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二 氏族的メシヤの使命

1 氏族的メシヤの任務

 堕落することによって何を失ってしまったのかといえば、真の父母を失ってしまいました。これは、個人的真の父母であり、国家的真の父母であり、世界的真の父母であり、宇宙的真の父母です。個人的王になることができ、国家の王の位置をもつことができるし、世界の王の位置、天上天下の王の位置をもつことができたのが、堕落せずに神様の愛の前に孝子、孝女の権威を備えたアダム・エバの位置であったということを知らなければなりません。

 それでは、メシヤ、救世主とは何でしょうか? 何の救世主なのですか? 権力の救世主ではないのです。お金の救世主ではないのです。知識の救世主ではないのです。愛の救世主なのです。生命の救世主であり、血統の救世主です。なぜでしょうか? 堕落したので神様の愛を失ってしまい、生命を失ってしまい、血統を失ってしまい、これを受け継ぐことができなかったので、それを再び探し求めてあげるために来られた方が救世主だからです。

 皆さんは、種を過って受けました。悪魔の種を受けたのです。天使長の種を受けました。根が天使長です。それで神様がメシヤを送るために今まで六〇〇〇年間働いたのですが、縦的な位置においては横的に送ることが難しかったというのです。

 先生も同じなのです。神様の息子になるためには、垂直の位置に入らなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下のすべての感覚を体得することによって神様が見るようになるとき、見るものがなく体験したということのできる位置に入っていくようになるとき、息子の位置に入っていくのです、本然の位置に。そこに入っていけないように、サタンがあらゆる方向で妨げているのです。サタンが一番怖がるのが神様の愛に接することです。お金を怖がるのではなく、権力でもありません。神様の前には、権力は必要ありません。神様は全知全能な方であるので、知識は必要ありません。全知なる方に何の知識が必要ですか? 知識の王なのに。

 このように見るとき、メシヤとはどのような方なのでしょうか? 今日、統一教会でいう氏族的メシヤとは何でしょうか? 今までは、一人のメシヤを送るための戦いをしました。イエス様時代には死んだのです。文総裁時代に来て、私を打ち殺すためにすべてのキリスト教と世界全体が合わさって私を打ちました。しかし、文総裁は知恵深い人です。私はこのようなことを誇るのです。実に知恵深い人です。ですから悪魔が私を一番怖がるのです。神様は、一番喜びます。

 文総裁が今までしたこととは何でしょうか? 共産主義、民主主義を克服しました。右翼左翼が、みななくなりました。今や残ったものは、頭翼しかありませんから、左翼を捨て、どうであっても体が貫かれてでも統一教会にすがって、頭をつかまえようと大騒ぎするようになっています。今、その段階に入ってきました。

 そのようなことを知っている文総裁は、賢い人なので、世界を収拾するために学界を収拾しました。統一科学を中心として、科学と宗教が分立したこの闘争を防御するために、宗教は科学的な論理を通じて決定して、今日、現代の知性人たちがこれを消化することのできる内容として教えてくれるのです。科学者大会を通じて世界の碩学たちが文総裁を悪く思わず、好ましく思うというのです。

 それでは今日、氏族的メシヤを送る神様はいかばかり悲惨だったでしょうか? 今までは文総裁は、個人的メシヤ、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤの蕩減条件を、みなやりのけました。今からは三十八度線、国境を越える段階に来たのです。ですから、文総裁の影響は、大韓民国を越えて世界に波動を送るのです。大海に、五大洋六大州に波動を送っているのです。

