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四.世界人の聖地となる韓国

1 今後、農業をして食べて生きる時は過ぎ去る

 我々韓国人は、いつまでも農業だけをして食べて生きなければならないのでしょうか。遊んで生きなければならないのです。皆さん、仕事をしたくはないでしょう? 仕事をしたいですか、したくないですか。(したくありません)。したくなくても、仕方なくするのでしょう。ですから韓国で何か農業をして食べて生きる時は過ぎ去るのです。

 それでは今後どのようになるのでしょうか。今や世界的に統一教会の食口が少しずつ増えていくことでしょう。ドイツ人が来て帰り、今はイタリヤの責任者が来ていますが、今後はヨーロッパ一帯にいる人々が韓国に来てみなければ威信が立たないのです。行き来する人々は威張って通うことでしょう。そのようになれば、我も我もと競争が起こるでしょう。重要な食口だけが行き来するようになれば、行けない人々は威信が立たない時が来るというのです。統一教会の食口ならば、たとえ誰であっても韓国に行って来なければ体面を立てられないようになるので、瞬く間に宣伝されるのです。そうでしょう?

 このようになれば、今後忙しくなることでしょう。今も我々の本部は相当に忙しいです。日本人たちがピーヒャラドンドンと列を成しています。外国人たちは我々の食口以外にも多く来ることでしょう。そのようになれば、彼らを案内して一時間から二時間半の距離にある名勝地はみな行くのです。八道の山河を経由して見学するのに、バスで一時間から二時間半の距離なら大丈夫です。三時間は退屈します。この程度の距離を連結して、みな観光させてあげれば、彼らが自ら「韓国は、それこそ神様が愛さざるを得ない」と言うようになるのです。

 そのようにして帰せば、自分の国に帰って韓国を誇るようになります。そのようにして外国の観光客を多く誘致しようということです。統一教会員の親戚八寸(八等親)になる人々がアジアを経るようになれば、みな韓国に来ざるを得なくなります。そのようになれば、その場面をそのまま利用しようということです。あちこちのホテルと連絡して、四十日コースでプログラムを作って、続けて一周するようにしてから帰すのです。

 このようになれば、我々の世話になるようになるので、我々がしようと言うとおりにするほかはないでしょう? だからそこにプログラムをみな作っておいて、原理思想を投げ込むのです。このようにしてその人々に内外から宣伝して、我々統一教会の親戚たちまでも伝道するようにしようということです。このようにその人々を伝道しておいて、彼らにみな観光国としてはスイスのような国よりも韓国がもっとよいといううわさを流すようにするのです。我々は今後このような観光客を誘致して、稼いで生活しなければならないのです。(四六―一八二)

2 世界人が韓国の聖地を巡礼する時が来る

 先生が一九六〇年代に二十一日路程を歩んだことがあります。皆さん、それを知っているでしょう? このような道を今後日本人が踏査するようになるのです。「この二十一日コースは、開拓当時に先生が迫害を受けながらがたがたとジープに乗って山奥の道を通ったのだが、この道は聖地と同じように履き物を脱いで歩きなさい」と言えば、裸足で歩くのです。このようにして日本人たちが列を成して出発します。そしてその次の所でまた出発して、その次に待っていたのが出発して……。このようにすれば、三千里半島四方八方に待つ人が道を埋め尽くすようになるでしょう。そのようにバトン制で帰るようにしておいて、日本が終わればその次にはアメリカ、このように互いに競争させるのです。そのようになれば性質が急な人は「これはあちこちで待とう」と言いながら飛んで来て、前もって待つのです。先生が巡回したコースをそのように裸足で歩くようになる時が来るということを知らなければなりません。皆さんが今その道を通るとき履き物を脱がずに歩いて通ることを有り難く思わなければなりません。今後そのような時が来るのです。見ていなさい。

 イスラエルにあるエルサレムの聖殿に行ってみると、博物館長が「イエス様当時にイエス様が使われた箸の切れ端の折れた金属が一つでもあればよいのに」と言うのです。もしそのような物が一つあったならば、それはアメリカをやっても換えられないということでした。そうだというのです。エルサレムに行ってみればおかしいのです。聖書六十六巻の内容が、シオン城やダビデ城というものはエルサレムの内外二里の中にみな入っています。とてもつまらないのです。ところがそのエルサレムを巡訪するクリスチャンを見れば、道を歩くのも控えめに歩き、別天地の天国に入ってきて生活を始める気分をもって、夢中になって歩き回ります。

 それを見れば、今後この国韓国がどれほど素晴らしいだろうかというのです。またメッカのような所も、今イスラム教の巡礼者たちがその砂漠地帯を継続して絶え間なく巡訪しているのが事実ではありませんか。そのようなことを見れば、それよりもさらに素晴らしい韓国になるのではないかというのです。ですから韓国を、よく食べてよく暮らすようにしておかなければなりません。そうしようと思えば、観光地をつくらなければなりません。(四六―一八四)

 先生がイスラエルの国を回ってみると、とても荒涼とした所でした。よいと言うのはどこがよいのでしょうか。乳と蜜の流れるカナン福地と言ったのは、神様の祝福を大きく語ったのでそのように言ったのでしょう。イスラエル全体を回ってみても、乳と蜜が流れる所はありませんでした。情を引きつけるような所は一つもありませんでした。

 「数日後、数日後、ヨルダン川を渡って行ってあわん」という賛美歌を思って、ヨルダン川がどのような姿をしているのか見るために期待をもって行きました。行ってみると、そこで何か龍が昇って行った場所だから入ってみろと言うのです。しかしみな砂漠地帯で砂ばかりでした。

