にはお金もあるし、美人もいたのです。イスラエル民族は乞食になったので、彼らに願い、頭を下げて入っていきましたが、今は違います。反対です。

 今は、そのような時ではありません。歓迎するので、皆さんをうらやましがるほどになりました。ですから違うのです。イスラエル民族が、カナン七族の文化と伝統に従ったこと、これが問題です。それで、イスラエル民族が滅びるようになったのです。これが重要なことです。今は違います。私たちが中心です。ムーニーが中心なのです。滅びていく外部の世界には希望がありません。ムーニーが唯一の希望だと、彼らが仰ぎ見るのです。

 ムーニーたちが一つになって、今からはメシヤとしての責任を完遂しなければならないのです。強く大胆であれ! 神様がヨシュアとカレブにそう語ったように、強く大胆であれというのです。長子権復帰のために父母をもち、天をもち、すべてのものを備えたこの地上の基盤をもったので、激しく押しまくりなさい! 後ろで神様が支えてくださるるし、真の父母と真の家庭と統一教会の力が要塞のように、後ろで皆さんを保護するのです。一つの道へ前進さえするならばよいのです。それが勝利する道です。

 先生がアメリカの法廷で闘争するとき、監獄に行くことを覚悟しました。皆さんは、監獄の解放のために行くことを覚悟し、先生が法廷で戦ったよりもっと大胆に家庭を率いて、カナンの天地の所有権を拡張するために走る勇者たちになることを決意しましょう! そのような勇士になれますか? (はい)。できますか、できませんか? (できます)。皆さん、一人だけではありません。夫妻で、家庭でです。

 それで、皆さんの父母から受けて今まで生きてきた、そのような習慣性をもってはいけません。皆さんの息子、娘たちに今から本当に教えなければなりません。そのままにしておくならば、家庭が、祝福受けた者がみな、滅びます。ですから、仕方なくメシヤの責任を負わせて表に立たせるのです。それが歴史的最高の時代に生きている私たちがしなければならない責任であることを知り、霊界と地上界が、天地が眺め、宇宙が眺める、このような愛の驚くべき時期を占める主人になりますように! アーメン!(一九八九・四・九、ベルベディア修練所)

2 氏族的メシヤの尊貴性

 氏族的メシヤが安物だと思いますか? 賢い先生がメシヤの使命をするために一生をささげても達せず恥ずかしく思うのです。皆さんの前に氏族的メシヤという言葉は、驚くべきことです。イエス様よりももっと貴い価値の位置に立つことができるのです。のみならず統一教会に反対し、ありとあらゆる悪口を浴びせかけた人まで、堕落しなかったアダムの位置に引っ張り上げてあげようとするのです。世の中にそのような話があり得ますか。それは、あり得る話ではありません。話をする文なにがしは、真の父母の位置にあるので今まで語ったすべてのことを、みな成しました。成さなかったことがありません。(一九九一・八・二九、国際研修院)

 なぜ氏族的メシヤが貴いのかといえば、家庭の前に中間に立っているからなのです。ここが氏族的メシヤなのです。氏族的メシヤとはいったい何でしょうか? 先生は、世界的、あるいは国の中心になっていますが、皆さん自身はそうではありません。皆さんには五パーセントの実績がないというのです。ですから先生が世界を愛し、国を愛してきたのと同じく皆さんは、神様を愛するように自分を愛し、自分の夫や妻を愛し、自分の家庭を愛し、子供を愛するように、自分の家族を愛するのです。その愛を中心として、それと同じく国を愛し、世界を愛するのです。そうするならば国と世界は、先生が既に連結しているので自然に連結されるのです。

 このようになるならば、皆さん自身が行く道は、個人的心情圏から家庭的心情圏、氏族的心情圏、国家的心情圏、世界的心情圏、天宙的心情圏まで連結され得る基盤が形成されるので、この氏族的なメシヤ基準がどれだけ重要なのかを知らなければなりません。

