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我が国の板門店のような所は世界のどこにもありません。サタンと神様が同時に讒訴する所です。このようなことがなぜ起こるのかといえば、そうでなければ蕩減されないからです。そのようにして緊迫した事態になるのです。(三〇―二一六)
韓国において世界的な特徴が何かといえば、板門店があるということです。ここは世界を中心としてサタンと神様が讒訴する、地上でただ一つの場所です。霊界において、神様とサタンが讒訴する讒訴場を代表したものが地上に現れたのです。神様とサタンが人間を中心として讒訴する場所が地上に現れた、ただ一つの場所だというのです。(五四―一五八)
板門店というのは何かといえば、サタンと神様が讒訴する見張り台です。金門店となれずに板門店になったのです。それは臨時なのです。サタンと神様が全く同じです。皆さん、板門店に行ってみてください。ひよこがけんかをするように、子供たちがけんかをするのと同じです。世界的にそのような所は一箇所しかありません。そこはサタンと神様が讒訴する幕舍です。聖殿と同じです。
カインがいつも先に打ったように、第一次、第二次、第三次まで経なければなりません。第二次まで打って歴史は流れてきましたね? 今、第三次において国家的運命を分けなければなりません。世界的運勢と共にぶつかり合い得る時が来たというのです。(五〇―七七)
南韓と北韓の境界線に板門店がありますが、そこには主人がいません。そこは南韓の地でも、北韓の地でもありません。文字どおり板門です。すなわち、板でつくった門だというのです。これは鉄の門や黄金の門になることはできません。主人がいたならばそのようになり得るでしょうが、主人がいないので、そのようになり得ないのです。
それゆえ、そこではサタンと神様が世界の国を中心として讒訴することができ、民族を中心として讒訴でき、個人を中心として讒訴することができます。大韓民国をかけて讒訴するときには、個人が過っても大韓民国が引っ掛かるようになり、家庭が過っても大韓民国が引っ掛かるようになります。また、以北の個人や家庭が誤れば以北の主権が讒訴されます。個人や家庭や団体が誤るようになれば、彼らをして国の主権が秤に掛けられる、そのような立場にあるというのです。すなわち、個人が過っても国を打ち、家庭が過っても国を打ち、団体が過っても国を打つというのです。誰が過ったとしてもそのような立場になるのです。(三八―四四)