 大韓民国はどうですか? 山中のウサギの子は、自分がすむ所が一番だと思うのですね?? 虎がすむ所は嫌だというのです。大韓民国は、いつでも取って食べることができるのです。私が操作をしようがどうしようが。アメリカを滅びる立場から救った私なのです。中国が滅びていくのを防いだ人が私なのです。ソ連を引っ張り出したのが私なのです。CIAでもないし、アメリカ政府でもありません。そのような男が既成教会が反対することに手を出したならば、今までそのままにしておいたと思いますか? ガラガラと、みな平らにしてしまったのですね。しかし、そうしません。「できること、みなやってみろ。お前たちの実力どおりにみなやってみろ」と思ったのです。実力どおりにさせてみて、最後の勝負の場で負けたのちにもチャンピオンでいられますか? そのような者が賞をもらいますか? 大衆からぶん殴られるのです。天地に声もなく除去されるのです。宗教世界においてチャンピオンの座から脱落せず、勝利的権限をもって、このくらいまで来ました。

 神様一人、しがない立場に立ってイエス様一人を送ったのに、この氏族的メシヤを殺してしまいました。千辛万苦して文総裁をつくって何をしたのでしょうか? 天上世界、地上世界のすべての統一圏を中心として僕の僕から、僕からずっと、養子、庶子、直系子女とこのように上がってきて、地獄から天まで鉄柱を打ち込んだというのです。

 文総裁が神様の愛を中心として世界から国、アダム・エバ、カイン・アベルを中心として僕の位置まで鉄柱を打ち込みました。先生を通じて縦的な神様の愛が、天上の最高の位置から地上の最低の位置まで打ち込まれたのです。これは、抜き捨てることができません。

 その次に横的にも先生が経なかったところがありません。戦いはみな終わりました。今や統一教会に反対する人がいません。個人的に反対し、家庭的に反対し、氏族的に反対し、民族的に反対し、国家的に反対し、世界的に反対し、天宙的に反対したすべてのことをさっと清算しました。この中で父なる神様と言い、真の父母と呼ぶことのできる、生命以上の決意を固くもった人は、悪魔の世界とよこしまなる死亡の世界とは関係ない者になるのです。

 そのような垂直の位置で、天にいる神様の代わりに地上に降りてきて、地上から横的な面で氏族的メシヤを派遣するのが今回のことだというのです。氏族的メシヤは、私が今死ぬとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木するようになっているのです。

 ですから、今、先生は何をするのでしょうか? 氏族的メシヤを送ってアベル的一族の祖先になるようにするのです。この祖先たちは、生命の種をもったというのです。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と父母は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかるならば、どこに行っても通じます。モーセとパロの魔術師が投げた杖が、みなヘビになりましたが、のちにはモーセのヘビがパロの魔術師のヘビをのみ込んでしまったのと同じく、今からは迫害がみな過ぎ去るのです。

 氏族的メシヤは、ユダヤ教、縦なるキリスト教、統一教会を中心として伝統的すべての失敗を圧縮させて勝利的権限をもって仏教、儒教等、すべての宗教が受けるというすべての福を総合した位置で、決定的核として伝授したのです。それが氏族的メシヤです。皆さんは、国家を心配する必要がありません。皆さんは、世界を心配する必要がありません。皆さんの一家を心配すればよいのです。        (一九九〇・二・四、本部教会)

2 氏族的メシヤの責任

 還故郷するための三つの条件は、生命、愛、血統であり、これを実現するためには死を覚悟しなければなりません。私が命を懸けて数多くの峠を越えてきました。死を覚悟してするところから、新しい国の黎明を帯びた東方の朝の光が、統一教会の道を通じて輝くのです。

 その国に輝く日差しも神様の愛、生命力も神様の生命、それは、千秋万代に続き得る光明の伝統の太陽になっているので、永遠に変わらない天の血統を受け継いでこそ、その太陽の日差しを受けて永遠に侍ることができるというのです。それは、人類の生命の本体たる神様を象徴するのであり、御父母様を象徴することを知らなければなりません。御父母様の伝統と天の復帰摂理の伝統を継承して生命と換えておき、その換えておいたものがどんな世の中の脅かしにも除かれない主体性を帯びたと自信をもつようになるときに、皆さんの新しい日は出発するのです。