 これを原理で見るとき、家庭が蘇生であるならば、氏族が長成、国家は完成だというのです。国家を中心として見るときは、国家が蘇生であり、その次には世界が長成であり、天宙が完成だと、このようになるのです。世界を中心としては、世界が蘇生であり、天地が長成であり、神様自身が完成として、愛でもって結びつけられるのです。この三段階原則によって連結されていく、このような発展原則に従って見るようになるとき、国を探し求めるにあたって氏族的メシヤ基準がどれだけ貴重であるかということを知らなければならないのです。(一九八九・二・五、本部教会)

 皆さんは、氏族的メシヤ、氏族の救世主なのです。氏族の救世主という名前をもったというのです。ヤコブ家庭でメシヤが来ることをどれだけ待ちましたか? 何千年も待ちました。何千年待って迎えなければならないものなのですが、皆さんを氏族の前にメシヤとして任命して送りましたから、そのメシヤの種子がいかばかり貴いものですか?(一九九〇・一・一四、本部教会)

3 氏族的メシヤの価値を自覚せよ

 ここに出てきた皆さんは、金氏であるならば金氏の家門のメシヤと同じ使命を果たさなければなりません。金氏家門であるならば金氏家門、朴氏家門であるならば朴氏家門において天の国を創建するにあたってこの氏族を代表して、「私がメシヤだ」と思いなさい。救い主だと思えというのです。金氏家門を救ってくれる救世主だと思わなければなりません。そうであるためには、金氏家門全体を身代わりして、祭司長的な責任を果たさなければなりません。(一九六五・一〇・三一、大邱教会)

 今、最後に残った終着地とは何でしょうか? 解決方法とは何なのかというのです。すべての壁をみな崩し、処方をするのですが、このような恵みを受けようとするならば、どのようにしなければならないのでしょうか? 氏族的メシヤになれというのです。氏族的メシヤ。

 これさえ終わるならば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、氏族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的、世界的讒訴を提示するその何ものも、みななくなるというのです。(一九八九・三・一九、世界宣教本部)

 皆さんが今、三時代のイスラエル圏を受け継ぐ厳粛な事実を知らなければなりません。傍系的宗教は対等な位置で神様を中心として父と呼ぶことができ、我が国と呼ぶことができる、あなたの国でなくして私の国だと呼ぶことができる解放の圏を迎えることができるという、イスラエルの勝利の覇権を受け継ぐことができるという驚きを忘れてはいけないのです。

 氏族的メシヤはどれだけ恐ろしい言葉なのか分かりますか? メシヤが責任を果たせないならば、死ななければなりません。死ぬ前には戻ってくることができません。これがメシヤの使命なのです。

 メシヤ圏を蹂躙してはいけないのです。私の生命が消える恨みがあるとしても、私の一族が消える恨みがあるとしても、蹂躙してはいけません。自分の父母が皆さんを捕らえて殺すことはできないでしょう? 十字架にかけることはできないでしょう? それが福なのです。イエス様の前にそのような福があったならば、どれだけのことができたでしょうか。世界と戦い、蕩減条件を立てて、この世界の版図とみな戦い、勝って、還故郷することのできる伝統を誰がつくるのですか? 氏族圏までつくって、この氏族でなくて家庭まで行くことのできる道を全部つくりました。

 皆さん、いつ世界的問題を懸けて蕩減路程を行ってみましたか? 先ほど語った僕の僕から始め、カイン・アベルを中心として息子になり、母、エバ圏を中心として、アダム圏を中心として神様へ帰らなければならないのですね。その次に、万有の主人である神様へ帰らなければなりません。今、そのような時が来るというのです。その次には、氏族的な一つの心情圏を探し求めたので個人、家庭、氏族、民族を中心として世界を包括しても余りがなければならないのですね。

 さあ、歴史始まって以来、先生が数千年の恨みを抱き、蕩減復帰のために立てた氏族的メシヤ権の驚きを忘れてはなりません。(一九九一・一・二〇、本部教会)

 先生が皆さん、祝福した家庭を氏族的メシヤとして送ったのは、世界家庭を代表してそうしたということを知らなければなりません。ですから、全世界の夫婦の前に記録的な男と女になり、そういう息子、娘たちは、歴史上に、地球に生きて死んでいった人々と異なった一族の祖先になったことを知り、それこそ神様の息子、娘としてここから直行して天国に入ることのできる人にならなければなりません。(一九八九・三・一、本部教会)