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共産世界と自由世界の対決は、一言で言って、理念の対決です。さらに、哲学の対決であり、究極的には主義と思想の対決です。もし神様がいるとすれば、無神論はうそになるのであり、神様がいないとすれば、唯物論が真理となるのです。神様を置いて、いる、いないという、相反する二つの主義が、みんな真理であることはできません。ですから宿命的に、この二つの主義はぶつかるようになっていて、二つのうち一つ、つまり真の真理一つだけが残るのです。
ですから、神様の実存を信じる我々は、その神様を我々の日常生活で実存として見ることができなければならず、世界が否定できない神様として刻み込まなければなりません。神様がいないという思想は、神様がいるという徹底した実証によってのみ、勝つことができます。このようになれば、共産主義の問題は、その根本から崩れていくのです。このような使命を置いて始まった精神運動が、まさに統一教会の統一運動です。(一九八二・一〇・八)
統一教会が提唱している統一運動は、今日、人類と世界の前に置かれている深刻な諸問題に対して解決策をもってこようとする運動です。
第一番に、統一運動は、共産主義問題に対して積極的な解決策をもってくる運動です。共産主義問題解決のためには、自由世界に新しい神霊的大悟覚醒が起こらなければなりません。そして、この心霊的大悟覚醒が基礎となり、人類のすべての実体問題に対する解決法案が出るようになるのです。
二つ目に、統一運動は、世界のすべての宗教が相互共助できる足場を構築する運動です。世界のすべての宗教は、一人の方である神様を信じる勢力として談合しなければなりません。人間の本心は、我々の創造主、または、人類の父であられる神様を認知できるようになっています。一つの神様を人類の父として侍るところに、一つの世界統一家族が具現できるのです。
三つ目に、統一運動は、道徳的な世界を具現する運動です。これは今日、若者たちにおいてより重要なことです。今日、絶対的な道徳の基準がないために、不道徳が盛況しているのです。貪欲的であり利己的な生活、他人がどうなろうと、また、他人を利用しても私だけ利益を得ようという風潮が造成され、繁盛しています。もしこの状態が継続するならば、結局、我々の社会は破滅を逃れられないのです。善なる世界の建設のための価値観の絶対道徳基準は、創造主であられる神様を離れてはあり得ません。なぜならば、その方だけが永遠であられ、不変であられるためです。その神様は、観念の神様ではなく、我々の一日一日の生活に臨在されなければなりません。世界の善男善女たちが神様といつも交流して生きるとすれば、そこには不道徳があり得ないのです。
これは厳然たる真理です。真理の前に偽りは粉砕されるのであり、その偽りがたとえ巨大な経済力、政治力、社会的力によって後押しされたとしても、結局その偽りは真理を克服できないのです。強大な力をもつ共産主義といっても、彼らの主義が真理に立脚していないならば、これは必ず真理の前に粉砕される時が来るのです。(一九八二・一〇・五)