 そこまで、もてるすべての精誠を尽くして成就しなければなりません。先生が千年万年、信仰の道を、神様の創世の何億年間も御苦労なさったすべての開拓の結実を皆さんの前に無償で伝授してあげますから、完全に継承するならば天下に、天上世界に恥ずかしくない統一教会の血族権限を褒めたたえることができるのは間違いありません。それ以上利なること、それ以上価値あることがないことを知り、その価値の前にある平和の世界へ直行することのできる皆さんになることをお願いするところに、還故郷の道とともに新しい国の統一が始まることを知りますように。アーメン。(一九九二・一・二六、本部教会)

 本来、人類の祖先が九十度の角度の一番きっちりした基準に内的な心と体が一つにならなければなりません。そのような愛を中心として縦的、横的なものが一体になった、一番中心の部分の位置が私たちの本然の父母が探し求めなければならない位置であったというのです。

 ですから、心情の角度を合わせなければならない本然の世界、本郷の世界に入っていって、その位置で定礎石を正しく置かなければならない、運命的であり、必然的な使命が故郷を訪れていく復帰の終着点において、韓国統一教会の食口たちがしなければならない責任だということを忘れてはいけません。このような角度になるものを中心として、そのような角度の男とそのような角度の女をパッとくっつけて水平線に置くとき、これがぴったり合って一つにならなければなりません。縦的に一つになり、横的に一つになって立てたもの、このようになるならばいけません。神様は、その位置が成立してこそ主管するというのです。そうしてこそ神様が主管するというのです。(一九八八・六・一、本部教会)

 具体的には、自分の氏族を復帰するためには、氏族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったのです。氏族的メシヤの立場は、第二の真の父母の立場として、イエス様の立場より素晴らしいというのです。そのような立場を付与された、とてつもない価値があるのです。どのようなものとも、これは換えることができません。

 なぜ氏族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか? 最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母は、第一のアダムの立場であり、皆さんは、第二のアダムの立場にあります。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。

 二番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。氏族的メシヤの使命を果たすことによって、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局、氏族的メシヤの責任分担を果たさなければならない理由は、アダム家庭の完成のためのものです。具体的には、氏族を教育しなければならないのです。(一九九一・五・一二、イースト・ガーデン)

3 氏族的メシヤの使命

 天のために涙を流したのと同じく、血を流さなければなりません。血を流す歴史的な受難の峠を楽しく探し求めていかなければなりません。自分自身の解放のために、それ以上に注がなければならない自分であることを今まで知らずに来たというのです。自分は関係せずに、相対的にするならば、みなできるものと思いますけれども、それは違います。根本に戻ってくるのです。故郷の地に戻ってくるためには、皆さんが根拠地を撃破しなければならない責任が残っていることを、はっきり知らなければなりません。

 今や皆さんの根を整備しなければなりません、根を。根がどのようになったのですか? 堕落することによって父母が過りました。長子が過りました。ですから、真の父母を中心として、真の息子、娘を中心とした本然の父母権と長子権を中心として、もとかえさなければなりません。そのままでは接続ができないのです。一八〇度反対にもってきてくっつけてこそ、出発することができるのです。

 それで皆さんは、故郷に戻っていって、祖先を取り換えなければならない運命が残っていることを知らなければなりません。(一九八八・六・一、本部教会)

 アダム・エバの失敗により、イエス様も真の父母として来たのですね? 最初の父母が失敗したことを蕩減すると同時に、イエス様の解怨成事をしなければならないのです。その次には、三番目の父母が愛の十字架を負っていったことを中心として、皆さんが一族における難しい人を自分よりも愛することができる愛を植えることによって、歴史時代に父母たちが越えてくる道に残してきた垣をすべて崩して越え、天の前に直行できる位置を探し求めていくのです。そうするために氏族的垣を崩さなければならないのが、氏族的メシヤの使命だというのです。何を中心としてですか? 真の愛を中心としてです。

