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   5 ダビデ

 また神様は、み旨に対して現れた多くの我々の先祖たち、特に悲惨な牧者であるダビデを選び、イスラエルを指導する立場に立てたことを知らなければなりません。彼は孤独な一人の牧者でした。誰とでも親しくなれる立場に生まれたのではありません。

 しかし民族のために、心配することにおいて、誰よりも孤独な立場に立って心細い立場で天を欽慕しました。心の深い所では、神様の嘆息を心配し、イスラエル民族に対する神様の心配を解消するため、誰よりも深い心情の中で、神様の前に祈祷したことを、私たちは知らなければなりません。

 ペリシテ人の巨人ゴリアテが堂々とした権威をもってイスラエル民族を無視して出てきた時、イスラエルの将軍たちが全滅する立場に立った時、ダビデは、羊飼いの牧童の服を着て、棒切れと石を持って現れたのです。彼が主人としたのは人間ではありません。国家からの命令を受けていたのでもありません。天の主権者の代わりに主人として立てられたのです。自分の先祖の誰よりも天を信じ、進んでいったのです。天が生きているということを知っていました。死の場に直面しても、天が守ってくださることを信じました。

 そのような立場に立ったダビデは、行く道は孤独でしたが、心の中は孤独ではありませんでした。悲惨でしたが、悲惨ではありませんでした。そのようにすることにより、天の嘆きを解消することができ、彼らを守ることにより、天の恨みを解くことができる道があると信じていったダビデの前に、天は共にいてくださったのです。このため、どんなに堂々としたゴリアテも、ダビデの前に一つの草のように倒れざるを得なかったという事実を、私たちは知っています。

 天がこのように悲惨な歴史的事由をわきまえてきたことを、私たちは知っています。このような悲惨な立場では神様が守ってくださり、弱り果てた人々がもう一度回生することを神様は見せてくださいました。(六四―二一一)