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・ 真の父母宣布の基準

厳格に言えば、先生の故郷が皆さんの故郷ではありません。枝と芽と葉は、皆同じですが、枝々のある位置が自分の故郷と同じです。それゆえ、皆さんがこのよう氏族復帰決定ができなければ、皆さんの故郷がないのです。

故郷がない人は、生まれることができません。ですから、父母復帰ではないですか、父母復帰? そうでしょう?(はい)。三代を中心として、氏族的メシア圏を完成しなければなりません。家庭を中心として、蘇生、長成、完成は、先生を中心として接ぎ木することによって…。

責任分担完成圏、直接主管圏と間接主管圏が一体化しうる基盤を誰かがして、神様が愛を中心としてあなたと私とこの被造世界が愛のものだ、という宣布式をしなければならないのに、それができなかったのです。それゆえ、神様の所有権が決定できずにいるのです。その所有権は、完全にサタンの愛を中心として…

神様の愛を中心として一つになって、宣布式をしなければならないのが、原理型の偽物の立場のサタンの愛を中心として一つになって、宣布式をすることによって、サタンの所有になってしまったのです。(二一三・一二三)

民主主義もけんかをするのです。兄弟どうしけんかするでしょう? 兄弟どうしけんかするのは、近所の町内の人がけんかするのより、もっと恐ろしいです。なぜそうかというと、一人は東なら、一人は西なのに、東西が位置が合わなければ、その横が近いではないですか? 東も南と北が、西も南と北が近いではないですか? 近いのです。兄弟どうしけんかすれば分かれるのです。

ところで、近所の人どうしでけんかしても、分かれないのです。風呂敷を包んで逃げないではないですか? そうでしょう? けんかのうちでいちばんよこしまなのが、兄弟どうしのけんかなのです。

兄弟主義の時代において、二人が争う国は、滅びるようになっています。大韓民国はけんかをしますか、しませんか? お兄さんがだれか分かりません。弟が誰か分かりません。なぜ分からないかというのです。どこで生まれたのか分からない無礼な奴として生まれたために、父が現れてこそ、父母が現れてこそけんかをしないのです。それで、父母主義が、救世主が来るのです。お分かりですか? 父母主義。それゆえ、民主主義時代は、けんかが終わりませんが、父母主義時代に来ては、けんかが終わるのです。

今日、統一教会が真の父母を発表しました。エデンの園で、アダム・エバが堕落しなかったら、神様も真の父母であり、アダム・エバも真の父母になったでしょう。神様は縦的な真の父母であり、アダム・エバは横的な真の父母です。分かりますか? 縦横が一致した真の父母なのに、それを見るようになれば、東西南北が皆同じです。上を下に持ってきて、下を上に持ってきて、西を東に、東を西に、どこに持ってきても皆合うのです。

アメリカがアメリカのための立場に立っては、世界を取り戻せません。転換させられません。分かりますか? 共産主義も、共産主義を主にしてはいけません。世界のための共産主義にならなければなりません。民主世界も讃える共産主義になり、共産主義自体も讃える共産主義にならなければならないのです。「皆良い!」と言える主義にならなければなりません。それが何の主義か? 兄弟どうしけんかする輩たちが、けんかをやめるためには、お母さん、お父さんが現れなければなりません。

そのような意味で、今日よこしまなけんかの場が繰り広げられた、過ったこの世の中に、先生が真の父母を宣布しました。真の父母を世界的に宣布するためには、個人的真の父母、家庭的真の父母、氏族的真の父母、民族的真の父母、国家的真の父母、世界的真の父母、天宙的真の父母、神様と人間を中心として、神様も真の父母、真の父母自身も真の父母と言うことができる位置まで行かなければならないのです。そのような言葉を発表したという事実は、歴史的なことです。

真の父母宣布するとき、五〇億の人類の三分の一は率いなければならなにのに、このざまは何ですか? 原理がそうですか? それゆえ、私が、三分の二は条件をかけておいてするのです。日本も私に引っかかり、アメリカも私に引っかかり、中共も私に引っかかりました。ソ連は私に引っかかりませんでしたか?(引っかかりました)。

父母の時代が来れば、けんかは終わります。八〇になり、一〇〇歳になった兄弟どうしも、九〇歳になった兄弟どうしけんかしても、お母さん、お父さんが来れば飛び出さなければならないですか、けんかを続けなければならないですか? 千年、万年待っていた父母が来るというのに、どのように飛び出さなければなりませんか?

今日の世の中の人たち、何、イエスを信じる人たちも、救世主が来るのをどれほど願いますか? 救世主が何か分かりますか? 求める「求」の字、税金の「税」の字、主人の「主」の字です。それが救世主です。税金があるでしょう、税金? それが何か?(笑い) このごろで言えば、けちんぼうです。そんな輩ではないですか? それも救世主というものです。

文総裁は、愛を通じて占領しました。そうです。何の愛? 自分のための愛でなく、人のための愛を持って。(二〇二・一六五)