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今まで私が何の仕事をしてきたのか分かりますか。私は今までこの民族の生きる道と、ひいては、世界人類が生きることのできる道のための運動を広めてきた人です。
我が民族が生き残るために、そして、世界人類が生き残るためには共産主義を克服して凌駕できる内容と力量を備えて、共産主義を完全に消化できなければならないと信じてきました。
そうするためには、何よりもまず、世界赤化のために日々膨張していく共産主義に対してお手上げのアメリカの政策を正しく導かなければならないというのが私の考えでした。今日のアメリカのように、世界の三分の二以上を浸食して、この時間にも引き続き世界赤化のために前進を続けているクレムリンの戦略戦術の前に、戦うことも考えずに屈服することが繰り広げられてはならないのです。
今日の民主勢力の思想や能力では共産主義に敵対することはできません。したがって、この時代に何よりも切実に要請されるものがあるなら、第一に完璧な勝共理念であらざるを得ないのです。皆さん、今日の民主勢力の理念をもって共産主義を克服しきることができると思いますか。
共産主義は、中世のキリスト教思想とローマ教皇庁の腐敗した文化圏を背景として発生したというのは、否定できない歴史的な事実です。それゆえ、共産主義が成長し得る基礎を提供した中世のキリスト教を根本として発展してきた民主主義の理念では、共産主義を克服できないというのはあまりにも自明なこととならざるを得ないのです。
それゆえ、全世界のキリスト教を統一的に包括、消化して、新しい次元の思想を人類の前に提示しておくことのできる主体的な新しい宗教が必要だという結論が出ます。いわば、キリスト教だけではなく、全世界のすべての宗教までも統一させ、ひいては、共産主義までも消化できる主体的な思想をもった宗教が、混迷したこの時代に絶対的に要請されるのです。
したがって、共産主義と民主主義がぶつかり合って対決する息詰まる現場で、民族の生存権守護を放棄して倒れるのか、あるいは、ここで輝く勝利を収めて民族の繁栄の道を築くのかということを考えるとき、我々は後者を選択せざるを得ず、そうするためには「勝共の韓国」とならなければならないということを私は早くに知ったのです。いわば、この民族の前に絶対的に必要なのが、共産主義を克服できる勝共理念を基礎とした新しい宗教の出現なのです。その道こそが、この民族が生きることのできる道だと私は考えたのです。(一〇九―二二九)