P.27 |
神様は人間を何のために創造したのでしょうか。子供たちの生命を見るために創造したのではありません。ご自分の子供たちと愛を築くために、人間を創造したのです。いくら考えてもそれしかありません。
人間を創造した目的は愛のゆえです。神様の愛を中心として、そこから生命が創造されたのであって、生命をつくってから愛を誘発したのではないのです。言い換えると、本来、神様の心に愛が芽生えはじめて生命が生まれたのであり、その生命は愛から始まったので結果も愛にならなくてはなりません。分かりますか? 始まりが愛なので、終わりも愛にならなければなりません。それゆえ、愛を取り去ってしまえば私たち人間は不幸になるのです。(五七\二二)
神様は私たち人間をなぜ創造したのでしょうか。神様が私たちを創造したのは愛のゆえです。神様は芸術作品か何かを作ろうとしたのではありません。愛ゆえに創造を始めたということを知らなければなりません。ですから、「私」という一人が存在する以前に愛が先にあったのです。愛のモデルを標準としてすべてをつくったのです。本来、愛のモデルを中心に、神様の理想的なモデルを中心に男性をつくり、女性をつくり、この被造世界をつくったということを知らなければなりません。(一六一\三二七)
神様はなぜ人をつくったのでしょうか。全知全能の神様、遍在する神様は何が不足で人をつくったのでしょうか。キリスト教式に、ただつくった、とすれば簡単でしょう。しかし、それでは通じません。神様は何が必要ですか? 神様にお金や金塊やダイヤモンドが必要ですか? 必要ですか、必要ないですか?(必要ありません)。そんなものはいくらでも…ない?(あります)。ちゃんと知っていますね。では、神様は知識が必要ですか、必要ないですか?(必要ありません)。知識の王であるわけですが、その知識はいくらでも…ない?(あります)。そうです。では、全知全能の神様に権力が必要ある、ない? どうですか?(ありません)。あってもなくてもそれだけのことです。そんなものは「ある」と言ってもいいし、「ない」と言ってもかまいません。同じことです。
それなら神様に必要なものは何ですか? 神様は生命も必要ありません。生命の主体なのに生命が必要ですか? それでは何が必要ですか? 何ですか?(愛です)。愛が必要なのです。どうして神様に愛が必要なのですか? 愛というのは相対的関係において成立するものだからです。理論的に突き詰めてもそれしかありません。神様も愛を必要とする神様にならずしては、この創造世界の人間と関係を結ぶことができないのです。だから愛を持って訪ねてこなければ存在世界と関係を結べない、という結論になるので、神様は愛を標準として定められたのです。分かりましたか?(一二一\九九)
神様ご自身が愛するために、愛の対象が必要で人をつくったのです。愛は一人ではできないですね? 対象圏がなければ愛は成立しません。神様も愛が絶対に必要だからこそ被造万物をつくり、被造万物を代表した霊長として人をつくったのです。人が絶対的に必要なので、絶対的愛の対象圏の価値を与えたのです。愛を共有するために、その対象的存在としてつくったのが人間なのです。従って、人間自体が神様の体です。神様の体であるアダムとエバの二人が夫婦になるということは、神様が夫婦になることなのです。分かりますか? そして、天上世界に行ってどうなるでしょうか? アダムとエバの姿で神様が人類の先祖になって、霊界と地上世界を処理するようになっているのです。分かりましたか? そうなったのです。
神様はなぜ天地万物を創造したのでしょうか。一番目は愛の対象のために。二番目は形状を持つために。三番目は実体を持った存在を主管するのに無形の存在ではだめだから、刺激がないから実体的主体となって刺激的な因縁を結ぶためです。それで人間をつくったのです。分かりますか? 一番目は何ですか?(愛のために)。二番目は何ですか?(形状を持つために)。三番目は何ですか?(刺激的な因縁を結ぶために)。刺激的な愛を必要とするからです。(一三八\二一二)
神様は人間をなぜつくったのかという問題について見るとき、ただつくりたいからつくったのですか? 違います。見るためにつくったのではありません。何のためにつくったのかというと、愛を築くためにつくったのです。それを知らなければなりません。(八一\一六)