 そうしてみると韓国の疆土はとてもよいです。どこに行っても沃土と青い草原があり、澄んだ水が流れています。それなら「イスラエルのような所にもイエス様が洗礼を受けたのだから、我が韓国のように玉水が流れるここで、なぜ聖霊を受けることができないのか」、間違いなくこのように言うことでしょう。

 今はそれでもイスラエルの国がかんがい工事をして、草木のある青い草原がいくらかつくってありましたが、二千年前イエス様当時には姿が良かったでしょうか。その時のヨルダン川という所は、鴨の雛が遊び、汚水が飛び跳ねる所だったことでしょう。(笑い)(二八―一九〇)

3 世界人が慕わなければならない本郷の国

 数多くの人類が願うその本郷の地はどこなのでしょうか。これが今まで人類が探し求めてきた希望の基点です。もし韓国が世界人が願う本郷の国であり、韓国の地が世界人が願う本郷の地ならば、この韓国という国は極めて幸福な国になるでしょう。また、その国の中でどのような地点がそのような所かといえば、その地点はその国で一番貴い所でしょう。

 先生が日本に行ったときに日本の食口たちに言いましたが、もし韓国が世界が慕うそのような本郷の国ならば、いま白頭山の頂にある土地でも日本の銀座のどの土地よりも高くなる時が来るでしょう。なぜですか。今全世界の十億に近いキリスト教信徒たちが今後、主が来られる本郷を恋しがっているからには、もしそのような所が現れたと全世界に知らせれば、瞬く間に十億に近いキリスト教信徒たちが何としてもこの国を訪ねてくるでしょう。また、訪ねてきてただそのまま行くのではなくて、必ずこの韓国の地で位置をつかんで幸福に暮らそうとするでしょう。この小さな土地にキリスト教徒だけで十億に近い人々が訪ねてくるとすれば、ここでは大きな問題が起きることでしょう。

 このように見るとき、世界人が慕う本郷の国といっても大変なことです。このような面から見るとき、韓国が景色がよくて山水がよいことは、今後そのような人々が訪ねてくるようになれば、観光ホテルを造って彼らを迎えるのによくするために、神様があらかじめ準備されたことなのかもしれません。どのような国に行ってみても、韓国のように美しい所はありません。韓国のように気候がよいところもありません。朝起きて窓を開け、太陽の光を浴びるそのそうかいな気分、それはどのような国でも感じることのできないものです。また、日が暮れていくときに夕日が自然と調和するその風景というものは、どのような国でも見ることのできない隠隠としてまた豊饒なるものです。このようなことを見るとき、韓国はいかなる国よりも自然的恵沢を多く受けているということを我々は感じるようになります。(二三―七五)

4 韓国で生まれたプライドをもとう

 皆さんは韓国と言えば一番悪いところであり、あるいは生きるのが難しい国であると考えるかもしれませんが、そうではないというのです。韓国が世界のいかなる国よりもよい国だと、皆さんは考えなければなりません。先生が全世界の多くの国、あるいは有名だという所はみな回ってみましたが、韓国のように美しい国がなかったのです。山水を見ても、あるいは気候を見ても、すべてのことがいかなる国にも負けない、世界で誇るべき国だということを、有名な所に行く度ごとにさらに深く感じました。

 もし神様がいらっしゃるなら、どのような国を最も愛するのかと考えてみるとき、この地球上を見下ろす神様は美しい所を愛されることでしょう。その美しい所がどこでしょうか。韓国です。そして韓国は神様の愛を受けることのできる国です。この世界を回ってみて、先生がそのようなことを多く感じました。そのため、韓国で生まれたことを何よりも誇りと考えなければならないのです。

 そのため、韓国は今後神様の保護を受けることにおいて世界のいかなる国にも負けない誇り高い国になるだろうという希望をさらにもつようになりました。何から見ても韓国は今後世界的に名を成すことのできる国になるだろうということです。これは地理的に見てもそうであり、アジア全体、地域的に見ても半島として美しい所です。海産物でも劣ることはなく、すべての鉱物でも……。そして今後発見できない宝物がたくさん出るだろうと見ているのです。山水が美しく、山川の風光が美しく、神様が愛することのできるそのような地域ならば、必ずここには世界で名を成すことのできる無限なる宝物も出るだろうと見ているのです。それくらいに我々は韓国に生まれたプライドをもって誇らなければならないのです。(八四―二三五)

 今韓国人たちは、若い子供たちはみな「アメリカに行けば好運に恵まれる」と考えていますが、とんでもありません。アメリカという国は本当に無情で冷たい国です。それを知らなければならないのです。金持ちの国には違いありませんが、お金を使うすべを知らない国なのです。みなコンピューターのデータによって使うというのです。一銭一文たりとも容赦がないのです。分かりましたか。そのような社会なのです。

 ここに移民した人々が総括的に下す評がこうだと言うのです。「ああ、韓国でこのように働けばよい生活ができたのに……」、それが結論だと言うのです。それが何かと言えば、すべてのことが分科制度になっているために、ある分野に入れば、八時間は完全にそこで付属品の役割をしなければなりません。分かりますか。付属品の役割をしなければ、職場から必ず追い出されるというのです。韓国のように何かこうしたとは……。

 それを見れば、世界で一番住みやすく、世界で一番人心がよく、少し複雑で少し言葉は大きいけれども、一番よい国がどの国かと言えば、どの国ですか。(大韓民国)。恨(ハン)が多い韓国(ハングク)ではなくて、恨を解いてあげると言うことのできる韓国であると考えればよいのです。韓国がよいのです。(八五―八〇)