 ですから、自分のことだけを考えてはいけないのです。夜であれ昼であれ。おじいさん、おばあさんを全部見て回ってから、一番遅く寝なければなりません。血の汗を流してもうけては、自分の息子、娘、自分の家ではなく、自分の一族を食べさせ、生かさなければならないのです。

 荒野路程にあるのと同じです。モーセの前には六十万がいます。食べるものがあるならば自分の家の者だけを食べさせてはいけないのです。支派を越えてモーセの前にもっていって置き、死ぬならば一緒に死のうと思わなければならないのです。一〇〇日食べてきたものを一日にしても、十二支派はモーセの前に持ってきてささげなければなりません。

 このような生活をせずしては心情的紐帯関係を、家庭から氏族、民族、国家、世界へ連結することができないということを知らなければなりません。外的な国家世界は、先生が蕩減復帰基準を立て、連結し得る基盤を築きましたが、皆さんの氏族的基盤を私が築いてあげることはできません。そうではありませんか? これが、氏族的メシヤの責任だというのです。

 ですから、先生に願ってはいけません、今からは。今までは、先生が全部責任を負いましたが、今からは、皆さんの一族は皆さんが責任を負わなければなりません。

 九十度の角度の心情を中心として、この角度を合わせなければなりません。個人的に、家庭的に、氏族的にこれを一つにつくらなければなりません。眠り、起き、食べ、生きるすべてのことが、自分を中心としたことではないのです。一族のためのものです。私が死んでも、金氏であれば私たちの金氏のためにすべてのことを解決しなければなりません。金日成が出てきて南韓に選挙しようと言ったところで、氏族を収拾しておいたので行く所がありません。統一教会は、この準備をしなければならないのです。それが生き残る道なのです。国を生かす道なのです。ですから、氏族的メシヤの使命のために前進に前進をしなければならないのです。アダム・エバの失敗とイエス様の失敗を国家的心情圏まで拡大させるためには、氏族的メシヤが十字架を負わなければならないのです。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

 個人が勝利して家庭をもつならば、家庭は氏族と民族と国家と世界の峠を越えていかなければなりません。それゆえに個人の願いとは何でしょうか? 天側に立つ家庭を探し求めることです。家庭を探し求めておいて、「今まで祝福という問題を中心として千辛万苦の受難の道も克服してきたのだが、今では結婚したから、ああこれでよい」と言いながらグウグウ昼寝をしてみなさいというのです。おもしろく生きてみなさいというのです。それがどういう圏内かといえば、サタンが世界的に包囲し、国家的に包囲し、民族的に包囲し、氏族的に包囲している圏内です。

 このように見るとき、「いいぞ」と言って生きなければなりませんか? (違います)。その圏内では、子供をたくさん生むほど大きな患難が来るのです。「これはまた、何のことか?」と思うかもしれませんが、おもしろい話をしてあげるのです。

 個人が安息しようとするならば、家庭がなくてはできないので、今まで統一教会は家庭を探し求めるために戦ってきたのです。また、家庭が安息しようとするならば、氏族圏がなくてはできません。氏族が囲いになり、吹いてくる風と、それ以外のすべてのものを防ぐ責任を身代わりする、そのような舞台をつくらずしては、私が安らかな家庭で生存することができないのです。

 そうしようとするならば、親戚を中心として族長になれというのです。族長になるならば、争いが起こってもすべての親戚が一線に出ていって戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。

 それで、皆さんに対して先生は、氏族的メシヤの使命をしなさいと語ったのです。そのような話を聞きましたか、聞きませんでしたか? (聞きました)。それ、みな教えてあげたのです。何をしなさいって? (氏族的メシヤの使命です)。氏族的メシヤの使命を果たしなさいというのです。その次には、民族的メシヤの使命を果たしなさいというのです。今後、世界に出ていって伝道をするようになるならば、民族的メシヤの使命を果たすのです。(一九七二・五・一八、大邱教会)